第十六話 「オバケより怖いこと」
黄昏時の空に、夕刻の鐘が鳴り響く。
一度、二度、三度……
シトリは目を覚まし、センは立ち上がった。
この鐘の音は、大祭の前夜祭の始まりを告げる鐘だからだ。
二人は記念公園へ向かう。そこに至るまでの道は多くの人であふれていた。
記念公園も多くの人であふれていた。
とにかく人がたくさんいた。
人。人。そして人だ。
「これじゃ落ち着いて飯も食えやしねえな」
「でも、どこかのお店に並ばないとごはんは食べられませんよ」
「仕方ない。人の数が落ち着くまで適当に時間を潰すか」
「そうですね。なんだか人が多すぎて、私もつかれました」
二人は記念碑の道へ進み、昨夜立ち寄った東屋を目指す。無数の明かりが灯る中央広場を離れ、森の中を通る道を行く。ところどころにある街燈が行く手を照らしてくれるが、森に囲まれた道はほとんど暗闇に包まれていた。
「さすがに人はいないな。それ以外の何かが出てきそうな雰囲気ではあるが」
「ちょっと。そんなこと言わないでくださいよ」
「お前もしかしてこの手の話は苦手なのか?」
「当たり前じゃないですか。オバケが怖くない人なんていませんよ」
オバケなんぞよりずっと危険なお前が何を言ってるんだ、とセンは言いたかった。
「そんなに怖いなら、お前だけでも向こうにもどるか?」
「もどるのはもっといやです。あんな大勢の中でひとりぼっちなんて耐えられません。うまく言えませんけど、なんていうか、すごく怖いんですよ」
「なら、進むしかないな」
広場の騒がしさから遠ざかるにつれ、森の闇はどんどん深みを増していく。
森の中にある大小さまざまな形の記念碑は、街燈の明かりに照らされてぼんやりと暗闇の中に姿を浮かび上がらせていた。
彼らは何も語らず、息をひそめ、暗闇に身をゆだねていた。
「それにしても記念碑が多いですね。いったい何の記念なんでしょうか」
「さっぱりわからないそうだ。刻まれている神聖文字は相当古いものだし、字数も少ないから解読は無理らしい。そもそも本当に記念碑なのかどうかもわからない。ただ、最後に刻まれている文字は共通しているから、何かの目的があってつくられたものは確からしいな」
そういえば、とセンは思い出す。
記念碑に刻まれている神聖文字と、よく似たような文字をどこかで見たことがあったな。
いつ、どこで、それを見たんだろう?
記憶をたどろうとした時、街燈に照らされた東屋が見えた。二人は中に入り、長椅子に並んで座った。
「やっとひと息つけましたね。オバケもいないみたいですし、安心しました」
「あら、安心するのはまだ早いわよ」
突然、背後から女の声が聞こえた。
「うひゃぁっ! で、で、出たぁっ!」
シトリは悲鳴を上げ、センに飛びつき、彼の顔面に頭をぶつける。
「いってえな、この、落ち着けって」
「ムリムリムリムリですよぉ! だって、だって、おお、おば、オバケ!」
「ばか。よく見ろ。シロだ」
「え?」
シトリは顔を上げ、声がしたほうへおそるおそる顔を向ける。
東屋の仕切り板の向こう側に、シロの姿が見えた。その隣にはユラもいる。
「シロ、さん? ユラも……え? どうして?」
「ごめんね、シトリちゃん。そこまで驚くとは思わなくて」
両手を合わせるシロに、センは抗議の声を上げる。
「ごめんですむか。こっちはこいつの頭突きをくらったんだぞ。なんでこんな悪ふざけをしたんだ」
「シトリちゃんがこわがりだってユラから聞いたのよ。それで、どれくらいなのかって気になって。ほら、可愛い子にはついついちょっかいかけたくなるでしょ。そういうことなの」
ごめんね、とシロは謝り、その隣でユラはため息をつく。
「まったくシロは……でも、こわがりだからこそ、こんなところにはいないって思ったのに」
ユラはセンをにらむ。
「シトリが自分からここに来るはずはないわ。あなたが連れてきたんでしょう。何が目的でこんなところに連れてきたんですか。いかがわしい目的ですか」
「こんなちんちくりんにそんな気が起きるわけないだろ」
「ちょ、私、今すごく侮辱されませんでした?」
「セン君は大人の女性にしか興味ないからねえ」
「余計なことを言うな」
話が変な方向に走り出したので、ユラは大きく咳払いをする。
「では、どういう目的で、こんなところに来たんですか」
「じつはかくかくしかじかでな」
「ふざけないでください!」
「なるほど。そういうことだったのね」
「シロ? まさか今ので通じたんですか?」
「セン君は出店の列に並ぶのが嫌だから、人の数が落ち着くまでここで時間を潰そうと思ったのよ」
「なんでわかるんだよ。気持ち悪いやつだな」
「そりゃわかるわよ。短い付き合いじゃないんだから」
「……それより、お前らこそどうしてここに来たんだ」
「ユラがシトリちゃんと話がしたいっていうのよ。だから、あなたたちがいそうな場所に来たってわけ。この時間ならセン君はご飯を食べにここへ来るだろうし、並ぶのは面倒だからって適当に時間を潰そうとするだろうし」
「セン様の考えが全部読まれてますね」
「単純なのよ、セン君は」
「お前らなあ」
またしても話がそれそうなので、ユラは声を張り上げる。
「とにかく! 私はシトリと二人で話がしたいんです!」
ユラはシトリをじっと見つめる。
「というわけだからセン君。私たちはその辺をぶらぶらしてましょうか」
「二人だけにして大丈夫なのか?」
「もちろん。でしょ?」
「はい。すみません、シロ。迷惑をかけて」
「気にしないで。あなたの意思を尊重することは、私が決めたことなんだから」
シロはそう言うと、センに目線を送る。
センは立ち上がり、シトリの肩を軽くたたいて、東屋を出た。




