第26話 換気口
第三部からは、一日一話、朝七時公開です。
本日から五日間、夜七時に挿絵付きの登場人物紹介を投稿します。
「レールを叩けば、寄ってくる」
美術準備室で、透は地下鉄の地図を広げていた。
「祇園と博多の間に、地上に通じる換気口があります。呉服町の交差点の歩道の植え込みの中。格子の蓋がついてて、真下はトンネルです。深さは、十五メートルくらい」
「そこまで、あいつを連れていくと?」
朝倉さんが、地図を覗き込んだ。
「はい。僕がトンネルの中でレールを叩いて、あいつを一本のトンネルに誘い込みます。最後は換気口の鉄の梯子を思いきり叩いて、僕はすぐ横の待避所に隠れます。梯子はしばらく鳴り続けるんで、あいつはそこに食いつこうとして、真上に口を開ける。その瞬間に、朝倉さんが上から撃つ」
「真っ暗なトンネルの、十五メートル下を?」
「明かりは、僕がつけます」
透は、ポケットからケミカルライトを何本も取り出した。天神のときの残りと、松尾が自衛隊の装備から出してくれたものだった。
「換気口の真下の床に、これを並べておきます。光の中なら、開いた口は見えるはずです」
朝倉さんは、黙ってケミカルライトの束を見ていた。
「……また、あなたが一番危ないところにおる」
「あいつ、僕の心臓には興味ないんで。いちばん安全なのは、たぶん僕です」
「レールを叩くんやろ。あいつを自分のところに呼ぶってことやん」
「呼ぶために叩くんです」
朝倉さんは、それ以上は何も言わなかった。小銃の弾倉を外し、残りの弾をもう一度数えた。
十四。
◇
十二月五日。午後四時。
透は呉服町の換気口の真下の床に、ケミカルライトを並べていった。折ると、黄緑色の光が生まれる。十本。二十本。トンネルの床に、ぼんやりとした光の溜まりができた。
見上げると、十五メートル上に格子の蓋が四角く見えた。そこから、白い霧の光がかすかに差し込んでいる。
格子の向こうで、何かが動いた。朝倉さんが、伏せ撃ちの姿勢をとったのだ。
透は光の溜まりを背にして、トンネルの奥へ歩いていった。
五十メートル。百メートル。
立ち止まる。
深く息を吐く。吐ききって、止める。
それから、避難所から持ってきた金槌でレールを叩いた。
かん。
かん。
かん。
◇
来るまでに、二十分かかった。
トンネルの奥、博多の方から、低い震えが近づいてくる。水たまりに波紋が走り、壁の埃がぱらぱらと落ちる。
透は、もう一度レールを叩いた。それから、来た道を戻り始めた。
十歩ごとに、レールを一度だけ叩く。長虫が追ってくる。透が逃げる。また叩く。
犬の散歩のようだ、と思った。散歩されているのが、どちらなのかはわからないが。
光の溜まりが、見えてきた。
光の溜まりに飛び込むと、透は換気口の壁の梯子に飛びついた。三段、四段と上がり、梯子の鉄の桁を金槌で思いきり叩く。
かあん。
鉄の梯子が、震えながら鳴り続ける。音は壁を伝い、床を伝って、闇の奥へ落ちていった。
透は梯子から飛び降り、すぐ横の壁の待避所へ転がり込んだ。
長虫の頭が、光の溜まりに入ってきた。そして、梯子の真下で止まった。
のっぺりとした頭が、ゆっくりと持ち上がる。真上へ。まだ鳴り続けている梯子の方へ。その頭の先が、ぱっくりと四つに割れた。
昨日、透を飲み込みかけた口だった。白い棘が、何重にも並んでいる。
◇
換気口の格子の上で、朝倉さんは息を吐いた。
吐ききって、止める。
十五メートル下の黄緑色の光の中で、灰色の頭が持ち上がってくる。霧島くんは、もう梯子にはいない。その頭の先で、口がこちらへ向かって開いた。
撃てるのは、今だけ。
一発。
灰色の頭が、がくんと揺れた。けれど、沈まない。四つに割れた口が、もう一度大きく開いた。
「……無理か」
朝倉さんは、引き金を引き続けた。
二発、三発、四発。光の中の口へ、弾を叩き込んでいく。灰色の頭が撃たれるたびにのけぞり、それでもまた持ち上がってくる。五発、六発、七発。八発、九発、十発、十一発。
十二発目で、頭が光の中から落ちた。
◇
銃声が、トンネルの中で何倍にも膨れ上がった。
落ちた頭を引きずるように、長い体がのたうち始めた。
トンネル全体が揺れた。壁が、天井が、床が。透は待避所の奥に体を押しつけて、それに耐えた。灰色の体が、目の前で何度も跳ね上がり、壁を打ち、天井を打つ。埃とコンクリートの欠片が、雨のように降ってきた。
尾の先が、透の頭のすぐ横の壁を叩いた。耳がきんと鳴った。
やがて、揺れが少しずつ小さくなっていった。
長い体がゆっくりと、床に沈んだ。
◇
トンネルに、静けさが戻った。
透は待避所の壁にもたれたまま、ずるずると座り込んだ。膝が笑っていた。
格子の上から、朝倉さんの声が落ちてきた。
「……霧島くん!」
「生きてます」
「返事が遅い!」
怒られた。
そのとき、光の溜まりの向こうで何かが動いた。
長虫の亡骸のそばに、人影がしゃがみ込んでいる。小さなケースを開き、注射器で長虫の傷口から黒い液を吸い取っている。
ブロンドの髪だった。
人影は、透の方を一度だけ振り返った。唇に、人差し指を当てる。それから、来たときと同じように音もなくトンネルの闇へ消えていった。
格子の上から、朝倉さんの声がした。
「……今の、ヴィッキー?」
「……だと、思います」
格子の向こうで、朝倉さんがしばらく黙った。
「……やっぱり、留学生やなかったね」
◇
その夜、呉服町のビルの床は一度も震えなかった。
十階の窓から、管理人のおばあさんが静まり返った交差点を見下ろしていた。
「……長虫さん、おらんようになったね」
おばあさんは、ほっとしたように息をついた。それから、透がいるはずの方を見た。
「影法師さん、ありがとね」
お読みいただきありがとうございます。
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