第八話 「フジ」
記念公園の中央広場には立ち入りを禁じられている特別な場所がある。そこには奉星の大祭で精霊舞を捧げるための舞台が安置されているのだ。現在は大祭の出場者にむけた宴の場として解放されている。明日にはここを中心に観覧席が設置されるため、出場者が祭壇を目に出来るのはこの時に限られていた。
二人が到着した時、すでに多くの神官や護衛の天士が集まっていた。老若男女様々な人の姿が見えるが、シトリより年少に見える者はいなかった。
「この人たち全員が神官なんですか?」
「ほとんどはそうだろうな。他は神官団の護衛にあたっている天士ってところだろう。ざっと見た感じ、五十程度は神官団が集まってるってかんじだな」
「なるほど。その頂点に立たなければならないわけですから、なかなか厳しい戦いになりそうですね」
「それでも優勝するつもりなんだろ?」
「当然です。そもそも最初から負けるつもりで勝負をする人はいませんよ。それよりユラはどこにいるんでしょうか」
「どこかにいるとは思うが、今は会わないほうがいいんじゃないか?」
「どうしてですか?」
「さっきあんな醜態をさらしたんだ。そっとしておいたほうがいいだろう」
シトリは不思議そうに首を傾げた。
やがて人々の話し声が静まり、視線が祭壇へ向けられる。
照明の法石に照らされた祭壇の上に、神都の紋章が描かれた面を被った神官たちが現れた。続いて、皇都の紋章が描かれた面を被った神官たちも現れる。
そして、彼らを従えるようにリクが姿を見せ、祭壇の中心に立った。
「我らが皇国を代表する神官団の皆さま。奉星の大祭へ参加するため遠路はるばるお越しいただき感謝申し上げます。さて、今夜はささやかではありますが、皆さまのために宴の席をご用意いたしました。間もなく開始の時刻となりますが、その前に奉星の大祭の順序について改めてご説明いたします。今回の参加が初めてだという方も少なからずいらっしゃいますので、お聞き逃しのないようご注意ください」
リクは説明を始める。とはいっても、そこまで複雑なことではない。
大祭に参加する神官は自身の霊力と封印を結びつけるための儀式を行い、封印の維持と補強のために精霊舞を捧げるというだけのことだ。
ただ、その際に神官団の精霊舞に対する審査が行われる。本来は儀式と関係のないものではあるが、これには主催者側と参加者側双方に利点があるのだ。出場する神官団は公の場で実力を示すことができ、皇国内における神官団の序列を高めることができる。
また、そのような場であるからこそ多くの観客が訪れ、大祭に対する人々の関心も高まり、それによって生み出された信仰心が封印を維持するための力の源ともなるからだ。
「……以上で説明を終了いたします。ご不明な点がありましたら、遠慮なくお尋ねください」
説明を聞き終え、シトリは「なるほど」とうなずく。
「とにかくがんばればいいんですね」
「とにかくがんばればいいんだ」
面倒だったのでセンは適当に返した。
「続きまして、皇神神官団『花組』神官長、フジ様よりごあいさつをいただきます」
すると、急にざわめきが広まった。
「フジ? フジって、まさかあの……」
「並の神官では直視すらできないというほどの力を持つと話に聞くが」
「私はその傍らに立つことすらできないと聞いたぞ」
困惑と畏怖が入り混じった言葉が次々と交わされる。
「なんだかいろいろ言われてますけど、そんなにすごい方なんですか?」
「俺も直接会ったことはないが、そいつのうわさはたまに聞くな。なんでも、人間の限界を超えた力を持っているとかいないとか」
「なんと。それはぜひとも見てみたいものですね」
シトリは興味津々という顔を舞台へ向ける。しかし、なかなか姿を見せない。
「……どうしたんでしょうか。出てきませんね」
「なにかあったのかもしれないな」
と、センが言った、その時。
背後に強烈な圧迫感をともなう異様な気配を感じた。
センはとっさに振り返り、その正体を目にする。
そこにいたのは高齢の婦人だった。ただ、婦人という言葉からはかけ離れた異様な姿をしていた。
顔のつくりは岩石を削りだしたかのように荒々しく、くすんだ色のシミがまだらに広がっている。白髪混じりの髪は伸び放題で、放棄された庭園の植木を思わせた。瞳は、まさに目玉というぐらいに巨大で、大型の草食動物を連想させる。背丈は高く、センよりも頭ひとつ分は高い。身にまとっている衣服は、衣服とは呼べないほどにぼろぼろで、便所掃除の雑巾がけにでも使ったのかと思えるほどに汚れていた。
見た目だけで判断すれば、間違いなく討伐対象である。
しかし人を見た目で判断するのはよろしくない。大事なのは心だ。もしかしたら心はとてもきれいな人かもしれないじゃないか。見た目があまりにも劣悪すぎると、逆にそういう前向きな考えが浮かぶものである。
しかしセンのそんな考えは一瞬で消滅した。
婦人の姿を目にしてから間もなく、センは両手で鼻と口をおさえ、片膝をついた。
臭かった。
汚物を鼻の奥にねじ込まれたかのように、臭かったのだ。
なんだこれは、とセンは混乱する。
この臭い。人間の限界をはるかに越えている……
少しでも気をゆるめれば、そのまま気絶してしまいそうだった。センはこの場から離れようとするが、体がまったく動かない。婦人が発する毒物のような臭いはセンの体内に侵入して腹の底にまで潜り込み、気力と体力を蝕んでいた。
まさか、こいつなのか?
その時だ。婦人は身をかがめセンの顔をのぞき込み、不敵な笑みを浮かべると、鼻の穴をぷっくぅと膨らませて息を吸い込み、大きく口を開けた。そして。
「ぶぉおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああっ!」
地獄の永久機関が轟かせる駆動音のごとき叫び声と共に、センの顔面に息を吐きかけた。
「ぐあああああああああああっ! 目が、目がああああああああああっ!」
センは絶叫し、ぶっ倒れ、のたうち回る。
臭いという感覚を突き抜けて、激痛が脳天に走った。眼球の奥が煮えたぎるように熱く、呼吸ができない。センの周囲にいた連中も続々と悲鳴を上げ、もがき苦しんでいる。
そんな地獄絵図の中にあって、なぜかシトリだけは平気だった。
「どうしたんですか、セン様。しっかりしてください」
シトリはがくがくと震えるセンの肩にふれる。
センは息を乱しながらもなんとか立ち上がって、婦人に向かって声を上げた。
「ババア、てめえ、いきなり、何しやがる……」
怒鳴り声をあげるセンに対し、婦人はなぜか満面の笑みを浮かべた。呪いの集合体のような顔面をしているわりに、その歯は純白で、歯並びも芸術的に美しかった。余計不気味だ。
婦人はすぐに真顔になり、センからシトリへ目を向ける。
「あ、あの……」
困惑するシトリを見て婦人は何度かうなずくと、何事もなかったように祭壇へ歩き出した。婦人が通ると近くにいた人々は両手で口をおおい、地面に膝をつき、頭を垂れた。
センはその様を見て、もはや歩く霊災だと恐怖を感じた。
婦人が祭壇へ上るとリクはにこやかな笑顔を浮かべ、どうぞこちらへと婦人を招く。何かしらの術式を駆使して身を守っているのだろう。
婦人は祭壇の中央に立つと、死屍累々ひしめく宴の場を見渡し、腐った泥のような口調で声を発した。
「いま、わたしヲみテ、こいニおチタもの……しょうじきニ、てヲあゲナァ……」
誰も、何も、言えなかった。
一秒、二秒と沈黙が重なり、この場の空気を押しつぶしていく。
ここに集まっているのは皇国を代表する神官たちだ。これまでに多くの死線を乗り越えてきた、歴戦の勇士たちである。そんな彼らが、一切の希望を見いだせず、絶望に打ちひしがれている。
恋に落ちただと? ふざけるな。地獄に叩き落した張本人が何を言ってやがる。
センはそう叫びたかったが、もはや彼にその気力はなかった。
「あっはっは! 恋って、あっはっは! あー、おっかしい」
そんななか、笑い声が沈黙を破った。シロの笑い声だった。べつに気がふれているわけではないらしい。彼女の笑い声はセンが学府にいた時と変わらないものだった。だからこそセンには不思議でならなかった。この状況のどこに笑う要素があるというのだろう?
シロの笑い声がおさまると、婦人は大きく目を開き、悩まし気にため息をついた。
「コォノォオオ、は、ズ、カ、シ、ガ、リ、ヤ、サ、ン、どもメェ……」
婦人の眼球に世界はどう映っているのだろうか。
婦人の耳に世界の音はどう届いているのだろうか。
それは誰にもわからない。
彼女だけの、秘密の世界があるのだろう。
婦人は満面の笑みを浮かべると、舞台から去っていった。
「以上、皇神神官団『花組』神官長フジからのあいさつでした」
何事もなかったようにリクは司会を続ける。
「それでは皆様、食事の用意ができましたので、宴をお楽しみください」
リクが手をたたくと、祭壇の上にいくつもの円卓が現れた。その上には皇国全土の美食を取りそろえた豪華絢爛な料理がずらりと並んでいる。しかし誰も手を付けようとはしなかった。無理もない。今しがた人知を超えた超常的な力と存在を目の当たりにし、圧倒されたばかりなのだ。食欲などわくはずもない。
だが、センはちがった。
「このまま、終わって、たまるかってんだ……」
足元をふらつかせながら、センは一歩、また一歩と祭壇へ近づく。
もちろん、彼にも食欲はなかった。今日一日飲まず食わずだったが、フジの「ぼあああああああ!」をくらい、食欲も空腹感もすべて消滅してしまった。だが、これで終わるわけにはいかない。このまま何も食べなければ、いよいよ敗北を認めてしまうことになるからだ。
そんなセンの前にシロが現れる。そのそばにはユラの姿もあった。
「あらあら、無理しないの。フジ様にやられたんだから、安静にしてなきゃだめだよ」
「だからだ。このまま、やられっぱなしで、終われるかよ」
はいはい、とシロは躊躇なくセンの腹に拳をくらわせる。センはうめき声をもらし、その場にうずくまった。シロはセンを軽々と抱きかかえ、シトリに言う。
「一緒に来てくれるかな? シトリちゃんやセン君と話したいことがあるの」
「えっと、私はその、かまいませんが……セン様はだいじょうぶなんですか?」
「大丈夫大丈夫。このくらいでどうこうなるような人じゃないから」
シロは楽しそうに笑い、センは恨めし気な目を彼女に向けた。




