第十六話 夜の回廊と、言えなかったこと
放課後の自主練習が終わる頃には、空はすっかり群青に染まっていた。
西棟の回廊には星型の照明がひとつずつ灯り、床のタイルに淡い光が落ちる。昼間の賑やかさとは違う、静かでやわらかな時間だった。
「つっかれたー!」
ダニーがその場に寝転がる。
ハイジは肩を回しながら鼻を鳴らした。
「体力なさすぎだろ」
「お前がおかしいんだよ!」
フィアはくすくす笑いながら水筒を差し出す。
「はい、お水」
「神か……」
ジェイドは壁にもたれ、静かに呼吸を整えていた。無駄のない動きのまま、疲労だけが確かに滲んでいる。
ノエリアは少し離れた場所で座り込み、手のひらを見つめていた。
さっきまでうっすら光っていたものは、もう消えている。
(あの感じ……どうすれば出せるんだろう)
考え込んでいると、影がひとつ近づいた。
「冷えてきたな」
ジェイドだった。
手には予備の上着。
「あ、ありがとう……」
受け取ると、ほんのり温かい。さっきまで自分で着ていたのだろう。
「……さっきの」
ジェイドがぽつりと続ける。
「踏み込み、悪くなかった」
「ほんと?」
「ただ、迷ってる」
ノエリアは苦笑する。
「バレる?」
「動きに出てる」
容赦がない。でも嫌じゃない。
「怖いのは普通だ」
ジェイドは淡々と言う。
「でも、お前は止まらない」
その言葉に、ノエリアは少しだけ目を丸くした。
「……見てたんだ」
「全員見てる」
そう言って、前を顎で示す。
ハイジとダニーがまた言い合いを始め、フィアが間に入って笑っている。
騒がしいのに、どこか安心できる光景。
ノエリアはふっと息を吐いた。
「なんかさ」
「うん」
「みんな普通に強いよね」
ジェイドは少し考えてから答えた。
「普通じゃない」
「え?」
「それぞれ、ちゃんと理由がある」
ハイジは“負けず嫌い”。
ダニーは“認められたい”。
フィアは“誰かのため”。
マルクやルークも、それぞれ違う形で“続けている”。
「お前も同じだ」
「……私の理由?」
ジェイドは一瞬だけ視線を逸らした。
「助けに行っただろ、この前」
東棟のとき。
考えるより先に動いた。
「……あれは、たまたま」
「違う」
短く否定される。
「理由があるから動いた」
ノエリアは言葉に詰まる。
自分でも、まだはっきり言葉にできない。
そのとき、ベルがふわっと間に割り込んできた。
『ノエリアはね、“見捨てたくない”んだよ』
「ちょ、勝手に!」
ジェイドは少しだけ目を細める。
「……らしいな」
ノエリアは顔を赤くする。
「違うって!」
ベルはぷくっと頬を膨らませた。
『ほんとなのに』
「今それ言う!?」
ハイジがこっちを見て叫ぶ。
「なんか盛り上がってんじゃん!」
「違うから!」
ダニーがにやにやしながら寄ってくる。
「恋バナ?」
「違うって言ってるでしょ!」
フィアが首をかしげる。
「いい雰囲気だったよぉ」
「なんで!?」
ジェイドは静かにため息をついた。
「帰るぞ」
「逃げた!」
ハイジが笑う。
こういうやり取りが、最近少し増えた気がする。
ノエリアは立ち上がり、みんなの後ろを歩く。
回廊の窓からは、夜の学園が見えた。
中庭の灯り、遠くの訓練場、ゆっくり巡回する警備妖精。
きらきらしていて、あたたかい場所。
でも、その外には“敵”がいる。
カリンの言葉がふとよぎる。
――頑張らなくていい場所。
足が少しだけ止まる。
「ノエリア?」
フィアが振り返る。
「ううん、なんでもない」
すぐに歩き出す。
でも胸の奥に、ほんの少しだけ影が残る。
その夜。
寮の部屋でベッドに座りながら、ノエリアは天井を見ていた。
ベルが枕元でころころ転がっている。
『今日はいっぱい動いたね』
「うん」
『楽しかった?』
少し考えてから答える。
「……楽しかった」
それは本音だった。
怖さもある。迷いもある。
でも、それ以上に――
「ひとりじゃないの、いいなって思った」
ベルがぴたっと止まる。
『でしょ』
小さく笑う。
そのとき、窓の外で何かが揺れた。
カーテンがふわっと動く。
ノエリアが視線を向ける。
「……?」
一瞬だけ、庭の木陰に“誰か”が立っている気がした。
細いシルエット。長い髪。
すぐに消える。
「気のせい……?」
ベルは首をかしげる。
『何かいた?』
「……ううん」
そう言いながらも、胸がざわつく。
静かな夜。
遠くで鐘がひとつ鳴る。
学園は守られているはずなのに、どこかで確実に“何か”が動いている。
そしてそれは、少しずつ――
ノエリアのすぐ近くまで来ていた。




