第九話 「聖なる炎」
黄昏時の橋の上、ぽつんと立つ、異形の精霊。
「ハチ!」
叫ぶと同時に、センは異形の精霊へ向かって走った。
ハチはすぐに状況をつかみ、異形の精霊の姿をとらえ、大きく柏手を打つ。精霊の足元に陣が浮かび、光の鎖が現れて精霊の手足を拘束した。センは精霊と距離を詰めながら、懐から取り出した霊符を握り締め、拳を前へ突き出す。その拳から巨大な光の拳が現れ、猛烈な勢いで飛び、精霊に直撃した。精霊の上半身は粉々に砕け、下半身は地面に転がった。
しかしこれで脅威が去ったわけではない。砕けた精霊の残骸は霊災へと変化し、形をとどめている下半身は元の姿へと再生し始めていた。
「神おろしだ! 早く!」
呆然としていたシトリとツナは、慌てて準備をはじめる。
「いくぞ、シトリ」
ツナに言われ、シトリは神おろしを始める。そうしている間に精霊は再生を終え、センに襲いかかった。センは神おろしが終わるまでの時間稼ぎに集中し、ハチは結界を構築して霊災の拡大を防ぐ。
「セン様!」
シトリの声が聞こえ、同時に巨大な霊力の気配を感じた。センは霊符を使って再び光の拳を生み出し、精霊を粉々に破壊する。神おろしの状態となったシトリは、すかさず祭器の槍をかかげて、精霊の残骸を一つ残らず浄化した。
精霊舞をともなわない、純粋にシトリの霊力だけでの浄化は、相当の負担になる。しかしシトリは休むことなく、ハチが封じている霊災の浄化もやり遂げた。
「これで、もう、だいじょうぶ、ですね……」
霊災が浄化された様子を見届けると、シトリはその場に倒れ、神おろしも解かれた。
「シトリ!」
ツナは急いでシトリのもとへ走る。
だが、すぐに彼の足は止まった。
何かが、彼の足首をつかんでいた。
前のめりになって倒れたツナの足元から、それはゆっくりと姿を現した。
水底から音もなく現れる亡霊のように、異様な迫力を見せつけながら、それは現れた。
異形の精霊だ。
地面から現れた異形の精霊はツナの足首をつかんだまま、彼の体を紙風船のように軽々と宙へ放り投げた。
「ツナ!」
シトリが叫ぶ。しかし彼女の体は動かない。
神おろしに加え、強引に力を使って異形の精霊と霊災を浄化したために、もはや彼女の力は限界に達していたからだ。
落下するツナを受け止めるため、ハチはすぐに結界を構築する。
しかしその瞬間、精霊の体が弾け、黒い霧の柱が一気に立ち上り、ツナを結界もろとも飲み込んだ。
黒い霧の柱は少しずつ形を変え、人の姿になった。巨人族のように大きな背丈で、頭部には赤く輝く聖紋らしきものが浮かんでいる。
異形の精霊に、ツナが取り込まれた。
センはシトリに目を向ける。
その顔からは、もはや彼女にツナを助ける気力がないことが明白だった。
「ハチ」
センは懐から小刀を取り出し、自身の胸元に浮かぶ聖紋に勢いよく突き刺した。
刃は肉を突き破り、血管を切り裂き、骨を削る。
激痛がセンの意識を破壊する。
本能が生命の危機を訴え悲鳴を上げる。
崩れゆく意識の中、センは自分の命が消えていく瞬間を感じた。
視界から光が消えていく。
彼が最後に見たものは、駆け寄ってくるハチの姿だった。
センが光を失う寸前、彼の目は淡い輝きを帯びたハチの姿を見た。
彼らが互いの体を重ねた時、それぞれの命は調和し、新たな命の形となった。
聖なる炎
生命の灯火
この時、シトリが目にした光景は、彼女の理解を遥かに超えたものだった。
センが自分の胸を小刀で突き刺し、鮮やかな血があふれ出たかと思うと、彼のもとへ駆け寄ったハチが光を発してセンの聖紋に取り込まれ、彼らはまばゆい光に包まれた。
光が消えた時、そこにはセンの姿もハチの姿もなかった。
かわりに、人の形をした何者かがそこにいた。
ただ、その何者かには、センとハチの面影があった。
しかしそれを見た瞬間、シトリは今まで感じたことのない恐怖を感じた。
彼女の本能が、目の前に現れた存在はこの世界にあってはならないと訴えていた。
衣がはだけて露わになった上半身からは死者のような蒼白の肌が見え、表面には全身をめぐる血管のように紅い聖紋が浮かび上がっている。瞳は金色に輝いているが、まるで生気が感じられない。髪は色油で染めたように黒く艶やかで、頭には神々しささえ感じられる巨大な二本の角が生えていた。まとっている衣はハチが身に着けていたものと同じ古の神官装束で、両手両足には鉄枷が、首には首輪がはめられている。
生きている死体、という言葉がシトリの頭をよぎった。
その瞬間、シトリはその何者かと目が合った。
恐怖のあまり悲鳴を上げそうになるも、声は一切出ない。尋常ではない恐怖と圧迫感が彼女の胸と喉を押し潰し、呼吸すら満足にできないほどに追い詰めていた。
「そこを動くな」
センとハチの声が重なった、不吉な響きの声だった。
何者かは巨大化した異形の精霊と向きあい、大きく両手を広げ、目を閉じた。すると、右手には白く輝く炎が、左手には黒く輝く炎が生み出された。
危険を察知したのか、異形の精霊は何者かに向かって大きく拳を振り下ろす。
その拳が直撃する寸前に、何者かは神言を発した。
夢と現の
鐘が鳴る
柏手を大きく打つ。
白と黒の炎が弾ける。
飛び散った無数の火花は、その宿命を果たすように、異形の精霊へ襲いかかった。
火花をくらった精霊は、泡のように膨れ上がって、断末魔を上げるひまもなく、四方八方へ飛び散った。




