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『適正値ゼロのリミィジュ』(完全版)  作者: 柑橘みかん


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第三十八話 敵のはずの来訪者

学園長室の空気が凍りついた。


「話があります」


扉の向こうから聞こえた声は間違いなくエスターだった。


ノエリアの鼓動が跳ねる。


エイミーは反射的に剣へ手を伸ばしていた。


アンナやウィリアムがここにいたら、迷わず戦闘態勢へ入っていただろう。


だがゴードンは動かなかった。


じっと扉を見つめている。


「学園長」


再び声がする。


「一人です」


静かな声だった。


敵意は感じない。


だからこそ不気味だった。


ベルがノエリアの肩へしがみつく。


『どうするの』


ゴードンは数秒考えたあと、小さく息を吐いた。


「入りなさい」


エイミーが振り返る。


「学園長!」


「大丈夫じゃ」


その声には妙な確信があった。


ゆっくりと扉が開く。


夕陽が差し込む。


そして現れたのは。


黒い制服。


長い黒髪。


赤い瞳。


エスターだった。


実際に部屋へ入ってきた瞬間、ノエリアは改めて感じる。


強い。


ただ立っているだけで空気が変わる。


Aクラスの誰とも違う。


生徒会長とも違う。


ゴードンに近い。


いや、それ以上かもしれない。


それでも。


以前会った時より少し疲れて見えた。


エスターはまずゴードンを見る。


「時間がない」


挨拶もない。


前置きもない。


それほど切迫していた。


ゴードンもすぐ本題へ入る。


「闇学園長のことじゃな」


エスターは頷く。


エイミーは黙って姉を見つめていた。


十五年ぶり。


本当なら聞きたいことが山ほどある。


抱きしめたい気持ちだってある。


それなのに今は言葉が出ない。


エスターも妹を見ていた。


ほんの少しだけ。


本当に少しだけ。


その視線は柔らかかった。


だがすぐに戻る。


「ノエリアを連れて逃げて」


部屋が静まり返る。


ノエリアは意味が分からなかった。


「え?」


エスターは真っ直ぐ言う。


「今すぐ」


「遠くへ」


「できるだけ遠くへ」


ゴードンが眉をひそめる。


「理由は」


エスターは迷った。


初めて迷う姿を見た。


そして。


「闇学園長はノエリアを器にするつもり」


空気が変わった。


ベルの顔色が真っ青になる。


ノエリアも理解できない。


器?


何の?


エスターは続ける。


「グランドリミィジュの力を完全に開放するため」


「そのためにずっと探していた」


ノエリアの喉が乾く。


「私を?」


「そう」


エスターは頷く。


「あなたは最後の鍵だから」


禁書塔で聞いた言葉と同じだった。


最後の鍵。


グランドリミィジュ。


真実。


全てが繋がり始める。


ゴードンの表情は険しい。


どうやら初耳ではない。


だが確証を得たのだろう。


「そこまで追い詰められておるのか」


エスターは静かに答える。


「想定より早い」


そして窓の外を見る。


夕焼け。


平和な学園。


「もう残り時間がない」


その声はどこか諦めを含んでいた。


ノエリアは思わず言う。


「エスターさん」


全員の視線が集まる。


ノエリア自身も驚いた。


でも聞きたかった。


ずっと。


「どうしてそこまでしてくれるんですか」


エスターが止まる。


長い沈黙。


そして。


彼女は少しだけ笑った。


悲しい笑顔だった。


「似ているから」


「え?」


「昔の私に」


ノエリアは言葉を失う。


エスターは続ける。


「誰かを助けたいのに、自分を信じられないところ」


「失敗を全部自分のせいにするところ」


「傷ついても前へ進こうとするところ」


全部見抜かれていた。


エスターは目を伏せる。


「だから」


小さな声。


「同じ道を歩いてほしくない」


エイミーの瞳が揺れる。


初めてだった。


姉が本音を話したのは。


十五年ぶりかもしれない。


その時。


ゴードンが立ち上がる。


「エスター」


エスターも顔を上げる。


「お主はどうする」


静かな問いだった。


部屋が静まり返る。


答えは分かっている。


それでも聞いた。


エスターは少しだけ微笑んだ。


「私は残る」


エイミーが一歩前へ出る。


「お姉ちゃん!」


声が震える。


涙も滲んでいる。


「一緒に帰ろう」


初めて言えた。


十五年間ずっと言いたかった言葉。


「もう戦わなくていい」


「私が守るから」


エスターの瞳が揺れる。


今にも泣きそうだった。


でも。


首を横に振った。


「まだだめ」


「どうして!」


エイミーの叫び。


エスターは答えない。


答えられない。


その代わり。


ゆっくり妹へ近づいた。


エイミーは動けなかった。


そして。


十五年ぶりに。


エスターは妹の頭を優しく撫でた。


子供の頃みたいに。


「大きくなったね」


エイミーの涙が溢れる。


止まらない。


ずっと我慢していたものが全部崩れていく。


「お姉ちゃん……」


エスターも泣きそうだった。


だが次の瞬間。


彼女の表情が変わる。


戦士の顔。


窓の外を見た。


「来る」


ゴードンも振り返る。


空気が変わる。


ベルが震え始める。


『まずい』


ノエリアの胸がざわつく。


何かが近づいている。


とてつもなく嫌な気配。


エスターは扉へ向かった。


「待って!」


エイミーが叫ぶ。


エスターは振り返らない。


ただ最後に一言だけ残した。


「今度は」


声が震えていた。


「ちゃんと迎えに来て」


その言葉を残し。


エスターは消えた。


静寂。


誰も動けない。


そして次の瞬間。


学園全体を揺らすほどの轟音が響いた。


窓ガラスが震える。


遠くで悲鳴が上がる。


伝令妖精が飛び込んできた。


顔面蒼白だった。


「学園長!!」


息を切らしながら叫ぶ。


「東部結界が突破されました!!」


ゴードンの顔色が変わる。


「何じゃと」


妖精は震えながら続けた。


「敵は一人です!!」


その一言で全員が固まる。


一人?


結界を?


学園最高峰の防御を?


妖精は泣きそうな顔で言った。


「闇学園長です!!」


本当の戦いが。


ついに始まった。

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