第七話 「黄昏時のひずみ」
日没を告げる鐘の音と空腹を訴える腹の音が、センの目を覚まさせる。体を起こし、鈍く痛む頭をかく。
窓から差し込む夕陽はシトリを照らし、センを影の中へ追いやっていた。
眠っているシトリの顔を見た時、ふとセンの頭にある考えが浮かんだ。
それはとてもバカげた考えだった。しかし、センにはその考えがとても正しいことのように思えた。
その考えの通りに行動すべきだと、誰かが彼の心にささやきかけているような気がした。
そのささやきに従うように、センはシトリに向かって両手を伸ばす。
途中から、そのささやきの声が自分の声に聞こえてきた。
センの両手がシトリの頬にふれ、そのままゆっくりと首すじへと動き、止まった。
頭の中に声が響く。
その声が、センの意識と重なり合った、瞬間。
シトリの傍らで体を丸めていたコロンが目を開き、シトリの顔に飛び乗った。
「ふぎゃっ?」
シトリが目を覚ます。同時にセンは両手を引っ込めた。
今、俺は、何をしようとしていたんだ。
いや、ちがう。
何をさせられようとしていたんだ。
「あ、あれ? どこですか、ここ」
周囲を見渡して首をかしげるシトリに、センはゆっくりと話す。
「神都の旅館だ。お前の活躍のおかげで、一番いい部屋に泊まれることになった」
「なんと! それはお手柄ですね。さすが私です……って、そんなことはどうでもいいんですよ! ユラは? ユラは無事なんですか」
シトリはセンに迫り、彼の胸ぐらをつかむ。
「安心しろ。お前と同じようにケガもしてないし、疲れ切って眠ってるそうだ。戦いの後はシロや学府の連中がつきっきりで様子を見てる」
「そうですか。よかった……」
ほっとひと息ついた時、シトリの腹が空腹を訴えた。
「あはは。安心したら急におなかが空きました」
「記念公園で宴が開かれてるそうだ。そこでメシにしよう。歩けるか?」
もちろんです、とシトリは立ち上がった。
二人は旅館を出て、記念公園へ続く大通りを歩く。日は沈みかけていて、東の空には夜の暗闇が広がっていたが、商店の軒先や大通りの両端に設置されている照明の法石のため、周囲は日中のように明るかった。飲み屋や飯屋へ行く客が多いためか、この時間であっても人通りは多い。
「賑やかですね。お店もたくさんありますし、設置されてる照明の法石も多いですし」
「この大通りは社への参道でもあるからな。参拝者目当てにいろんな店があるのさ」
「なるほど。人々の信仰心が篤いからこそ、法石の霊力も十分にまかなわれているのですね」
「いや。神都の霊力の源泉は信仰心じゃない。古の大精霊だ」
「え? それって、どういうことですか?」
「古の大精霊が封印されているのは知っているだろ。だが、完全にこの世界から切り離されているわけじゃない。封印されていてもなお、古の大精霊は霊力を無尽蔵に生み出している。これを放置していると霊災の原因になるし、封印が破壊されることも考えられる。だからそうならないよう、封印を起点に都をつくって、生み出される霊力を都の生活の中で消化しているのさ。封印の維持は神都の住民に課せられた使命であり、生活を支える基盤でもある。なによりも、自分たちが古の大精霊から皇国を守っているという誇りでもあるんだ」
「なるほど。どうして古の大精霊を消滅させないのか不思議でしたが、そういう理由があったんですね」
「そういうことだ。そもそも消滅させたくても不可能な話だからな」
「どうして消滅させられないのでしょうか」
「古の大精霊は旧世紀の神とも呼ばれているから、その力は桁違いなんだろう。今の人間にはそれを消滅させる術がない。だから、うまく付き合っていくしかないのさ」
しばらく歩くと商店の姿は消え、円形の広場に到着した。広場の中央には石造りの二本の柱が建っていて、その正面にはたくさんの長椅子が扇状に設置されている。
センは立ち止まり、石柱を指して言う。
「あれは交信の術式を応用した投影の霊器だ。あの二本の石柱の間に術式を使っている場所の様子を映し出す光の膜みたいなものが生み出されるのさ」
「なんと! そんなものがあるんですね。ぜひとも見てみたいです」
「お前は見る側じゃない。見られる側だ」
「見られる側、ですか?」
「奉星の大祭の様子はあの霊器に映し出されるからな。ここだけじゃなくて他にもたくさん設置されているから、まあ十万二十万の人の目にはとまるだろうよ」
「それはまた、緊張しますね……」
シトリがかすかに声を震わせた時、二本の石柱が光を帯びて、その間に光の膜が発生した。
「わわっ! なんですか、いきなり」
「ちょうどいい。どっかの様子が映し出されるみたいだぞ」
間もなく、光の膜にどこかの広場らしき場所の様子が映し出される。しばらくして、石柱のほうから声が聞こえてきた。
「……うん。うまく起動できたみたいだね。あ、もう声も届いてるの? よし。じゃあ始めようか」
リクの声だ。やがて、妙にかしこまった表情のリクの姿が映る。
「えー、こほん。神都『カムへイクタ』の皆さま、こんばんは。私はこの度の奉星の大祭の執行役を務めます、皇神神官団『花組』神官長補佐、リクと申します。ただいま投影の霊器の動作確認をしております。ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いします」
「セン様。リクさん、リクさんが映ってます!」
「見りゃわかるさ。なにやってんだ、あいつは」
センの言葉にこたえるように、リクは話を続ける。
「それにしても今日は大変な一日でしたね。太陽の使徒の襲撃が神都のいたる所で起こったわけですから。ですが皇都や神都の神官団、そして奉星の大祭に出場するため皇国各地から集まった神官団のみなさんの活躍によって、一人の犠牲者を出すことなく鎮圧することができました」
なに言ってんだ、とセンは舌打ちをする。
一方で、広場に集まっている人々は歓声を上げて拍手を送った。彼らはどこか熱に浮かされたような目をしていた。見たところ、ほとんどは神都の外から来た人々のようである。
「神官団の活躍もさることながら、学府の学生たちも大きな貢献をしてくれました。ここ記念公園の中央広場において、学生たちは率先して人々の避難に尽力し、出現したカゲオニの討伐にも活躍しました。彼らはいかにして戦ったのか、当時現場にいた学生に話を聞いてみたいと思います。ではどうぞ」
リクは横を向いて手招きをする。しかし誰も姿を見せない。
「あれ、どうしたの? え、ああ、もちろん都中に放映されているよ。ん? 恥ずかしいって? なに言ってるの。奉星の大祭じゃもっと大勢の人の目にとまるんだよ。無理? 困るなあ。仕方ない。二人とも、無理にでもこっちに引っ張ってきて」
「ほら。大丈夫よ。私も一緒に出てあげるから」
シロの声が聞こえた。続いて、別の少女の声も聞こえる。
「もう、しっかりしてください。あなたは学府連合の副団長なんですよ」
「いや! いやです! 恥ずかしいから、やめて、やめてってば!」
駄々をこねるユラの声が聞こえた。
「あーもう、なんなのこの子は。普段こんな力でないのにって、あ、わわっ」
「団長? しっかりしてください。え、ちょ、副団長、なにを、おお?」
ユラの大声が響き、何かが地面に倒れる激しい音が聞こえた。
リクは何事もなかったように正面を向いて笑顔をみせる。
「明後日に執り行われます奉星の大祭は、この投影の霊器でも御覧いただけます。私たち一人ひとりの心から生み出される信仰心が、奉星の大祭を成功へ導くのです。それでは皆さん、奉星の大祭でお会いしましょう」
リクが一礼すると映像は終わり、光の膜も消えた。
「……ユラ。よかった。元気そうで」
たぶん今は元気じゃないだろうな、とセンはため息をついた。
「とりあえず、宴へ行くか」
はい、とシトリは元気よく歩き出した。




