第十三話 「紅い輝き」
センは温泉につかり、空を見上げてため息をつく。
シヅキの言った通り、つかり始めた時はかなりの熱さを感じたが、だんだんと心地よさが増してきた。疲れ切った体に新しい活力が沸いてくるのを感じられる。
頭はうんざりするほど疲れて重くなっているというのに。
「……まあ、明日のことは明日の俺が考えればいいか」
なんともだらしない発言だが、そうでも思わなければ人生はやっていけないのだ。
そんなことを考えているうちに、お湯の熱が感じられなくなってきた。そろそろ出る頃合いなのだろう。と、その時だ。
センのもとへ近づいてくる足音が聞こえた。
シヅキがもどってきたのだろうかと思い、立ち上がってそちらへ顔を向ける。
そこにいたのは、シトリだった。当然のように、衣服は何も身に着けていない。
うす暗さに慣れているセンの目は、シトリの裸体をはっきりと見ることができた。
普段のセンであれば驚きの声を上げるところだろう。だが、この時に彼の口から出たのはため息だった。腹の底からうんざりしていることがよくわかる、長くて重いため息だった。
「ちょっと! なんなんですか、その反応は!」
「……いろいろありすぎて、疲れてるだけだ」
「だからって人の顔を見るなりため息をつくなんてひどいです。まったくもう」
「ていうか、お前は驚いたり騒いだりしないんだな」
「それはそうですよ。セン様がここにいると、さっきシヅキ様に教えてもらいましたから」
「俺に用でもあるのか?」
「えっと、その、ツナのことです」
センはシトリと向きあう。彼女の瞳の紅い輝きを、センは確かに感じとる。
「ツナは、一命は取り留めたものの、狂霊化のおそれはまだ残っているそうです。しばらくはここで様子を見なければいけないようで、イクハ様とシヅキ様に預かっていただくことになりました。なので、奉星の大祭へは連れていけません」
「そうか。奏者が不在で奉星の大祭に出ることがどういうことか、わかっているのか?」
「わかっています」
「……だったら、俺は、最後までお前と一緒に進むだけだ」
「はい。ありがとうございます」
「ひとつ、聞きたいことがある」
「なんでしょうか」
「例の異形の精霊が同時に複数出現したことは、今までにあったのか?」
「いえ、私が知る限りでは、一度もありませんでした」
「そうか。なら、今回は運が悪かったってことか」
もちろんセンはそんな風には考えない。
長老が言っていたように、異形の精霊がシトリの心から生み出されたものならば、なぜ今日は続けて出現したのか。センはそれを知りたかった。
「ところで、明日は分霊を生み出す儀式をやるんだろう。早めに休んだ方がいいぞ」
はい、とシトリはうなずく。センは温泉から出て彼女のそばを通った。
ふと、センは足を止める。
シトリのほうへ振り返り、その背中を見た。
その瞬間、彼は、言葉を失くした。
シトリの背中は、複雑怪奇な聖紋らしき紋様で覆いつくされていた。紋様は彼女の瞳と同じく、ほのかに紅い輝きを帯びていた。
「セン様?」
シトリが振り返る。普段と変わらない、あどけない表情だった。
「いや、なんでもない。その、今回のツナのことは、お前の責任じゃない。あの精霊が一体ずづでしか現れないと勝手に思い込んでいた、俺の判断が間違っていたんだ」
センは動揺をごまかそうとするあまり、つい本音を口にする。
「だから、あまり自分を責めるな」
そう言ってセンは置いていた衣を取り、逃げるように去った。
石段を半ばあたりまで下りたところで立ち止まり、衣を身に着けながら考える。
あの精霊が続けざまに現れたのは、シトリがそれを心のどこかで望んでいたからだろう。
ではなぜ、そんなことを望むのか。
彼女は奉星の大祭で優勝することを望んでいるはずだ。それならば、奏者の存在は必要不可欠であるし、ツナを失うことなど望むわけがない。
あるいは、あの精霊が出現する条件について、まだ把握できていない要素があるのかもしれない。
いや、それよりも。
背中に浮かんでいた、あれは何だ。あんなもの、見たことも聞いたこともない。
あいつが普通の神官じゃないことはわかっているし、普通の人間じゃないことも容易に想像できる。背中のあれも、あいつの普通ではないものに関係しているのだろう。
しかし、さっきの様子を見る限りでは、あいつ自身はそれに気づいていないようだ。
つまり何者かがあれを刻みつけたということになる。
なら、誰が、何の目的でそんなことを。
センは頭を振る。
どれだけ考えても確証を得るだけの判断材料がない以上、無意味なことだ。
それでもセンの頭からは、シトリの背中に浮かんでいたあれが離れなかった。
何より異様だったのは、あの紅い輝きだ。
あれはまるで、それ自身が生命を宿しているかのようだった。




