第十六話 「水平線の幻のように」
コロンを先頭に二人は歩き続ける。途中で禁と同じような洞窟を通ることも度々あったが、センもシトリも不調は感じなかった。どうやら禁にあたるのは最初の洞窟だけらしい。
「ところで、最後の神殿にはどんなバケモノが待ち構えているんだ?」
「大丈夫ですよ。遺跡の神殿にいるのは私の叔父と叔母です。両親が亡くなってから私が十歳になるまで面倒をみてくれた、とてもいい人たちです」
「そうか。なら突然海に放り込まれたり、崖みたいな山道を登らせたりする心配はないな」
「もちろんです。ただ、これからお会いする聖域の管理者というのがどんな方なのかはわかりませんので、そこは私も不安ですね」
「前の神殿にいた半神たちが言うには、聖域を通るにあたって対価を求めるそうだ」
「なるほど。でもそれは仕方ありませんね。私たちは聖域を通るわけですから、それに見合う対価は支払わなければいけません。求める者は対価を払い、与える者は対価を求めなければいけませんから」
「ずいぶんと現実的な考え方だな」
「古よりユヅルハの民が受け継いできた教えです」
「それはまた大げさな」
「そんなことはありません。旧世紀に古の大精霊が暴走したのは、人々の願いを対価なく無制限に受けいれすぎてしまったことが原因なんですよ。ですから」
「暴走? ちょっとまて。古の大精霊ってのは争いを繰り返す人類を罰するために顕現した旧世紀の神のことだろ? 暴走ってどういうことだ?」
「あ」
シトリは言葉を詰まらせ、気まずそうに下を向く。
「えっと、その、すみません。さっきの話は、忘れていただけますか?」
「おいおい、今さらそれはないだろ」
「ですよねぇ……ええと、これはその、ユヅルハの民だけの言い伝えというか、その……」
どうやら外にもらすと都合の悪い話だったようだ。
「わかったよ。聞かなかったことにしてやる」
「すみません。でも、セン様にはいつかお話ししたいと思います。私たちユヅルハの民が受け継いできた歴史……皇都に歪められていない、本当の皇国の歴史を」
「なぜそれを俺に話したいんだ?」
「セン様が特別な方だからです」
「俺はどこにでもいるしがないその日暮らしだぞ」
そう言ってセンは歩き出す。しかしシトリは動かない。
「聖火を使える方を、私は他に知りません」
センは歩みを止め、シトリのほうへ振り返る。
「いつから知っていた」
「セン様がユヅルハへ来る前です。ミハラ様から教えていただきました」
「聖火がどういう力なのか、お前は知っているのか」
「詳しいことは知りません。浄化でもなく、滅殺でもない、特別な力だというくらいです」
「なるほど。実を言うと、俺もよくわかってないんだ。相手が精霊ならたとえ神霊であっても一撃で破壊できるってことと、その精霊の力に応じた規模の霊災が発生するってことくらいだ。正直なところあまり使いたい力じゃない。霊災は厄介だし、そもそもこんな得体の知れない力なんか気味が悪くてしょうがないからな」
「セン様は、どうして聖火を使えるようになったんですか?」
「それもわからない。十三の時に使えるようになっただけだ」
そうですか、とシトリは目線をわずかに下げる。
「……まあ、この力のおかげで今のところ飯のタネには困らないけどな。封官長からこの力のことを聞いてるんなら、俺がどういう仕事をしてきたのかも知っているんだろ?」
「はい。依頼を受けて、その地を守る神霊、守り神を弔ってきたとお聞きしました」
「弔ったんじゃない。破壊したんだ。依頼した連中はみんな口をそろえて言うのさ。あの忌々しい役立たずの精霊を破壊してくれってな。まったく、気の毒なもんさ。お前も知ってるだろうが、ここ数年は霊災の発生や精霊やら霊獣やらの異霊化が激しくてな、古くからの守り神ではそれに対処できない事態が増えてきた。だからそういう土地の連中は、皇神の分霊を新しい守り神として迎えることを望むようになる。その結果、不要になった守り神を破壊してくれっていう依頼が次々にやって来るのさ」
「守り神たちは、その運命を受けいれたんですか?」
「ああ。今まで守ってきた連中に見捨てられても、それでもそいつらが生き残れるのならと自分たちの運命を受けいれてたよ。守り神になる神霊ってのは、だいたいがそういう性分なんだろう」
「やっぱり、そうだったんですね」
シトリの声は暗く沈んでいた。
この時、センはあえてあることは言わなかった。
シトリにとってそれは心苦しいことになると思ったからだが、その判断は正しかったようだ。
シトリは顔を上げ、センの目をまっすぐに見る。
「でも、だからこそ知ってほしいんです。ユヅルハが受け継いできた本当の歴史を。守り神を弔ってきた、あなたに」
センとシトリは聖域を歩き続ける。二人を導くようにコロンは進み続ける。
太陽は優しく地上を照らし、山々を彩る緑は風にのせて芳しい香りを届けてくれる。海は静かに波をうつ。まるで時の流れを穏やかに刻むように。
平和だ、とセンは思った。
何の根拠もないが、こんな平和な時間がいつまでも続くとセンは思っていた。
自分の運命に関係なく、世界は平穏のうちに動き続けるのだと。
しかし、遠くない未来にここは戦場になっているかもしれない。
その根拠はあるし、その危険性もある。
センは自分の少し前を行くシトリの姿を見た。
シトリの白い髪は日の光を受けてかすかに輝き、そよ風に吹かれては心地よくなびいた。古の時代より受け継がれてきたであろう神官装束をまだ幼さの残る体にまとい、守り神と崇める神霊に導かれて前へ進む。
シトリの姿を見ているうちに、ふと、センは思った。
彼女は本当に、神官であることを望んでいるのだろうか。
神官であることは、本当に彼女の意志によるものなのだろうか。
自分以外に神官となりえる者がおらず、だからこそ自分が神官であるしかないと思っていても不思議ではない。周囲に求められているから、神官にならざるをえなかったということもありえないことではない。
自分の意志と、周囲が自分に求める姿の境界に、世界に求められる自分の姿はあるのだ。
人間とは、誰だってそういうものなのだろう。




