第三十話 勝ったはずなのに
防衛戦の翌朝。
グランドフォール学園は不思議な空気に包まれていた。
確かに勝利だった。
負傷者は出たが重傷者はいない。
結界の損傷も軽微。
敵は撤退した。
普通なら祝勝ムードになっていてもおかしくない。
それなのに、どこか皆の表情は硬かった。
理由は一つ。
エスター。
十五年前の事件を知る教師たち。
生徒会。
上級生たち。
誰もが理解していた。
昨夜の戦いは本番ではなかった。
あれは様子見だ。
本当に恐ろしいものは、まだ動いていない。
◇
「眠い……」
朝の教室でノエリアが机へ突っ伏す。
ベルも机の上で同じ格好をしていた。
『眠い……』
「妖精も眠いの?」
『気持ちの問題』
意味が分からない。
◇
フィアは隣で小さく笑う。
「昨日がんばったもんねぇ」
「フィアもでしょ」
「私は帰ったら寝たよぉ」
さすがである。
◇
ハイジは珍しく静かだった。
窓の外を見ている。
ダニーが首を傾げる。
「どうした?」
「……いや」
言葉を探すように少し黙る。
「エスターってやつ」
教室が静かになる。
昨夜、あの姿を見た生徒は多い。
◇
ハイジは拳を握った。
「強かったな」
それは誰も否定できない。
戦ってすらいない。
それなのに。
圧倒的な差だけは全員が理解した。
◇
ジェイドが静かに言う。
「今の俺たちじゃ届かない」
悔しそうだった。
珍しく。
◇
ノエリアは昨夜のことを思い出していた。
最後に向けられた視線。
そして。
『まだ間に合う』
あの言葉。
意味が分からない。
でも。
ずっと頭から離れない。
◇
その日の授業はほとんど上の空だった。
リミィジュ史の授業。
魔力理論。
剣術基礎。
どれも頭へ入らない。
気づけばノートの端へエスターの顔を描いていた。
「ノエリア」
「ひゃい!」
グレタに見つかった。
教室中が笑う。
恥ずかしい。
◇
放課後。
ノエリアはベルと一緒に中庭を歩いていた。
昨夜の戦闘で壊れた花壇はすでに修復されている。
学園は強い。
だからこそ今まで守られてきた。
「ベル」
『なぁに』
「エスターって」
少し迷う。
でも聞きたかった。
「本当に悪い人なのかな」
ベルは黙った。
◇
長い沈黙。
そして。
『わかんない』
珍しい答えだった。
ベルは基本的に白黒はっきりしている。
でも今回は違う。
◇
『昔のエスターは違った』
『今のエスターも全部悪いとは思えない』
『でも』
ベルは俯く。
『間違ったことをしてる』
ノエリアは頷いた。
それは確かだ。
どんな理由があっても。
人を傷つけていい理由にはならない。
◇
そのとき。
「ノエリア」
声がした。
振り向く。
エイミーだった。
◇
赤制服。
相変わらず綺麗だ。
でも今日は少し疲れて見えた。
目の下にうっすら隈がある。
昨夜は眠れていないのだろう。
◇
「少しいい?」
「はい」
ノエリアは背筋を伸ばした。
◇
二人は中庭の東屋へ移動した。
白い屋根。
花で飾られたベンチ。
学園でも人気の場所だ。
◇
しばらく沈黙。
やがてエイミーが口を開く。
「昨夜」
ノエリアは頷く。
「お姉ちゃんを見た」
静かな声だった。
◇
エイミーは空を見る。
青空。
平和な景色。
でもその瞳は遠くを見ていた。
「久しぶりだった」
「……」
「すぐそこにいたのに」
少し笑う。
でも悲しそうだった。
◇
「何も言えなかった」
その気持ちはノエリアにも少し分かった。
ずっと会いたかった人。
やっと会えたのに。
言葉が出ない。
◇
エイミーは続ける。
「私ね」
少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「生徒会長だから」
「はい」
「強くいなきゃいけないと思ってた」
◇
でも。
姉の前では違う。
ただの妹になってしまう。
助けてほしかった。
褒めてほしかった。
認めてほしかった。
そんな気持ちがまだ残っている。
◇
ノエリアは黙って聞いていた。
途中で遮らない。
最近少しだけできるようになったことだった。
◇
エイミーが小さく笑う。
「不思議ね」
「え?」
「あなたには話しやすい」
ノエリアが固まる。
「私!?」
「ええ」
◇
本人は気づいていない。
ノエリアは人の話をちゃんと聞く。
否定しない。
だから自然と人が本音を話してしまう。
◇
エイミーは立ち上がった。
「ありがとう」
「いえ」
「少し楽になった」
◇
去っていく背中。
ノエリアは思う。
この人も。
本当は普通の女の子なんだ。
強いけど。
優秀だけど。
悩んでいる。
苦しんでいる。
◇
その日の夜。
学園長室。
ゴードンは一枚の古い資料を広げていた。
そこには十五年前の記録。
そして。
一人の少女の写真。
若い頃のエスター。
◇
その横には。
別の写真がある。
七歳のノエリア。
そして。
ベル。
◇
ゴードンは静かに目を閉じた。
「時間がないのう」
◇
同じ頃。
黒薔薇の庭園。
エスターも夜空を見上げていた。
隣にはカリン。
「優しかったね」
カリンが笑う。
◇
エスターは答えない。
ただ。
ノエリアの顔を思い出していた。
◇
自信がなくて。
弱くて。
でも。
誰かのために動いてしまう少女。
◇
かつての自分に少し似ている。
だからこそ。
怖かった。
◇
「間に合って」
誰にも聞こえない声。
◇
闇の中で。
エスターだけが静かに祈っていた。




