第十二話 「その花が咲くために」
記念碑の森を抜け、社を取り囲む鎮守の森に入る。一見すれば普通の森と大差ないが、その空気は明らかに異なっていた。そこには異様な冷たさがあった。
まるで、ここから先へ安易に立ち入ってはならないと、警告を発しているかのように。
センとシトリは暗い夜道を歩くような足取りでゆっくりと前へ進む。しばらくして広大な草地が広がっている場所に出た。草地の外周をなぞるように鎮守の森の姿が見え、さらにその向こうには神都の北部に広がる雄大な山々の姿が見えた。
「社はまだ先でしょうか」
「いや、目の前にあるぞ。今は結界のせいで見えないだけだ」
その通り、と二人の正面から声が聞こえた。
「だ、誰ですか?」
シトリが驚きの声を上げる。すると、二人の正面に見える景色が波打つようにゆらぎ、そこからリクが姿を現した。
「待っていたよ、お二人さん」
「ちゃんと見えるところで待ってろよ、気持ち悪い」
「こうしたほうが結界についてわかりやすいと思ってね。さて、シトリさん。これから君には結界の裁定を受けてもらう。方法は簡単だ。僕がいる場所に向かって手を伸ばし、神言を唱えればいい。君が正しい心を持っていれば結界の内側へ進むことができる。でも悪しき心の持ち主であれば、結界にはじかれて手首がちぎれ飛ぶ。それではどうぞ」
「えっと、冗談、ですよね?」
「冗談じゃないよ」
「冗談じゃないぞ」
「冗談じゃないですよ! なんでそんな危ない仕組みになってるんですか!」
「神都の社は古の大精霊の封印そのものだからね。これくらいの守りは当然だよ。それとも君は悪しき心の持ち主なのかな?」
「もちろんちがいます。わかりました、やります。やってやりますよ」
シトリはリクのほうへ手を伸ばし、神言を唱える。すると目の前の光景が再び揺らぎ、リクの背後に壮麗な造りの社が姿を現した。その規模はもはや宮殿と呼ぶにふさわしい。だが、それすらかすんでしまうほどの存在感を示しているものがあった。
それは、社の中央にそびえたつ巨大な石碑だった。
天に向かって突きあがるかのように細長い円錐形の石碑が姿を見せており、その先端には同じくらいの大きさの円錐形の石碑が、逆さになってつながっている。その姿は巨大な砂時計を思わせた。石碑の周囲を取り囲むように木造の塔がいくつも並び立ち、それぞれの塔は無数に張り巡らされた鎖で結びつけられていて、鎖にはおびただしい数の霊符が張り付けられていた。
「これが、神都の社……」
「立派なものでしょ。でも、本当に重要なのはあの巨大な石碑なんだ。あれこそが封印の要であり、古の大精霊の力を神都全体へ行き渡らせるための起点でもある。じゃ、上ろうか」
「上るって、まさか、あの塔の上まで行くんですか?」
「塔じゃなくて石碑の最上部だよ。儀式はそこでしか行えないからね」
リクは社に向かって歩き出す。
センとシトリはうんざりしつつも、進まざるをえなかった。
社の内部も宮殿に匹敵する壮麗な造りだった。内装には伝説上の神霊や霊獣の姿を模した豪華絢爛な彫刻が施され、旧世紀の世界戦争や皇神による世界再生の神話を表現した絵画が数多く飾られている。人の気配はまるでないのに、隅から隅まで掃除が行き届いているみたいに塵一つ汚れ一つ見えなかった。
センたちは社の中心にある石碑を目指し、広々とした回廊を通って、石碑を取り囲んでいる塔の中へ入った。塔の内部にはこれといった装飾はなく、上へと続く螺旋階段が延々と続いていた。窓はどこにも見られなかったが、空気は鎮守の森と同じように清らかで、少しひんやりとしていた。
階段をしばらく上ったところで、シトリは気づく。
「妙ですね。だいぶ上っているはずなのに、全然疲れを感じませんよ」
「さっきリクが言ってた通り、ここは神都の霊力の中心だからな。自然と霊力が流れ込んでいるのさ」
「だから長い時間ここにいると、霊力の過剰摂取で肉体が崩壊しちゃうんだ」
「それって、死ぬってことですよね?」
「そうだよ。だから早く儀式をすませて出ていかないと」
塔の最上階に到着し、扉を開けて外へ出る。そこは石碑の頂上で、広々とした円形の舞台のような場所だった。床一面には聖紋らしき紋章や神聖文字が複雑な法則に基づいて刻み込まれている。吹き抜ける風は強く、シトリは少し体をふらつかせた。周囲には各塔への出入り口があるだけで壁や柵はなく、強風に吹かれればそのまま地上へ落下してしまうだろう。
舞台の中心に、一本の木が生えていた。
それはどこにでもありそうな、なんの変哲もない普通の木だった。どうしてそんなものがここにあるのか、センには見当もつかなかった。
木のそばにはフジがいた。昨夜と同じ風体で、尋常ではない悪臭を発散している。どういうわけか、フジはじっと木を見上げていた。
「フジ様。ユヅルハのシトリを連れて参りました」
リクが言うとフジは彼らに目線を向け、足音を立てず近づいてきた。センは逃げ出したい気持ちをこらえ、こっちへ来るな、来るなと心の中で繰り返す。
そんな彼の思いもむなしく、フジはセンの正面にやって来た。
フジは、星から啓示を得ようとする星読みのような真剣な眼差しをセンに向けた。
「おい、なんだよクソババア。言いたいことがあるならはっきり言え」
するとフジは悩まし気にため息をつき、もの悲し気な声を出した。
「あいユエノつみト、つみユエノあいヲ、しッテイルカ」
「わけのわからんことを言うな。お前は何の話をしてるんだ」
「だれモあいセナイ、サ、ビ、シ、ン、ボ、ウ」
「おいリク。いかれてるぞこのババア」
「大丈夫だよ。いつものことだから」
「いつものことなら、なおさら大丈夫じゃないだろ」
呆れるセンにかまわず、フジはシトリの正面に立ち、怨霊のうめき声のような声を出す。
「オ、オ、オ……」
「ひぃっ! な、なんですか?」
「わたしニモ、アッタゾォ」
フジはにたりと笑い、中央に生えている木を指さす。
「えっと、あそこへ行けってことですか?」
フジは否定も肯定もしなかった。仕方なくシトリは木のほうへ歩く。
と、その時。
「ハアアアアアッ!」
フジはシトリの胸元に手を伸ばし、首に下げている種のお守りをつかみ取ろうとした。
「やめて!」
シトリはとっさにフジの手を払いのける。
「これはユリさんからいただいた、大切なものなんです」
シトリは種のお守りを手で押さえ、フジをにらむ。するとフジは満足げに笑みを浮かべ、再び木のほうを指さした。シトリはフジを警戒しながら歩き出す。
シトリが木の正面に立つと、フジは目玉が飛び出んばかりにまぶたを開き、彼女の姿を凝視した。
「サアぁ、おどレぇ……。おどレおどレおどリナァ!」
迫りくる悪鬼を思わせるおぞましい声がシトリに浴びせられる。
「その木に向かって精霊舞を捧げるんだ。それで儀式は終わりだよ」
「それだけでいいんですか?」
「もちろん。だけどこれはとても重要な儀式なんだ。この儀式によって君の霊力と封印を結びつける『緒』がつくられる。これがうまくできなければ、大祭への参加は認められない」
「わかりました。がんばります」
「それともう一つ。君には神おろしの状態で精霊舞をやってもらうよ。かまわないね」
もちろんです、とシトリはコロンを抱きかかえ、神おろしをする。
「では、はじめます」
シトリは祭器の槍を顕現し、精霊舞を捧げる。そんなシトリを見て、リクはうなずいた。
「やっぱりユヅルハの祭器は槍なんだね」
「やっぱり?」
「伝承によると、創世の神器は槍の形をしていたそうなんだ。つまり、ユヅルハの神官は何かしらの形で神器の影響を受け継いでいるのかもしれない」
なるほど、とセンはうなずく。このことについてもっと話をしたかったが、とある存在のためにそれはゆるされなかった。
「ウ……ウゥ……ウォ、オ、オ」
フジが、泣いていた。
とにかく泣いていた。
まるで意味が分からないが、泣いていたのだ。
「なあ、リク」
センが声をかけると、リクはどこか寂し気な目を向けて、小さく首を振った。
今は、そっとしておいてあげよう。とでも言いたげな表情と仕草だった。
「オウッ! オ、オォエッ! ゲボォウェッ!」
泥酔し今にも反吐をぶちまけそうな中年オヤジのごとき声を出し始めた。本当に何かを吐き出してもおかしくはない。
センの全身を得体のしれない恐怖が無数の虫のようにぞわぞわと駆け巡る。一方、シトリは精霊舞に集中しているため、この奇怪な存在には気づくことなく、無事に精霊舞をやり終えた。祭器の槍を天に掲げ、シトリを中心に光の柱が天へ向かって立ち上り、まばゆい光が満ち溢れる。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオウグェアアアアアアアアアアアッ!」
断末魔のごときフジの絶叫が響く。やはり邪悪な存在だったかとセンは確信した。しかし光が消えると同時にフジは何事もなかったように沈黙し、真顔になった。何がしたいんだこのババアは、とセンが心の中で毒づいた時、木のそばで倒れているシトリの体ががくがくと震えだした。
「うっ! ぐ、ぐ、おぉっ……」
シトリは苦し気なうめき声を上げ、手足を痙攣させる。
「どうした、おい!」
シトリのもとへ駆け寄ろうとするセンを、リクは制する。
「大丈夫。今、彼女の魂に『緒』が結びつこうとしているんだ」
しかしシトリの様子はどう見ても大丈夫には見えなかった。打ち上げられた魚のように身をよじらせてのたうち回り、口を大きく開け、声とも鳴き声ともつかない音を出し、眼球がこぼれんばかりに目を見開いて、口から泡を噴き出している。まるで致死量の猛毒を盛られたかのような有様だ。やがてシトリは大きく体をそらし、全身から声を絞り出すような絶叫を上げ、手足を放り出したまま、力尽きたように動かなくなった。
「センはここにいて。『緒』の定着が不完全だったら、君も危険なことになるから」
リクはシトリのそばへ行き、彼女の胸元を露わにして、そっと手のひらを当てる。
「……大丈夫。儀式は無事に終わったよ」
センはシトリのもとへ駆け寄り、その有様を見て思わず目をそらした。
「ひどいな」
「仕方ないよ。この儀式は出産と同じくらいの激痛を伴うらしいからね。そりゃあいろいろと出ちゃうよ。とりあえず彼女の処置は僕がやっておくから、センは先に宿へ戻ってて。しばらくは目を覚まさないだろうし、君も少し落ち着く時間をとったほうがいいと思うよ」
「本当にシトリは大丈夫なんだろうな」
もちろん、とリクはシトリを抱きかかえ、塔の出入り口へ歩き出す。いつの間にかフジは姿を消していた。
唐突に現れたり消えたりと、いちいち心臓に悪い存在だ。
リクが去ったあと、センは中央に生えている木を改めて見た。
やはりそれはどこにでもありそうな平凡な木だった。どうしてこんなものがこんな場所にあるのか、センには見当もつかなかった。
ふと、枝に一輪の花が咲いていることに気づく。
薄い赤色の、丸みのある小さな花だった。
センはその花を見たことがあった。ただ、名前はわからなかった。
名前のわからない花を見ながら、センはため息をつく。
本当にこれでよかったんだろうか。
どれほど自問自答を重ねても、確かな答えは出ないとわかっている。
それでも、問わずにはいられなかった。




