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『適正値ゼロのリミィジュ』(完全版)  作者: 柑橘みかん


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30/40

第三十話 勝ったはずなのに

防衛戦の翌朝。


グランドフォール学園は不思議な空気に包まれていた。


確かに勝利だった。


負傷者は出たが重傷者はいない。


結界の損傷も軽微。


敵は撤退した。


普通なら祝勝ムードになっていてもおかしくない。


それなのに、どこか皆の表情は硬かった。


理由は一つ。


エスター。


十五年前の事件を知る教師たち。


生徒会。


上級生たち。


誰もが理解していた。


昨夜の戦いは本番ではなかった。


あれは様子見だ。


本当に恐ろしいものは、まだ動いていない。



「眠い……」


朝の教室でノエリアが机へ突っ伏す。


ベルも机の上で同じ格好をしていた。


『眠い……』


「妖精も眠いの?」


『気持ちの問題』


意味が分からない。



フィアは隣で小さく笑う。


「昨日がんばったもんねぇ」


「フィアもでしょ」


「私は帰ったら寝たよぉ」


さすがである。



ハイジは珍しく静かだった。


窓の外を見ている。


ダニーが首を傾げる。


「どうした?」


「……いや」


言葉を探すように少し黙る。


「エスターってやつ」


教室が静かになる。


昨夜、あの姿を見た生徒は多い。



ハイジは拳を握った。


「強かったな」


それは誰も否定できない。


戦ってすらいない。


それなのに。


圧倒的な差だけは全員が理解した。



ジェイドが静かに言う。


「今の俺たちじゃ届かない」


悔しそうだった。


珍しく。



ノエリアは昨夜のことを思い出していた。


最後に向けられた視線。


そして。


『まだ間に合う』


あの言葉。


意味が分からない。


でも。


ずっと頭から離れない。



その日の授業はほとんど上の空だった。


リミィジュ史の授業。


魔力理論。


剣術基礎。


どれも頭へ入らない。


気づけばノートの端へエスターの顔を描いていた。


「ノエリア」


「ひゃい!」


グレタに見つかった。


教室中が笑う。


恥ずかしい。



放課後。


ノエリアはベルと一緒に中庭を歩いていた。


昨夜の戦闘で壊れた花壇はすでに修復されている。


学園は強い。


だからこそ今まで守られてきた。


「ベル」


『なぁに』


「エスターって」


少し迷う。


でも聞きたかった。


「本当に悪い人なのかな」


ベルは黙った。



長い沈黙。


そして。


『わかんない』


珍しい答えだった。


ベルは基本的に白黒はっきりしている。


でも今回は違う。



『昔のエスターは違った』


『今のエスターも全部悪いとは思えない』


『でも』


ベルは俯く。


『間違ったことをしてる』


ノエリアは頷いた。


それは確かだ。


どんな理由があっても。


人を傷つけていい理由にはならない。



そのとき。


「ノエリア」


声がした。


振り向く。


エイミーだった。



赤制服。


相変わらず綺麗だ。


でも今日は少し疲れて見えた。


目の下にうっすら隈がある。


昨夜は眠れていないのだろう。



「少しいい?」


「はい」


ノエリアは背筋を伸ばした。



二人は中庭の東屋へ移動した。


白い屋根。


花で飾られたベンチ。


学園でも人気の場所だ。



しばらく沈黙。


やがてエイミーが口を開く。


「昨夜」


ノエリアは頷く。


「お姉ちゃんを見た」


静かな声だった。



エイミーは空を見る。


青空。


平和な景色。


でもその瞳は遠くを見ていた。


「久しぶりだった」


「……」


「すぐそこにいたのに」


少し笑う。


でも悲しそうだった。



「何も言えなかった」


その気持ちはノエリアにも少し分かった。


ずっと会いたかった人。


やっと会えたのに。


言葉が出ない。



エイミーは続ける。


「私ね」


少しだけ恥ずかしそうに笑った。


「生徒会長だから」


「はい」


「強くいなきゃいけないと思ってた」



でも。


姉の前では違う。


ただの妹になってしまう。


助けてほしかった。


褒めてほしかった。


認めてほしかった。


そんな気持ちがまだ残っている。



ノエリアは黙って聞いていた。


途中で遮らない。


最近少しだけできるようになったことだった。



エイミーが小さく笑う。


「不思議ね」


「え?」


「あなたには話しやすい」


ノエリアが固まる。


「私!?」


「ええ」



本人は気づいていない。


ノエリアは人の話をちゃんと聞く。


否定しない。


だから自然と人が本音を話してしまう。



エイミーは立ち上がった。


「ありがとう」


「いえ」


「少し楽になった」



去っていく背中。


ノエリアは思う。


この人も。


本当は普通の女の子なんだ。


強いけど。


優秀だけど。


悩んでいる。


苦しんでいる。



その日の夜。


学園長室。


ゴードンは一枚の古い資料を広げていた。


そこには十五年前の記録。


そして。


一人の少女の写真。


若い頃のエスター。



その横には。


別の写真がある。


七歳のノエリア。


そして。


ベル。



ゴードンは静かに目を閉じた。


「時間がないのう」



同じ頃。


黒薔薇の庭園。


エスターも夜空を見上げていた。


隣にはカリン。


「優しかったね」


カリンが笑う。



エスターは答えない。


ただ。


ノエリアの顔を思い出していた。



自信がなくて。


弱くて。


でも。


誰かのために動いてしまう少女。



かつての自分に少し似ている。


だからこそ。


怖かった。



「間に合って」


誰にも聞こえない声。



闇の中で。


エスターだけが静かに祈っていた。

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