第二十五話 昇格試験前夜
昇格試験まで、あと一日。
グランドフォール学園の空気は、いつもより少しだけ張り詰めていた。
普段は華やかな中央広場も、今日は自主練習をする生徒で溢れている。訓練場からは剣の音が響き、空には移動妖精たちが忙しそうに飛び回っていた。
誰もが頑張っている。
誰もが前へ進もうとしている。
その中で。
「無理かもしれない……」
ノエリアは机へ突っ伏していた。
『始まった』
ベルが即座に言う。
「だって!」
『昨日まで元気だった』
「今日になったら怖くなったの!」
ベルは慣れた様子で肩をすくめた。
最近のノエリアはこれを繰り返している。
少し自信を持つ。
不安になる。
また立ち上がる。
以前より確実に成長しているのに、本人だけが気づいていない。
◇
昼休み。
中庭。
いつものメンバーが集まっていた。
ハイジは木剣を振っている。
ダニーはそれを避けている。
「やめろ!」
「避けれるじゃん」
「そういう問題じゃねぇ!」
フィアはベンチでサンドイッチを食べている。
平和だった。
ノエリアだけを除いて。
「顔が終わってるぞ」
ハイジが言う。
「明日だもん……」
「だから?」
理解できないという顔だった。
ハイジは本当にこういうタイプである。
試験だろうが実戦だろうが、まず突っ込む。
悩むのは後。
「お前はいいよね」
「いいぞ」
即答。
少し羨ましい。
◇
そこへダニーがやって来る。
「ノエリア」
「うん」
「目閉じろ」
「え?」
意味が分からない。
「いいから」
言われるまま目を閉じる。
次の瞬間。
ぽすっ。
頭に何か乗った。
目を開く。
星型のお守りだった。
淡い青色。
小さな剣の飾り付き。
「これ」
「去年もらった」
ダニーが笑う。
「運いいぞ」
「え?」
「俺、去年それ持って試験受かった」
ノエリアは目を丸くする。
「大事なやつじゃん」
「だから貸す」
あまりにも自然に言う。
ノエリアは言葉に詰まった。
◇
フィアが笑う。
「ダニーくん優しいねぇ」
「普通だろ」
「照れてるぅ」
「照れてねぇ!」
完全に照れていた。
ハイジが笑う。
「顔真っ赤」
「うるさい!」
いつものやり取り。
でも。
ノエリアは少し胸が温かかった。
◇
そのとき。
ジェイドが現れる。
手には紙袋。
「ノエリア」
「え?」
渡される。
中を見る。
焼き菓子だった。
「試験前は糖分取れ」
「お母さん?」
思わず言った。
ジェイドが少しだけ固まる。
周囲が吹き出した。
ダニーは大笑い。
ハイジは腹を抱えている。
フィアは涙が出るほど笑っていた。
「ジェイドくんお母さんだったんだぁ」
「違う」
珍しく少し不機嫌そうだった。
◇
その日の放課後。
特別訓練。
最後の調整。
試験内容は公開されていない。
ただ一つ分かっていることがある。
試験官はエイミー。
つまり。
手を抜くことはない。
◇
訓練場。
ノエリアは一人で剣を振っていた。
夕陽が差し込む。
何度も。
何度も。
繰り返す。
すると。
背後から声がした。
「まだやっているのね」
振り向く。
エイミーだった。
◇
赤制服。
夕焼けに染まる金髪。
やっぱり綺麗だ。
ノエリアは慌てて頭を下げる。
「こんばんは」
「こんばんは」
少し前なら緊張で固まっていた。
今は少しだけ話せる。
少しだけ。
本当に少しだけ。
◇
エイミーは訓練場へ入ってくる。
「緊張している?」
「してます」
即答。
エイミーは笑った。
「正直ね」
「隠せないので」
それも成長だった。
以前なら平気なふりをしていた。
◇
しばらく沈黙。
風が吹く。
夕陽が傾く。
やがて。
エイミーが口を開いた。
「ノエリア」
「はい」
「あなたは何のために強くなりたいの?」
突然だった。
ノエリアは少し考える。
昔なら答えられなかった。
今は。
少しだけ違う。
◇
ハイジの顔。
フィアの顔。
ダニー。
ジェイド。
ベル。
グレタ。
みんなが浮かぶ。
そして。
妖精の森で泣いていた少女。
助けられなかった誰か。
エスター。
エイミー。
色んな人の顔。
「守りたいから」
気づけば答えていた。
エイミーは静かに聞いている。
「誰かを」
「みんなを」
「それから」
少しだけ笑う。
「私自身も」
◇
エイミーの瞳が少しだけ揺れた。
その答えは。
十五年前の誰かと少し似ていた。
でも決定的に違う部分もあった。
エスターは自分を後回しにした。
誰かのために傷つき続けた。
ノエリアは違う。
弱い自分も認めようとしている。
まだ不完全だけれど。
それが希望に見えた。
◇
エイミーは微笑む。
「いい答えね」
ノエリアは少し照れる。
「ありがとうございます」
「明日」
エイミーが言う。
「私は試験官として立つ」
真っ直ぐな声。
「だから手加減はしない」
「はい」
「でも」
少しだけ柔らかくなる。
「楽しみにしている」
ノエリアの胸が高鳴る。
憧れの人が。
自分を見てくれている。
◇
その夜。
寮の部屋。
ノエリアはベッドへ寝転がっていた。
窓の外には星空。
ベルが隣でごろごろしている。
『どう?』
「怖い」
『うん』
「でも」
少し考える。
そして笑った。
「頑張りたい」
ベルも笑う。
『うん』
◇
同じ頃。
学園長室。
ゴードンは静かに窓の外を見ていた。
机の上には古い記録。
そこには十五年前の資料。
そして。
七歳のノエリアに関する記録。
ゴードンは小さく呟く。
「明日じゃな」
誰にも聞こえない声。
運命の歯車が動く音だけが。
静かに響いていた。
そして。
昇格試験当日の朝が訪れる。




