第十一話 「捧げるものと捧げられるもの」
今までに感じたことのない猛烈な空腹感が、センを目覚めさせた。
日は昇りはじめ、名もなき鳥の声が部屋に響く。
そんなさわやかな朝の空気をぶち壊すように、センの腹が音を立てる。それに共鳴するかの如く、シトリの腹も音を立てた。なんとも間抜けな有様だ。
やれやれ、とセンが体を起こした時、部屋の戸をたたく小さな音が聞こえた。
「誰だ」
すると「しつれいします」と子どもの声が聞こえ、戸がゆっくりと開いた。
現れたのは、五つくらいの子どもだった。旅館の者が着る衣服を身に着け、かしこまった表情をしている。
「おしょくじのよういができましたので、ごあんないにうかがいました」
あどけない声だが、口調はしっかりしている。センは、シトリとユラが昨日助けたというこの旅館の子どものことをセンは思い出した。目の前にいるのが、その子なのだろう。
「わかった。すぐに行く」
センはシトリの体を軽くたたく。
「うーん……あ、センさま。おはよう、ございます。なんだか、とても、おなかがすきました。あさごはんは、まだでしょうか……」
「もうできているそうだ」
センは旅館の子どもに目を向ける。シトリもそちらを見て「あ」と声を出した。
「あなたはたしか、きのう、ユラがたすけた……」
「はい。きのうはたすけていただき、ありがとうございました」
「いえいえ、そんなそんな。ひととして、とうぜんのことをしたまでですよ。あはははは」
「笑ってないでさっさと飯を食いに行くぞ。腹が減ってどうにかなりそうだ」
センとシトリは一階にある大広間へ案内される。そこではすでに多くの宿泊客が食事をとっていた。よく見ると、そのほとんどは奉星の大祭に参加する神官とその関係者だった。
「昨日の宴もここでやればよかったのにな」
とぼやいた時、センはそれができない理由に気づいた。フジを屋内に入れたら途方もない数の犠牲者が出るうえに、二度と人が立ち入れなくなるほど建物が汚染されてしまうからだろう。
食事の前に思い出すことじゃないな、とセンはため息をついた。
「セン様?」
「なんでもない。それよりさっさと飯にするぞ」
センとシトリは席に着き、運ばれてきた食事をかきこむように食べる。
「飯を食い終わったら、すぐに社へ行くぞ。奉星の大祭に出場するための準備をしなくちゃいけないからな」
「ついに、ですね。いやあ長い道のりでした」
その道の果てにあるのが巨大な壁か断崖のどちらかなのだから、センは心の底からうんざりした。
「ところで、儀式とは何をするのでしょうか」
「封印の結界とお前の霊力を結びつけるために、精霊舞を捧げるのさ」
「でしたらコロン様も一緒でなくてはいけませんね」
シトリはそばにいるコロンを見る。
ふと、センは疑問に思った。ここにいるコロンは分霊ではなく本体である。一般的に守り神の本体は信仰を集めている土地から出ることはない。奉星の大祭に参加する神官団が連れているのは守り神ではなく、彼ら自身が契約を交わした精霊たちだ。そもそも、守り神をその守護する土地から連れ出すという発想が普通ではない。
今更すぎることだ。しかし、今の今までそれにまったく気づかなかった。
どうにも嫌な予感がする。
気味の悪い不安感を払うように、センは飯を食った。
朝食をすませた後、二人は旅館を出て社へ続く大通りを進んだ。
まだ朝の早い時間であるにも関わらず通りには多くの人の姿が見えた。そのほとんどは記念公園の中央広場へ向かう商人たちだった。彼らは大小様々な荷物を抱えたり、荷車を引いたりして忙し気に動いていた。
「朝から精が出ますね」
「今夜は前夜祭があるからな」
「前夜祭、ですか?」
「ああ。奉星の大祭には皇国中から見物客がやってくるからな。それを狙って商人や職人も集まってくるのさ。そいつらに好き勝手な場所で商売をやらせるのは面倒事のタネになるから、前夜祭ってことでひとまとめにしているのさ」
当然のことながら前夜祭に出店する者は皇都や神都から許可を得なければならず、税も納めなければならない。無許可で営業しようものなら、その場で首を落とされる。
「つまり皇国中からいろんな品が集まるというわけですね。それはなんとも楽しみです」
とシトリが言った時。
「おうおうお二人さん! どいたどいた!」
威勢のいい男の声が聞こえてきた。見ると、鉄の檻を引いた馬車が勢いよく走っている。シトリは慌てて飛びのき、センは半歩下がって馬車を避けた。
その時、彼は檻の向こう側にいるものを見た。
「なんですか危ないですね。いったい何を運んでいるんでしょうか」
「知らないほうがいいぞ」
そう言ってセンは歩き出す。その歩調はさっきよりも速かった。
「どうかしましたか?」
シトリは慌ててセンの隣に並ぶ。
「お前、普段はコロンにどんな供物を捧げている?」
「え? ええと、食べ物、ですね。コロン様は好き嫌いなくなんでも召し上がりますから」
「それが、生きた人間であってもか?」
「あはは。やだなあ。なに言ってるんですか。人間は食べ物ではありませんよ」
「それは俺たち人間にとっての話だ。神霊はちがう。神霊は力を維持するために高い生命力を持つニエを必要とするんだ。特に儀式を行うときのように力を使う場合は、生命力だけじゃなくて霊力の高いニエを必要とする。霊獣とか精霊とか、もちろん人間もな」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか……だって、神霊は、人々を守る存在、守り神なんですよ。それなのに、人間をニエとして求めるなんて、ありえませんよ」
「わかってないな。神霊と人間の関係は、契約の関係だ。神霊は人間を守る代償としてニエを求め、人間は神霊に守られる代償としてニエを差し出す。なかには人間に災いをもたらさないよう、ニエを与えて鎮めなくちゃならない神霊だって存在するんだ」
シトリは目を瞬かせる。センが言っていることが、うまく理解できないようだった。
「それに人間ってのはな、一人のニエで大勢が救われるのなら、納得してニエを差し出すことができる生き物なのさ。神霊はニエを食らうことで人間から畏れられ、ゆえに崇められ、力を得る。人間と神霊は、そういう関係なんだ」
言葉を失っているシトリに、センは続けて話す。
「この神都の住民にしてもそうだ。もし古の大精霊の封印が停止したら、住民全員の命を代償にして封印の再起動が始まるようになっている。言ってしまえば、住民全員がニエになるってわけだ」
「神都の人たちは、それを知ったうえで、ここにいるんですか?」
「そうだ。それが連中にとっての誇りなのさ。古の大精霊の封印を守ることは、皇国を守ることと同じだからな。それに、その見返りとしてここの連中は生存のために多くの特権が認められている。だから悪い話でもないのさ」
「だとしても、私には理解できません」
「お前も同じだろ。ユヅルハを守るために、自分の人生を捧げているじゃないか」
「それは私が望んだことだからです」
「ならやっぱり、お前はここの連中と同じだ」
センは立ち止まり、シトリの顔を見る。
「自分の意思でニエになることを選んだのなら、それはそいつにとっては正しいことなんだ。俺がいた里には、否応なくニエにされた連中がいたけどな」
「……その守り神は、それで満足していたのでしょうか」
「満足するようなやつじゃなかったさ。それでもニエを食わなければならなかった。人間の信仰心を得なければ守り神としての神格を失ってしまうし、守り神としての役割も果たせなくなる。そうならないためにも力を維持しなければならないし、人間のほうも神霊に力を持ち続けてもらわないと困る。なんだろうな。結局のところ守り神だって、人間を守るためのニエでしかないんだろうさ」
センは再び歩き出す。シトリもそのあとに続く。
しばらくの間、二人は言葉を交わさなかった。
中央広場で忙し気に働く人々の声が、重苦しい沈黙をにぎやかに埋めてくれた。
二人は記念碑の森に入る。彼らが進む道の所々には神聖文字が刻まれた小さな石碑の群れが見えた。ただ、それらが何を意味するものなのかはわからない。刻まれているのは旧世紀に使用されていた種類の神聖文字で、解読は不可能とされているからだ。
ここに眠っている数多の記念碑は、言葉を失くした墓標といえるかもしれない。
中央広場のにぎやかな声が聞こえなくなったところで、シトリがセンにたずねる。
「セン様の里では今でも、誰かが無理やりニエにされているのですか?」
「あの里は皇都の直隷地になった。皇神の分霊を守り神にしているから、ニエは必要ない。皇神の分霊は、本霊のほうから直接力が流れ込んでくるらしいからな」
「じゃあ、もともといた守り神は、どうなったんですか?」
「あの里の守り神は、守り神としての役目を果たせないほど力を失っていた。だから里の連中は皇都の直隷地になることを選び、守り神を始末しようとした」
「そんな。今まで自分たちを守ってくれたのに……」
「里の連中も生きるために必死だったのさ」
センは立ち止まり、傍らにある石碑に目を移し、右手を握る。
「俺が殺した」
「え?」
「五年前、俺はあの里の守り神を、殺したんだ」




