第七話 見えないパートナー
敵襲の翌朝、グランドフォール学園には奇妙な静けさがあった。
校舎の壁にはまだ修復用の術式布が貼られ、北門周辺には立入制限の結界が張られている。けれど授業は通常通り再開されていた。ここでは、危機のあとでも立ち止まらない。それが学園の方針であり、リミィジュ候補生として求められる姿勢でもあった。
ノエリアは寮の鏡の前で、自分の頬をつねっていた。
「……いたい」
夢ではない。
昨日、自分は本物の敵を見た。Aクラスの戦いを見た。ダニーやジェイドが命懸けで前線に立つ姿を見た。そして何より、自分の木剣が光った。
頬を離し、胸元へ手を当てる。
鼓動は普通だ。熱もない。昨日のような脈打つ感覚もない。
(気のせい……じゃないよね)
自信はなかった。
もしかしたら極限状態で見間違えただけかもしれない。そう思う自分と、確かに何かがあったと信じたい自分が胸の中で揺れていた。
扉が勢いよく開く。
「起きてるか!」
ハイジだった。
ノエリアは飛び上がる。
「またノックなし!?」
「細けぇこと気にすんな!」
まったく反省がない。後ろからフィアがゆっくり顔を出す。
「ハイジちゃん、ノックは必要だと思うよぉ」
「次からやる!」
「毎回言ってるよねぇ」
二人のやり取りに、ノエリアは少し笑ってしまう。昨日の緊張が、少しだけほどけた。
食堂へ向かう道中、学園内の雰囲気は昨日までと少し違っていた。生徒たちの会話の中心が、敵襲の話題になっているのだ。
「北門の大型個体、会長が一撃だったって」
「Bクラスもかなりやってたぞ」
「Dクラスのゼロの子、前に出たらしい」
その最後の話題で、ノエリアは反射的に柱の陰へ隠れた。
「なにしてんだ、お前」
ハイジが呆れる。
「だ、だって目立ちたくない……」
「昨日あれだけやっといて今さらだろ」
その通りだった。
食堂へ入ると、すでにBクラスの席でダニーがこちらに気づいた。
「おーい! 無茶女!」
「その名前やめて!」
ノエリアが顔を赤くする。ダニーは大笑いし、隣のジェイドはため息をついていた。
「騒ぐな、朝から」
「お前も昨日助けてただろ」
「仕事だ」
短い返答だったが、ノエリアは少しうれしかった。助けられたことを思い出し、頭を下げる。
「昨日は、ありがとうございました」
ジェイドは視線を逸らさず答える。
「次は、呼べ」
「……はい」
ダニーが横から身を乗り出す。
「でも、ちょっと見直したぞ。怖かったろ?」
ノエリアは少し黙ったあと、小さく頷く。
「すごく」
「だよな!」
ダニーはなぜか嬉しそうだった。
「それで前に出たなら十分すげーよ」
あまりにもまっすぐ言われて、ノエリアは返す言葉を失う。こういう人なのだと少し分かってきた。
一限目は座学だった。教室ではグレタが昨日の敵襲について説明している。
黒板に描かれたのは、闇獣の構造図と学園防衛体制だった。
「昨日現れたのは中規模襲撃だ。敵組織は闇感情を核に怪物を生む。怒り、絶望、嫉妬、喪失感……強い感情ほど個体は大型化する」
ルークが青ざめる。
「中規模で、あれですか……」
「だから学ぶんだ」
グレタの声は静かだった。
「感情は力にも災厄にもなる。リミィジュも同じだ」
ノエリアはその言葉に引っかかった。
感情が、力になる。
昨日、自分が前へ出たとき胸で脈打ったもの。それも感情だったのだろうか。
授業後、グレタがノエリアだけを呼び止めた。
「少し来い」
職員棟の小さな訓練室へ連れていかれる。人気のない部屋だった。中央には測定用の水晶柱が一本立っている。
ノエリアは緊張で姿勢を正した。
「き、昨日のことで怒られるんでしょうか」
「それもある」
グレタは腕を組む。
「だが本題は別だ。あの時、お前の木剣が光った」
ノエリアの心臓が跳ねる。
「見間違いじゃ……」
「私が見間違えると思うか」
思わない。
グレタは水晶柱を示した。
「触れろ」
ノエリアが恐る恐る手を置く。柱は沈黙したまま、何の反応も示さない。
グレタの眉がわずかに動く。
「やはり通常測定ではゼロか」
「……やっぱり、何もないんですか」
思わず声が沈む。
だがグレタは首を振った。
「何もない者が、あの場で動けるほどこの世界は甘くない」
その言葉は厳しいのに、妙に救いがあった。
「お前の力は、外から見えにくい形で眠っている可能性がある」
「見えにくい……?」
「例えば契約不全、感情封鎖、あるいは――」
そこでグレタは言葉を切る。
「今はいい。焦って答えを決めるな」
ノエリアには意味が半分も分からなかった。
訓練室を出ると、廊下の窓辺で小さな光が揺れた気がした。
ふわり、と白金色の粒。
「……え?」
振り向くと何もない。
窓から差す日差しだけが床に伸びていた。
(疲れてるのかな)
そう思いながら歩き出す。
だがその日の午後、同じことが二度起きた。
図書室で本棚の影に、小さな光。
中庭の噴水の上に、一瞬だけ跳ねる光。
誰かがこちらを見て、隠れるような気配だった。
放課後、ノエリアはついに人気の少ない中庭へ向かった。
噴水の縁に腰掛け、周囲を見回す。
「……いるの?」
返事はない。
風が木々を揺らすだけ。
「気のせいなら、恥ずかしいけど」
少し間を置き、ノエリアは胸の内をそのまま零した。
「でも昨日、怖かったんだよ」
声が小さく震える。
「何もできないと思ってた。今もそう思ってる」
噴水の水音だけが響く。
「それでも、もし私の中に何かあるなら……ちゃんと知りたい」
その瞬間、背後で淡い光が弾けた。
ノエリアが振り返る。
そこに浮かんでいたのは、手のひらほどの小さな存在だった。
丸い耳のような飾り。星屑のような尾。子どものようにくるくる表情が変わる瞳。白金色に輝く、妖精だった。
ノエリアは言葉を失う。
妖精――リミィジュの契約者。選ばれし者の隣に立つ存在。
だが通常、妖精は正式候補生にしか現れない。適正値ゼロの自分の前にいるはずがない。
妖精はノエリアを見るなり、泣きそうな顔で叫んだ。
『やっと見つけた!』
「……へ?」
『ノエリアだ! ノエリアだぁ!』
そのまま勢いよく飛びついてくる。
「きゃあ!?」
胸元へ抱きつかれ、ノエリアは噴水へ落ちそうになった。
妖精はぐすぐす泣きながらしがみつく。
『もう、どれだけ待ったと思ってるの!』
「ま、待って! 誰!?」
妖精は顔を上げ、きらきらした目で言った。
『ぼくはベル! 君のパートナーだよ!』
ノエリアの思考が完全に止まった。
遠くで鐘が鳴る。
放課後の静かな学園に、新しい運命の音だけがはっきり響いていた。




