第十話 ピンクの剣と放課後レスキュー
西棟の訓練室を飛び出したノエリアたちは、夕焼け色に染まり始めた学園の回廊を走っていた。
グランドフォール学園の放課後は、本来なら華やかな時間だ。中庭ではティーセットを広げる文化系クラス、芝生広場ではリボン競技の自主練習、塔の上では音楽専攻の生徒がハープを奏でる。空には小型の配達妖精が手紙を運び、花壇には季節ごとの光花が咲いている。
だが今日は違った。
東棟の方角から黒い煙が上がり、避難誘導のベルが鳴っている。楽しげな放課後の色彩の上に、不穏な影が落ちていた。
ノエリアは走りながら、自分の変身姿を何度も見てしまう。袖のレース、揺れるリボン、きらきら光るブーツ。そして手に握る桃色の大剣。
「こ、これ本当に私……?」
『似合ってるよ!』
肩の上でベルが元気よく言う。
「今それどころじゃない!」
ハイジが先頭を走りながら振り返る。
「集中しろ! 可愛いのは後で確認しろ!」
「ハイジちゃんも見てるよねぇ」
フィアがのんびり指摘する。
「見てねぇ!」
「見てたよぉ」
「うるさい!」
こんな状況でも二人の空気は変わらず、ノエリアの緊張を少し和らげてくれる。
東棟前広場へ着くと、そこは混乱の最中だった。
校舎の壁面に黒い蔦のような闇が這い、窓ガラスが割れている。取り残された生徒が二階テラスに三人。下では小型闇獣が数体うろつき、近づく者を威嚇していた。
闇獣は昨日の大型個体より小さい。犬ほどの大きさで、丸い体に長い耳のような影が生え、目だけが赤く光っている。見た目だけならぬいぐるみのようだが、爪は鋭く、床石を削っていた。
Bクラスの先輩二人が別方向の対応に追われ、この場には教師もまだ来ていない。
ハイジが拳を握る。
「よし、私が蹴散らす」
グレタの声が背後から飛ぶ。
「待て」
いつの間にか追いついていた。息ひとつ乱れていない。
「今回の目的は討伐ではなく救助だ。取り残された生徒を安全に降ろす。敵は最小限で抑えろ」
リミィジュ育成学園では、力任せに倒すだけが正解ではない。守る優先順位、被害の最小化、連携。実戦ではそれらが評価される。
グレタは即座に指示を出した。
「ハイジ、前衛。敵の注意を引け。フィア、避難導線の確保。ノエリア、二階テラスへ上がって救助。ベルは補助。私が全体を見る」
「え、私が上!?」
「変身状態のお前なら跳躍力がある」
『いけるいける!』
ベルは軽い。
ノエリアは軽くない。だが迷っている暇もなかった。
ハイジが飛び出す。
「こっちだ黒まんじゅう!」
闇獣三体が一斉に振り向く。
「誰がまんじゅうだ!」
とでも言いたげに唸り、飛びかかっていく。
ハイジは回し蹴りで一体を弾き飛ばし、拳で一体を押し返す。彼女の戦い方は一直線だが、仲間を守る位置取りが上手い。昨日より明らかに冷静だった。
フィアは校舎前の花壇へ手をかざす。
淡い水色の光が広がり、花びらのような結界が道を作った。
「こっち通ってねぇ。こわくないよぉ」
不思議な声だった。泣いていた下級生たちが、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
ノエリアは大剣を抱え、東棟の壁を見上げる。
二階テラスまでは高い。普通なら無理だ。
『いまのノエリアなら跳べる!』
「その“いまの私なら”信用していいの!?」
『たぶん!』
「たぶん!?」
グレタが低く言う。
「信じろ。自分を」
その言葉に、ノエリアは息を吸う。
昨日までの自分なら、絶対に無理だと決めつけていた。でも今は違う。怖くても、やるしかない。
一歩下がり、助走をつける。
「……よしっ!」
跳んだ。
体がふわりと浮く。想像以上に高く、軽い。ノエリアは悲鳴を上げながら二階テラスの手すりへしがみついた。
「きゃあああ!」
『成功!』
「失敗しかけた!」
上にいた生徒三人がぽかんとしている。
一年生の女子二人と、眼鏡の男子一人。制服はCクラスだった。
「Dクラスの……ゼロの子?」
「助けに来ました!」
勢いで言ったが、言った本人が一番不安だった。
黒い蔦がテラス床を這い、出口を塞いでいる。闇獣の核と繋がっているのだろう。放置すれば広がる。
ベルが指差す。
『根元を切って!』
ノエリアは大剣を構える。
まだ扱い方も分からない。でも、振ればいい気がした。
「えいっ!」
勢いよく振り下ろす。
桃色の光が走り、黒い蔦がぱんっと弾けて消えた。
「すご……」
自分で驚く。
生徒たちも目を丸くしていた。
「今のうちに行こう!」
三人を先導し、非常階段へ向かう。だが途中で、廊下の天井から小型闇獣が一体飛び降りてきた。
「きゃっ!」
女子生徒が悲鳴を上げる。
ノエリアは反射的に前へ出た。
怖い。近い。牙も爪も本物だ。
それでも足は止まらなかった。
大剣を横に振る。
闇獣は避ける。思ったより素早い。
『左!』
ベルの声と同時に、ノエリアの体が動く。左足で踏み込み、もう一度振る。
今度は当たった。
ぽん、と風船のように弾け、闇は霧となって消える。
「……倒した?」
信じられない顔で自分の剣を見る。
下へ降りると、フィアの作った光の道を通って避難が完了していた。ハイジも最後の一体を蹴り飛ばし、ちょうど片づけたところだった。
「遅い!」
「頑張ったよ!?」
グレタが周囲を確認し、短く告げる。
「救助完了。合格点だ」
ノエリアは目を瞬かせる。
「え?」
「初陣としてはな」
褒められた。
たったそれだけで、胸が熱くなる。
ハイジが腕を回してくる。
「やるじゃん、ゼロ」
「その呼び方……」
フィアが笑う。
「もうゼロじゃないかもねぇ」
その言葉に、ノエリアは少し黙った。
適正値はまだゼロのまま。けれど、自分の中に何かがあるのは確かだった。
そのとき、校舎屋上から視線を感じる。
見上げると、赤制服の少女――エイミーが立っていた。夕陽を背に、風に金髪を揺らしている。
隣にはアンナとウィリアム。
三人は下の様子を静かに見ていた。
アンナが何か言い、ウィリアムが眼鏡を押し上げる。エイミーだけは無言のまま、ノエリアを見つめていた。
やがて三人は背を向け、屋上の向こうへ消える。
ノエリアの胸がざわつく。
「……見られてた」
ハイジが振り返り、にやっと笑う。
「Aクラス様に目つけられたな」
「嫌な言い方しないで!」
グレタは歩き出しながら告げる。
「明日から訓練内容を上げる」
「ええ!?」
「戦える可能性がある以上、甘やかさん」
ベルは肩で跳ねた。
『特訓編だー!』
ノエリアは空を仰ぐ。
夕焼けの学園は、花の香りと修復魔法の光に包まれていた。可愛くて、きらきらしていて、でも容赦がない。
ここで輝くには、まだまだ足りないらしい。




