第八話 七歳の約束
放課後の中庭に、噴水の水音だけが響いていた。
ノエリアは石畳の上で固まり、胸元へしがみつく小さな妖精を見下ろしている。白金色の体はやわらかく発光し、感情に合わせて耳のような飾りがぴこぴこと揺れていた。
『会いたかったぁ……!』
「ま、待って、待って!」
ノエリアは慌てて引きはがそうとするが、驚くほど力が強い。
「誰!? ていうかパートナーって何!?」
妖精はようやく少し離れ、目元をぬぐった。
『ぼくはベル。ノエリアの妖精だよ』
「いや意味が分からない!」
当然だった。
リミィジュ候補生なら誰でも知っている。妖精は選ばれた者と契約し、心の力を戦う力へ変える存在。だが正式に姿を見せるのは、一定以上の適正値を持つ者だけだ。少なくとも、適正値ゼロの自分の前に現れるなど前例がない。
ベルは頬を膨らませた。
『ゼロじゃないもん』
「え?」
『ノエリアはゼロじゃない』
その言葉に、ノエリアの胸が小さくざわつく。
だが、すぐに現実が追いつく。
「じゃあなんで測定でゼロなの!?」
『……それは』
ベルの耳飾りがしゅんと下がる。
『ノエリアが、自分の光を閉じちゃったから』
ノエリアは息を止めた。
意味は分からない。なのに、なぜか胸の奥へ真っ直ぐ届く言葉だった。
ベルは噴水の縁へ降り立ち、ノエリアを見上げる。
『覚えてない? 七歳のとき』
その瞬間、頭の奥にかすかな痛みが走る。
見えた気がした。
夏の夕暮れ。公園のブランコ。誰かと笑って走る小さな自分。白く光る何かが肩の上で跳ねている。
「……っ」
だが映像はすぐに霧散する。
ノエリアはこめかみを押さえた。
「知らない……」
『そっか』
ベルは悲しそうに笑った。
『でも、ぼくはずっと覚えてるよ』
そのとき、中庭の入口から声が飛んだ。
「ノエリアー! どこだー!」
ハイジだった。
フィアののんびりした声も続く。
「ごはんの時間なくなっちゃうよぉ」
ノエリアは慌ててベルを見る。
「か、隠れて!」
『え? なんで?』
「いいから!」
ベルは不満げだったが、ふわっと光になり、ノエリアの胸元へ吸い込まれるように消えた。
「えっ!?」
その直後、ハイジとフィアが中庭へ入ってくる。
「いたいた。何してんだ?」
ハイジが怪訝そうに見る。
ノエリアは噴水の前で一人、両手を伸ばした妙な姿勢のままだった。
「な、何でもない!」
フィアが首をかしげる。
「ひとりで踊ってたのぉ?」
「違う!」
二人は笑い、ノエリアは真っ赤になる。
だが胸の奥では、さっきベルが入っていった場所がほんのり温かかった。
その夜、寮の自室。
窓の外には修復中の北門が見える。工事用の術式灯が青く揺れ、学園の夜景に溶け込んでいた。
ノエリアはベッドに腰掛け、小声で囁く。
「……ベル?」
ぽん、と光が弾けた。
『はーい!』
突然目の前へ現れ、ノエリアは飛び上がる。
「近い近い近い!」
『呼んだのに』
「静かに出てきて!」
ベルはくるくる回りながら部屋を見渡す。
『へぇー、ここが今のお部屋なんだ』
「今のって何」
『昔のお部屋は、ぬいぐるみだらけだったよ』
ノエリアの動きが止まる。
幼い頃の記憶は曖昧だ。両親の事情で何度か引っ越しもあり、七歳以前の記憶は断片的にしか残っていない。
「……本当に、私と会ってたの?」
ベルは笑顔をやめ、真っ直ぐ頷いた。
『毎日一緒だった』
そう言って、ベッドの上へちょこんと座る。
『ノエリアはね、すごかったんだよ』
「私が?」
『なんでもできるって信じてた』
ノエリアは苦笑した。
今の自分とは正反対だ。
ベルは続ける。
『転んでも泣かなかったし、誰かが泣いてたら先に走っていった』
その言葉に、昨日の自分の行動が重なる。考えるより先に走っていた。
『だからぼく、この子だって決めた』
「……じゃあ、なんでいなくなったの」
ベルの表情が曇る。
しばらく沈黙したあと、小さく答えた。
『ノエリアが、ぼくをいらないって言ったから』
ノエリアの胸が強く痛んだ。
「そんなこと……」
言った覚えはない。
だが、ベルは嘘をついていない顔だった。
『あの日、友達が泣いてて、ノエリアは助けたかった。でも助けられなかった』
ベルの声は静かだった。
『それで、自分なんてダメだって言った』
ノエリアの脳裏にまた断片が走る。
雨の日。泣いている女の子。倒れた傘。何かを守れなかった焦り。幼い自分の嗚咽。
『ぼくは一緒にいたかった。でもノエリアは、自分を閉じちゃった』
ベルは耳飾りを伏せた。
『だから、ぼくも見えなくなった』
部屋に沈黙が落ちる。
ノエリアは言葉が出なかった。
七歳の自分が何を失い、何を思ったのか。全部は思い出せない。けれど、それが今の“私なんて”に繋がっている気がした。
「……ずっと近くにいたの?」
『うん』
ベルは即答した。
『見えてなかっただけ』
その言葉に、ノエリアの目が熱くなる。
誰にも気づかれず、ずっと。
一人だと思っていた時間にも。
ベルは慌てて飛び上がる。
『な、泣かないで!? ぼくそういう空気弱い!』
「泣いてない!」
ノエリアは袖で目元をこする。
そのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
「ノエリアー! 明日の課題……って」
ハイジだった。
その後ろにフィアもいる。
そして二人の視線は、空中で慌てて回転しているベルへ向いた。
沈黙。
ベルも固まる。
ハイジがゆっくり口を開く。
「……何それ」
フィアが目を輝かせる。
「かわいいねぇ」
ベルはノエリアの肩へ隠れながら叫んだ。
『敵!?』
「違う違う!」
ノエリアは頭を抱えた。
こうして、秘密にする間もなく、Dクラス全員にベルの存在が知られることになった。
十分後。
ハイジは机に身を乗り出し、ベルをまじまじ見ている。
「つまり、ノエリアの妖精?」
『そうだよ! えらいでしょ!』
「なんでお前が威張るんだ」
フィアは指先へベルを乗せ、楽しそうに揺らしていた。
「ふわふわしてるぅ」
『高級仕様だからね!』
「へぇ〜」
ノエリアは深くため息をつく。
騒がしい。けれど、不思議と嫌ではなかった。
ベルが現れたことで、何かが動き始めたのを感じる。
そして翌日から、ノエリアには放課後特別訓練が命じられることになる。
グレタの判断だった。
適正値ゼロの少女と、姿を現した妖精ベル。
学園もまた、この異例の存在を放ってはおかなかった。




