第二十一話 ベルが選ばなかった未来
妖精の森の演習は、その後すぐ中断された。
エスター出現。
それだけで十分すぎる非常事態だった。
学園側の結界管理部隊が到着し、全チームへ帰還命令が出される。森の入口では教師陣や生徒会メンバーが待機しており、普段は冷静なグレタですら珍しく険しい顔をしていた。
だがノエリアの頭の中は、それどころではなかった。
ベルの言葉が離れない。
――ぼく、エスターのパートナー候補だったんだ。
帰還用馬車の中。
いつも騒がしいダニーでさえ黙っていた。
ジェイドは窓の外を見つめている。
フィアだけがベルの様子を心配そうに見ていた。
「ベルちゃん」
『……』
「無理に話さなくていいよぉ」
ベルは小さく首を振った。
『ううん』
そしてノエリアを見る。
『話す』
その声はいつもよりずっと静かだった。
◇
その日の夜。
ノエリアたちはグレタの許可をもらい、西棟の小さな談話室へ集まっていた。
丸いテーブル。
温かい紅茶。
窓の外には学園の夜景。
本来なら穏やかな場所だ。
だが今は誰もお茶を飲んでいない。
ベルはテーブルの中央に座っていた。
小さな体が少し縮こまっている。
ノエリアは何も急かさなかった。
ただ待った。
やがてベルが口を開く。
『十五年前』
『ぼくは今よりずっと若かった』
「妖精も年取るの?」
ダニーが思わず聞く。
『そこじゃない』
全員に突っ込まれた。
少しだけ空気が緩む。
ベルも少し笑った。
そして続ける。
『エスターは特別だった』
静かな声。
『誰より強かった』
『誰より優しかった』
◇
十五年前。
エスターは学園始まって以来の天才だった。
入学時点でゴールドバッジ三つ。
当時の記録。
教師たちですら驚愕した才能。
剣術。
魔法。
判断力。
精神力。
全てが規格外。
グランドリミィジュ候補として期待されていた。
『でもね』
ベルは少し目を伏せた。
『エスターがすごかったのは強さじゃない』
『誰かを助けたいって気持ちだった』
森で迷った生徒。
失敗して落ち込む後輩。
傷ついた仲間。
誰かが困っていると必ず手を差し伸べた。
だから皆に慕われた。
教師も。
生徒も。
妖精たちも。
『ぼくも』
ベルが笑う。
少し懐かしそうに。
『大好きだった』
ノエリアは黙って聞いていた。
自然と胸が痛くなる。
今日会ったエスターからも、少しだけその面影を感じたからだ。
◇
「じゃあなんで」
ハイジが言う。
「闇堕ちしたんだ」
部屋が静かになる。
ベルの耳が下がる。
『守れなかったから』
短い言葉だった。
でも重かった。
『大切な人を』
ノエリアは息を呑む。
エスターの家族。
エイミー。
そして両親。
設定として知っている話だった。
けれど今、初めて現実味を持つ。
『頑張ったんだよ』
ベルの声が震える。
『本当に』
『いっぱい頑張った』
『いっぱい戦った』
『いっぱい助けた』
『でも間に合わなかった』
部屋に沈黙が落ちる。
誰も軽々しく何も言えない。
ベルは続ける。
『その時』
『闇が近づいた』
◇
ベルは知っている。
あの日のことを。
エスターが泣いていたことを。
誰にも見せたことのない顔で。
『なんで』
『なんで守れなかったの』
『私は頑張ったのに』
『もっと強ければ』
『もっと早ければ』
『もっと』
『もっと』
その心の隙間へ。
闇は入り込んだ。
『頑張っても意味がない』
『救えないなら全部壊してしまえばいい』
『最初からやり直せばいい』
そんな言葉を囁きながら。
◇
ベルは俯く。
『ぼくは止められなかった』
誰も何も言えない。
『だから』
『ぼくはエスターを選ばなかった』
その言葉に。
ノエリアは気づく。
ベルがずっと抱えていた後悔に。
もしあの時。
正式契約していたら。
もしグランドリミィジュになっていたら。
結果は違ったのかもしれない。
そんな後悔。
『でも』
ベルはノエリアを見る。
『今は違う』
真っ直ぐな目だった。
『ぼくはノエリアを選んだ』
ノエリアの胸が熱くなる。
ベルは続ける。
『似てるんだ』
「私が?」
『うん』
◇
自信がない。
失敗を引きずる。
自分を責める。
誰かを助けたい。
全部似ている。
だからベルは怖かった。
ノエリアも同じ道を辿るかもしれないと。
『でも違う』
ベルは笑う。
『ノエリアはひとりじゃない』
ハイジがいる。
フィアがいる。
ジェイドがいる。
ダニーがいる。
そして。
ベル自身もいる。
『だから大丈夫』
その言葉に。
ノエリアは少しだけ目が熱くなった。
◇
その頃。
学園本部棟。
校長室。
ゴードン校長は静かに窓の外を見ていた。
向かいにはエイミー。
生徒会長。
「会ったそうじゃな」
エスターに。
エイミーは拳を握る。
「はい」
声は震えていた。
会いたかった。
ずっと。
でも。
会えたのに何もできなかった。
ゴードンは静かに言う。
「焦るな」
「……」
「お主だけでは届かん」
エイミーは顔を上げる。
ゴードンの視線は遠くを見ていた。
まるで未来を見るように。
「じゃが」
「届く者がおるかもしれん」
エイミーの脳裏に浮かぶ。
ピンク髪の少女。
適正値ゼロ。
なのに何度も立ち上がる少女。
ノエリア。
ゴードンも同じ人物を思い浮かべていた。
十五年前に止まった運命が。
少しずつ動き始めている。
そしてその中心には。
間違いなくノエリアがいた。




