第二話 「たった一人で螺子を巻く」
管理者はお茶を一口飲む。センは話の続きを待つ。
「今は彼女の心が創世の神器にわずかな影響を与えているだけよ。けれど、彼女が創世の神器との結びつきに気づき、その力の本質を知った時、彼女の心がどう変化するのかはわからない。だからこそ、最悪の事態は想定しなければならないわ」
「もしもの時は俺が始末をつける。そのために俺はあいつのそばにいるんだ」
「聖火で解決できるほど、これは単純な問題ではないの。そもそも貴方は聖火について正しく理解できているのかしら」
「正直に言うとさっぱりだ。神霊が相手でも一撃で破壊できる力ってことくらいしかわかってないな」
「その程度のものではないわ。聖火は命を破壊する力よ。それも器や魂を一切傷つけることなく、純粋に命だけを破壊するの。これがどれほど恐ろしい力なのか、想像できるかしら」
「さあな」
「聖火を人間に対して使いたいと思ったことはある?」
「ない」
「正気を保てない光景を目の当たりにしたくなければ、決して使わないことね」
「なぜかは知らんが、あんたは聖火のことを、俺より詳しく知っているらしいな。なら、教えてくれ。これは一体どういう力なんだ」
「呪われた力よ。精霊を破壊した時、霊災の元になる黒い霧が生まれるでしょう。あれは魔力と呼ばれるものなの。精霊の命が破壊され、器である霊体と魂が一瞬で分離してしまうと、それらを構成していた霊力は無秩序の状態に陥り、魔力へ変化してしまう。そして魔力は周囲の霊力を浸食し、魔力へと変化させていく。これが霊災の仕組みなの」
「そういうことだったのか」
「けれど霊災はそれほど問題ではないわ。ある程度対処法が知られているから。本当に危険なのはこの力を使った者よ。今のところ、この力を発現できる条件は一つしかわかっていない。それは、使用者の命の状態が極端に不安定になった時なの。そう、たとえば、一つの器に複数の魂が結びつこうとした時、とかね」
「俺の命のあり方が歪んでいるってのは、そういう意味か」
「覚えておきなさい。この力を使うたび貴方の命は不安定になる。そして力の対象となる相手の霊力に比例して、貴方にかかる力の負荷も大きくなるわ。あまりに大きな力を使えば、貴方自身の命のあり方も壊れてしまうでしょう。そうなれば貴方は、ただ無差別に命を破壊し続けるだけの存在に、聖火そのものに成り果ててしまうわ」
「そうか。まあ、なんとなくそうなるんじゃないかとは思ってたけどさ」
「恐ろしいとは思わないの」
「どんな形であれ、このクソッタレな世界に一泡吹かせられるんだ。なら、そうなるのも悪くはないさ」
「貴方のかたわれも同じ意見かしら」
「あいつなら、わかってくれるさ」
「なら、私が言うことはこれだけね。もし貴方が聖火に成り果てたら、その時は私が貴方を滅ぼす。魂が欠片も残らないよう、徹底的に滅してあげるわ」
「そいつは頼もしい限りだ」
「もっとも、今のところその心配は必要なさそうね。聖火であれ創世の神器であれ、心のあり方が深く関わるものだから。今の貴方たちなら、それを間違えることはないでしょう」
「どうしてそう思う」
「さあ。どうしてかしら」
「星がそう告げたのか?」
「長老から話は聞いているのね」
「やっぱりあのババアとつながりがあったのか」
センはため息をつき、机の上で両手を組む。
「念のためあんたにも言っておく。俺はシトリを助けるつもりはないし、逆に助けられるつもりもない。あいつと行動を共にしているのは、一宿一飯の恩があるからだ」
「変わった人ね。それくらいのことで、こんな面倒ごとに関わるなんて」
「それくらいのこととはなんだ。人間は飯を食わないと死んでしまうんだぞ」
「……たしかに。人間はものを食べなければ死んでしまう。すっかり忘れていたわ」
「あんたも、もとは人間だったんだろ?」
センは管理者の目をまっすぐに見る。
「私は、名前を思い出せない」
その言葉からは、少なくともかなしみは感じられなかった。
「忘れてしまったのか、それとも最初からなかったのか、それすらもわからない。自分が人間だったことを忘れてしまった者はたくさんいる。万象の夢もそう。もっとも彼らの場合は、自分たちの意思で人間であることを放棄したのだけど」
管理者の口元がかすかに歪む。
「貴方が想像する以上に、人間であることを忘れてしまうのは簡単なことよ。誰とも関わることなく、自らの心を自分の世界の中だけで完結させてしまえば、自分が何者だったかなんてすぐに忘れてしまう。じつに脆いものなの。だから真剣に考えなければならない。自分の心を見失わないためにはどうすればいいのか。貴方は考えたことがある?」
「ないな。そんなこと、考えようと思ったこともない」
「貴方と彼女は、貴方たちが考えている以上に互いにとって重要な存在になるでしょう。貴方たちが互いの心を見つめ合うことで、自分の心とも向かい合うことができる。だから貴方は彼女の結末を見届けなければならない」
「何度も言うが、俺には――」
管理者はセンに向けて人差し指を立てる。
「明日に何が起こるかなんて、誰にもわからない。神様にだってわからないわ。だから明日のことを、これからのことを否定しても意味はないの。それよりも可能性に目を向けなさい。それも消去法で可能性を狭めるのではなく、演繹的に可能性を広げなさい」
「……努力するさ」
「期待しているわ」
その時、午前零時の到来を告げる柱時計の鐘が鳴った。
管理者は柱時計のそばへ行って、螺子を巻いた。
「どうして時計のネジなんか巻くんだ。ここにはあんたしか住んでいないんだろ」
「人を待っているのよ」
管理者は螺子を巻き終え、時計の針の位置を確認する。
「その人がここへ帰って来た時、その時刻は私にとって特別なものになる。だから私は、その時が来るまで、螺子を巻き続ける」
そうか、とセンは言った。それ以外には何も言えない。
管理者は謎に満ちた存在で、彼女に対して問いを重ねても謎はさらに深まるばかりだと思ったからだ。
それでも、わかったこともある。
管理者が生きているということだ。
「貴方には、私がどんな存在に見えるのかしら」
センの心を察知したように、管理者は問いかける。
「美人だな」
「そう」
「あんたの待ち人は幸せなやつだ。こうして一途に待っていてくれる人がいるんだから」
「いいえ。あの人を待ち続けているのは、私自身のためでもあるの。そうしていることで、私は私の心を見失わずにすんでいるのだから」
「待ち人が現れたら、あんたはその後どうするんだ?」
「その時のことは、その時になってから考えるわ」
管理者は立ち上がり、部屋から出て行った。
その時になってセンは気づいた。
自分はどこで眠ればいいのか、聞いていなかったことに。
大切なことは、いつだって手遅れになってからでなければ気づけないものなのだ。
まあいい。
寝ようと思えばどこだって眠れるんだ。
センは椅子を横に並べ、その上に寝転がる。
目を閉じて、意識をゆっくりと眠りの世界へ沈めていく。
そのうちに、センは管理者が言っていた命のあり方について漠然と考えていた。
正しい命のあり方とは、なんだろうか。
しかしすぐに、そんなことを考えても意味は無いと思った。
センにとっては、今生きていること自体が間違っているように思えたからだ。




