第五話 「カゲオニの生まれる場所」
ユラはとっさに空を見上げる。
何かが結界を突き破り、落下してくるのが見えた。それはユラのすぐそばに落ちてきた。いや、降り立った。
それは人の姿をした、人ならざる者だった。
黄金色の長い髪。ひと回り小さな神官装束をまとった女性の体。頭からは獣の耳が生え、腰のあたりからは尻尾が生えている。
その姿をユラは見たことがあった。それは、もう二度と見ることがないものだった。そうあるべきものだった。
しかし今、目の前にそれが現れた。
呆然とたたずむユラに、彼女が声をかける。
「ユラ、大丈夫? どこもケガしてない?」
その声は間違いなくシトリの声だった。しかし、ユラにはそれが信じられなかった。
「ねえ、ユラ、ユラってば! わかる? 私だよ、シトリだよ」
シトリはユラの肩をつかむ。その緋色の瞳に、ユラは自分の姿を見た。
「……あなた、本当に、シトリなの?」
「そうだよ。よかった、やっとわかってくれた。神おろしの姿を見せるのって、これが初めてだもんね。会うのも二年ぶりだし、話したいこともたくさんあるけど」
シトリはカゲオニの群れへ目を向ける。
「まずはあれをなんとかしないと。ユラを泣かせるなんて、絶対に許さないんだから!」
「ちょ、ち、ちがうから! これはその、そう、カゲオニを直視しないためにわざと涙をにじませてただけだから!」
必死に言いわけを並べるユラにかまわず、シトリは祭器の槍を顕現する。
「待って。あの中にはカゲオニに取り込まれた人たちもいるの。むやみに攻撃してはだめ。シトリだって人を傷つけたり、殺したくはないでしょう」
「だったら、浄化すればいいんだね」
シトリは槍を天にかかげ、神言を発する。精霊舞を舞うほどの余裕はないため、自身の霊力を最大限に発揮し、浄化の光を生み出した。光に照らされ、カゲオニの元型はことごとく消滅し、カゲオニに取り込まれた人々もその支配から解放され、元の姿へもどっていく。
神おろしをしたシトリの力の前では、カゲオニの支配すらも無力であるということだろうか。
その光景を目の当たりにしたユラは、シトリの圧倒的な力に魅入られていた。
しかし一方で、彼女の心には暗い影も生まれていた。
どうして、シトリなの。
光が消えた時、広場に存在していたカゲオニは全て消滅した。
「ユラ。これでもう大丈夫なの?」
「……」
「ユラ? ねえ、ユラってば」
「え? あ、ああ。ちがうわ。まだ、残ってる」
ユラは広場に突き刺さっている禍々しい姿の御柱を指さす。
「あれがカゲオニを生み出しているの。だから、早く破壊しないと」
「わかった。すぐにぶっ壊してくる」
シトリは御柱へ向かって走る。危機を察したのか、御柱は今までとは異なる音を発した。それはうなり声というよりも悲鳴に近い音だった。耳をつんざくような高く鋭い音に、シトリは思わず立ち止まって耳をふさいだ。
「なに? なんなの、この音は」
やがて御柱からの音が消える。同時に、ユラの悲鳴が響いた。
「ユラ?」
シトリは振り返る。うずくまるユラの背後に、巨大なカゲオニの元型が立っていた。御柱と結びつくようにカゲオニの足元からは御柱に向かって影が伸びている。さらにその影は、シトリを捕らえるように曲がりくねりながら彼女の足元にも届いていた。そのことにシトリが気づいた時、足元の影から何本もの腕が伸び、食いつくようにシトリの足をつかんだ。
「なにこれ、くそっ、離せ!」
どれほどもがいても、シトリは影からのびた腕を振りほどくことはできなかった。そうしている間にも、巨大なカゲオニはユラを取り込むように覆いかぶさろうとしている。
「ユラ! 逃げて! 早く!」
しかしシトリの声は届かず、ユラはうずくまったままうわ言のように言葉を繰り返した。
「ちがう。ちがう。私は、私は、そんなつもりじゃ……」
「ユラ、しっかりして、ユラ!」
「やめて。やめて。いや。いや。そんな、そんなの、あ、あ、あ、あああああああっ!」
ついにカゲオニの元型がユラの体を包みこんだ。次の瞬間、カゲオニはユラの体に吸い込まれるように姿を消し、彼女の体は瞬く間に黒い霧に覆われた。シトリの足元に届いていた影もユラのもとへ吸い込まれ、黒い霧の密度をさらに高めていく。
そしてついに、ユラの体は完全な黒に染められた。
ユラがカゲオニに取り込まれた。
中央広場を覆っていた結界も消滅する。
カゲオニに支配されたユラは、虚ろな足取りでシトリへ近づいていく。
「ユラ……ユラを、返せ!」
シトリはユラのもとへ走り、黒い霧を払おうと槍をかまえて光を放つ。しかしさっきのようにはいかなかった。ユラの救出を阻止するように御柱がうなり声を上げ、彼女をカゲオニの支配にとどめていたからだ。それでもシトリは光を絶やさず、ユラを呼び続ける。
「ユラ! ユラ! しっかりして! あなたは強い人だって、私は知ってるよ。こんなものに負けない人だって、心を囚われる人じゃないって、私は知ってる。だから!」
シトリの意思に応じるように、光はその輝きを増す。光に抗うように黒い霧は噴き出しているが、徐々に光に圧され、かき消されていった。やがて、黒い霧の向こう側にユラの姿がかすかに見えた。
「ユラ!」
無意識のうちに、シトリはユラの姿を心に思い描いていた。
自分を妹のように可愛がってくれた彼女の姿を。
両親を亡くし、悲しみに打ちひしがれていた自分を慰めてくれた彼女の声を。
共にユヅルハの神官となって故郷を守ろうと誓った時の笑顔を。
黒い霧の向こうから、ユラの顔がはっきりと見えた。シトリは何度も彼女の名前を呼んだ。
その声にこたえるように、ユラはゆっくりと目を開く。
二人の瞳が重なった。
シトリはユラの体を抱きしめる。
その瞬間、シトリの体から光があふれ、ユラを覆っていた黒い霧を完全に消し去った。
「……シトリ」
「よかった。ユラ。よかったよぉ……」
シトリはユラを力いっぱいに抱きしめる。
「シトリ……逃げて」
ユラの視線の先には、御柱から吐き出されるように生み出されたカゲオニの群れがあった。
「まだこんなに……早く、あれを壊さないと!」
シトリは立ち向かおうとするも、わずかに歩いた先で膝をつく。猛烈な眠気が彼女の意識と体に一気にのしかかり、シトリは動けなくなってしまった。
「こんな、こんな、ところで……くそっ!」
槍を地面に突き立て、なんとか立ち上がろうとするも、すぐに眠気に圧されてしまう。意識が完全に失われるのは時間の問題だった。そうしている間にも、カゲオニの群れは迫ってきている。視界がかすみ、槍を握る手の感覚もなくなってきた。
「かかれっ!」
空から声が聞こえた。勇ましい男の声だ。その直後、空からシトリたちのもとへ飛竜騎士の一団が降下し、縦横無尽に宙を駆けながらカゲオニの群れを打ち倒していく。やがてカゲオニの群れは一掃され、御柱への道が開けた。
「セン殿! 今ですぞ!」
その声を合図に、光をまとった白い虎が御柱へむかって疾走した。虎がシトリのそばを通り過ぎた時、彼女はその背に乗っているセンの姿を見た。
セン様、とつぶやくように言ったところでシトリは力尽き、倒れた。
「シロ。俺がやりそこなったら、その時は任せたぞ」
センは霊符を取り出し、御柱を見すえる。
「大丈夫。その時はまとめてぶちのめすから」
「頼もしい限りだ」
御柱はうなり声をあげ、カゲオニを生み出す。シロはさらに加速を強め、勢いよく地面を蹴り跳躍した。センはシロの背から飛び降り、霊符を握った拳を御柱めがけて突き出す。巨大な光の拳が撃ちだされ、その直撃をくらい御柱は粉々に砕け散った。
御柱の破片が宙に舞い、断末魔のような音が響き渡る。
それを聞いた時、センは御柱の正体を確信した。
彼が聞いたその音は、数多の人間の悲鳴が重なったものだったからだ。




