第四話 「純潔」
出発の支度を済ませ、センとシトリは家屋を出る。外にはすでに管理者がいた。
「出口まで案内するわ」
彼らは花畑の反対へ進む。山の斜面に沿ってつくられた下り坂の手前へ来たところで管理者は立ち止まった。やはりこの場所も自然豊かな心安らぐ場所であるが、管理者の目は険しかった。
「この道をまっすぐに進みなさい。しばらく進めば海沿いの道に出られるわ。でも、そこまでは決して振り返ってはいけない」
「そう言われると振り返りたくなるのが人間の性ってやつだよな」
「魂が呪われてもかまわないのなら、そうしなさい」
「冗談だって」
「海沿いの道に出てからはコロンについていきなさい。道は知っているはずだから」
「わかりました。あの、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました」
「私も、久しぶりに誰かと話ができて、楽しかったわ。それと、彼らのために精霊舞を捧げてくれたことは本当に感謝している。だから、これはそのお礼」
管理者はシトリのそばに立ち、小さな包みを差し出す。
「受け取ってくれると、うれしいのだけど」
「いいんですか? ありがとうございます」
シトリは包みを受け取る。そこに納められていたのは、首飾りらしき装身具だった。
指先ほどの大きさのガラスの器の中に植物の種らしきものが入っていて、赤、青、緑の三色の紐で結びつけられている。
「これは私の故郷の風習で、旅立つ人に種を送るの。種が芽吹き、育ち、実を結ぶように、その人の旅の目的が叶うようにと」
管理者は首飾りを手に取り、シトリの首にかける。
「貴女は故郷を守るために奉星の大祭に望むのでしょう。貴女なら成し遂げられると、私は信じている。忘れないで。貴女は一人ではない。貴女の命はとても強い思いによって守られているから。けれど、貴女はその思いを越えて、命の本来のあり方を取り戻さなければならない。その時にこそ、貴女の願いは叶うでしょう」
管理者の話をシトリは目を瞬かせながら聞いていた。おそらく、話の内容はほとんど理解できていないのだろう。
ただ、管理者が自分のことを気遣ってくれていることはよくわかった。
「わかりました。私は必ず、ユヅルハを皇都から守ります。もちろん、管理者さんが大切にしているこの花畑も。皇都には指一本触れさせません」
管理者は小さくうなずき、センのほうへ顔を向ける。
「くれぐれも代価を忘れないように。もし約束を破ったら、何が起こるかわからないから」
「心配するな。約束は守る。嘘をついたって後ろめたさでメシがまずくなるだけだからな」
「そうね。念のために、貴方にもこれを渡しておきましょう」
管理者はシトリに渡したものと同じ首飾りをセンに渡す。
「俺には必要のないものだ」
「信頼の証よ」
「そう言われると、悪い気はしないな」
センは首飾りを受け取る。
「貴方たちの旅の終わりが、幸福な結末を迎えることを願っているわ」
そう言うと管理者は二人に背を向け、歩き出した。
遠ざかる背に向かって、シトリは言った。
「また、ここに来てもいいですか?」
管理者は立ち止まり、背を向けたまま言う。
「貴女が望むのなら、私は貴女を待ちましょう」
「約束します。必ずまた、会いに来ますから」
「……私に?」
「はい」
「俺もまたあんたに会いに行くよ。あんたはとんでもなく変なやつだが、悪いやつじゃないことはたしかだ」
管理者は振り返り、センとシトリの顔を交互に見てため息をつく。
「変わり者ね。貴方たちは。まあ、かまわないわ。また会える日を楽しみにしましょう」
「ありがとうございます。そういえば、まだ私たちは管理者さんに名乗ってませんでしたね。私はシトリといいます。で、こちらの方が天士のセン様です」
そう、と管理者は目を細める。最初から知っているんだろうな、とセンは思った。
「ところで、管理者さんのお名前は何というのですか?」
「私は自分の名前を忘れてしまった。だから、管理者でいいわ」
「うーん、管理者さんがそれでいいとおっしゃるのなら、それでいいのかもしれませんけど。でも、なんだかそっけない感じがしますね」
「そう思うのなら、お前が何かいい愛称を考えてやればいいんじゃないか?」
「おお、それはよい考えですね。実は最初に見た時から頭に浮かんでいたことがあるんです」
「ちょっと、貴方たち……」
管理者が止めようとした時、シトリは言った。
「ユリ、というのはどうでしょう」
「それは、植物のユリのことかしら」
「はい。初めて見た時、ユリの花に似ているなって思ったんです。まっすぐに茎をのばし、純白のきれいな花を一輪咲かせているあの花の姿が、とても合っているなって」
「貴女は、ユリの花言葉が何なのか知っているの?」
「ハナコトバって、何ですか?」
首をかしげるシトリを見て、管理者はちいさくうなずく。
「そう、ね。これも私の故郷の風習だったわ。ええ、大丈夫。私のことは、そう呼んでかまわない。私もユリの花は好きだから」
「よかった。それでは改めて、ユリ様。いろいろとありがとうございました」
「次に会う時は、ユリが淹れた茶を味わって飲んでやるよ」
管理者は両腕を組み、微かに表情をやわらげた。
「夢を、恐れないで」
管理者は言う。
「貴方たちは生きている。生きる者の命は太陽のようにあらゆる力の源になる。だから夢を恐れたり、囚われたりすることはない。万象の夢は生きている者に直接手を出すことはできないから。だから自信を持ちなさい。貴方たちは、命を正しく使うことができるのだから」
「はい!」
シトリは笑顔でこたえる。
「正しく使うさ。俺だけのものじゃないからな」
センはそう言って、管理者に笑みを見せる。
「また、会いましょう」
管理者が言う。この言葉を最後に、センとシトリは管理者に背を向け、歩き出した。
その姿が見えなくなるまで、管理者はその場に立っていた。
二人の姿が見えなくなったところで、管理者は振り返る。
彼女の紅い瞳がとらえたのは、例の精霊の群れだった。
「命ある者たちの行く手を阻むことなど、お前たちにはできない」
管理者は、彼らに向かって笑みを見せる。
「哀れで惨めな死にぞこないの夢の残滓たちよ」
精霊の群れが一斉に声を上げる。
それは絶叫だった。無尽蔵に湧き上がる恨み、怒り、憎しみが空気を震わせる。
しかし管理者は動じない。
「東の丘にて命は燃え」
詩の一篇を詠うように、管理者は言葉を重ねる。その時、精霊の群れは管理者に向かって一挙に突き進んだ。管理者はその場から動かず、言葉を続ける。
「北の空に誓いをたてる」
精霊たちは止まらない。彼らは管理者の心臓をえぐるように手を伸ばした。
「時よ眠れミナキの大地で」
その瞬間に、精霊の大群は、一瞬で色とりどりの花びらに変化した。
花びらは風に吹かれるように空へ舞い上がり、一つたりとも残らなかった。
その光景は、世界中の四季の花束を風にのせて天空へ捧げたかのような、実に美しいものだった。
管理者は空を見上げ、微笑む。
「見届けなさい。あの二人が、どんな花を咲かせるのかを」




