第十二話 「人間の鼓動」
センがたどり着いた場所は、手ごろな大きさの岩で囲まれた露天風呂だった。灯りはないが、月と星々の明かりが周囲をおだやかに照らしている。センは衣を脱ぎ、岩の上に置いてある桶を取ってかけ湯をした。湯の暖かさが体の奥に浸透し、疲労が消えていくのを実感する。十分に睡眠をとり、朝日に照らされながら目を覚ますような、爽快な感覚だった。
「なるほど。たしかにこれはいいな」
「当然だよ。ここはユヅルハで最も力のある霊泉なんだから」
背後からシヅキの声が聞こえた。振り返ると、そこには一糸まとわぬ姿のシヅキがいた。
「お前、なんの、真似だ……」
「あのさあ、そういう気持ち悪い反応はしないでくれる? お前も知っての通り、私はお前とは桁違いの時間を生きているんだからさ」
「いや、そうは言ってもだな」
「いいから、おとなしくしてな。今、体を洗ってやるから」
「体くらい一人で洗える。ガキじゃないんだから」
「え? もしかして、イクハは言ってなかったの? ここのお湯は本当に強力だから、下手に浴びたり浸かったりすると、霊力が過剰に流れ込んで魂がぶっ壊れちゃうんだよ」
「マジか」
「マジだよ。例えるなら、ごはんを食べ過ぎておなかを壊すのと同じだね。だから普段は封印しているんだよ。獣が勝手に入って来たら、ほぼ間違いなく狂霊化するからさ」
シヅキはセンの隣に立ち、桶に湯をくんで、手拭いをつける。
「ここのお湯は、少しずつ体に馴染ませなくちゃいけないんだ。まあ、お前程度の力がある天士なら、少しくらい浸かっても大丈夫、のはず」
シヅキは手拭いを絞り、センの体を拭いた。
「やり方はわかった。あとは俺一人でやる」
「だめだよ。これも私の務めだからね」
「務め?」
「そう。男の傷や疲れを癒すのは、女の務めなんだよ」
「そういう、ものなのか」
「そういうものだよ」
「じゃあ、男は女に何をすればいいんだ」
「女の傷を背負うことさ」
シヅキはセンの背中に手を当てる。その手は少女のように柔らかく、小さかった。
「お前には、あの子の傷を背負ってほしい」
「俺にそんな気はないぞ」
「ならどうして、お前はあの子と一緒にここまで来たんだ? これから先もあの子と共に進もうと考えているんだ?」
「創世の神器を暴走させないためだ。そんなことになったら、俺だって無事ではすまないからな」
「そうかい」
シヅキは小さく笑う。
「そもそも俺は――」
突然、シヅキがセンの背中に自分の体を重ねる。
センは息を詰まらせ、声も出せなかった。
濡れた体に密着するシヅキの肌はなめらかで、柔らかく、暖かい。
センの心臓は狂ったように鼓動を打ち鳴らす、
しかし、シヅキのぬくもりのおかげだろうか。彼の鼓動は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「聖火を使ったせいで、お前の体をめぐる霊力の流れは乱れている。だから、それを正さなくちゃいけない。これはそのための治療みたいなものさ。だから、こわがらなくていい」
「こわがってなんかないさ」
「そうかい」
シヅキは抱きしめるようにセンの胸に両手を当てる。
「私の鼓動を感じて、意識をゆだねるんだ。私の鼓動は人間だった時と同じものだ。そう、人間の鼓動をお前は取り戻さなくちゃならない。大丈夫。すぐによくなるからね」
語りかけるシヅキの声は、幼子をあやす母親のように優しかった。
「お前はたくさん傷を持っているね」
「生きてればいやでも傷だらけになるさ」
「そうだね。でもお前は、傷を癒すことができていない。自然に治る傷もあれば、誰かの力を借りなくちゃ治らない傷だってある。特に、心が負った傷はそうだ」
「治っていない傷があるなら、それは俺が背負うと決めた傷だ」
「お前が背負うべきものは他にもあるさ。そのためにも、お前は今の傷を治さなくちゃいけない。なにより、お前はあの子の傷を背負うべきだ。それが、お前だけでは癒せない傷を癒すことにつながるのさ」
シヅキはセンから離れる。
「もう大丈夫だね。あとはゆっくり温泉につかってなよ。最初は熱いけど、だんだん気持ちよくなってくる。でも、熱さを感じなくなったらすぐに出るんだ。わかったね」
シヅキは影のような微笑みを残し、去っていった。




