第十話 「命をゆだねるもの」
結局、センは社へはもどらず大橋の遺跡で夜を明かした。
未明の空に太陽の光が微かに見え始めた頃、シトリがやって来た。
彼女はいつもと同じ神官装束をまとい、古ぼけた大きな鞄を持っている。その前をコロンは何食わぬ顔で歩いていた。
「おはようございます、セン様」
「準備は大丈夫か?」
「はい。叔父様と叔母様へのあいさつはすませました。その時に、これを預かりまして」
シトリは鞄をセンに見せる。
「母の神官装束です。奉星の大祭には、これを着て挑みます」
「そうか。神おろしをしたお前なら、ちょうどいいだろうな」
「セン様は大丈夫なんですか? なんだか少しお疲れのようですけど」
「問題ない」
そう言いながら、センは無意識に右手を握る。
「ところで、空を飛んだことはあるか?」
いいえ、とシトリは首を振る。
「だったら楽しみにしておくといい」
センは交信の術式を発動させる。
「リク。こっちの準備は大丈夫だ」
「わかった。それじゃホウキボシを送るよ」
術式を終えたところで、シトリがたずねる。
「今お話しされていたのはどなたですか?」
「仕事仲間みたいなもんだ。そいつが契約している精霊が迎えに来てくれる。でかい鳥の姿をした精霊だ。もう少し下がった場所にいたほうがいいぞ。飛んで来た時の風で吹き飛ばされて、海に落ちるかもしれないからな」
センとシトリは大橋の遺跡の手前まで下がり、迎えの到着を待つ。ほどなくして、彼方の空に鳥の姿らしきものが見えた。それはどんどん迫り、風が慌ただしく乱れ始める。やがて、猛烈な風をまといながら巨大な鳥の精霊が舞い降りた。リクの精霊、ホウキボシだ。万国章の紋様に彩られた翼を優雅に羽ばたかせながら堂々たる様子で遺跡に降り立ったその姿は、神霊のごとき神々しさすら感じさせる。少なくとも、コロンより神霊らしい。
「すごい……こちらの精霊様が、私たちを運んでくださるんですか?」
「ああ。ホウキボシはリクが契約している精霊で最も格の高いやつだ。それを迎えのために寄こすわけだから贅沢な話だ」
そう言いながらセンは慣れた動きでホウキボシの背に乗り、シトリへ手を差し伸べる。シトリはその手を握り、センの後ろへ乗った。
「両手でホウキボシの体毛をしっかり握っていろ。そうしていれば振り落とされない」
「わ、わかりました。死んでも離しません」
「よし。それじゃホウキボシよ、出発してくれ」
ホウキボシは大きく翼を広げ、鋭い鳴き声を上げる。するとその巨体は綿毛のようにふわりと浮かび、少しずつ高度を上げ、両翼を優雅に羽ばたかせた。次の瞬間、ホウキボシは一直線に空を飛んだ。その姿は空を翔るほうき星そのものだった。
「どうだ? 初めて空を飛んだ感想は」
じわじわとこみ上げる頭痛と吐き気をこらえながら、センはシトリに聞く。
シトリはまっすぐに前を見たまま、一言「すごい」と言った。
「え?」
「すごい、すごいです! 私、今、飛んでます! 空を! すごく気持ちいいです! 空を飛ぶって、こんなにも素敵なことだったんですね!」
それは純粋な気持ちを表現した、心の底からの言葉だった。
「……ああ。そうだな」
センは空を飛ぶのが苦手である。気持ちよさを感じたことは一度もない。酔いやすいという体質もあるが、一番の理由は飛んでいる時に自分の身を他者に預けなければならないということだ。
生きるも死ぬも、自分以外の誰かが決められる。
その状況がどうしても気に食わない。
しかしシトリはそんなことなどまったく考えていないのだろう。誰かに身を任せることに不安も不満もなく、ただ純粋に空を飛ぶことを楽しんでいる。
それができる彼女のことが、センはうらやましく思えた。
風の流れに乗る、というより風そのものであるかのようにホウキボシは速度を上げ、目的地に迫る。やがて海峡の先にある大橋の遺跡が見えはじめた頃、ホウキボシは高度を上げて大きく旋回しながら少しずつ速度を落とし、ゆるやかに着地した。
やっと終わったか、とセンは転がるようにホウキボシの背中から降りる。
彼らの到着を待っていたリクは、微笑みを浮かべながらセンに言った。
「お疲れ様」
「まったく、お疲れ様だ」
「そこからそこまでの距離なのに、だめなんだねえ」
「相性ってのがあるんだよ」
そう言いながら、センはホウキボシから降りてくるシトリに目を向ける。
「彼女だね」
「ああ」
リクはシトリのほうへ近づく。
「はじめまして。私は皇都の神官団に所属しているリクという者です。あなたがユヅルハにおける神官一族の本家の血統を継ぐ、唯一の人物ですね」
「え? ああ、はい。そうですけど……」
不思議そうに目を瞬かせるシトリに、リクは微笑みを崩さずに言った。
「早速ですが、あなたには皇国に対する反逆の容疑がかけられています」




