第五話 「悪夢のような現実風景」
美しい夕空の下、白砂が広がる浜辺にて。
筋肉の権化というべきほぼ全裸の大男に海へ投げ込まれる。
まったくもって意味不明だが、事実なので仕方ない。
さて、海にぶち込まれたセンとハチであるが、潮の流れに囚われたり海獣に襲われたりすることもなく、どうにかこうにか浜辺へもどることができた。
息も絶え絶えになりながら、センはハダに抗議の声を上げる。
「てめえ、いきなり、なに、しやがる……ぶっ殺すぞ、おい」
「がっはっはっ! ぶっ殺すとは穏やかではないな。だが、活きがいいのはよいことだ!」
「ちょ、ほんま、うちらになんの恨みが……」
「恨みなどあるわけがなかろう! そもそも今しがた出会ったばかりではないか!」
会話が成立しているのかあやしい人物である。
「とりあえず理由を話せ。殺すのはその後にしてやる」
「おぬしらが海から帰ってこられるかどうか確かめた。それだけだ!」
こいつはだめだ、とセンはシトリのほうへ顔を向ける。
「ええとですね、まず、ここの海は普通の海ではありません。神殿を守るために結界が構築されてまして、邪念を持つ者が海に入ると潮の流れに囚われて、海獣に食い殺される、という仕組みになっているとても危険な海なんです」
「そのとても危険な海に有無を言わさず放り込まれたんだが」
「御二方なら大丈夫だと、私は信じていましたよ」
その笑顔に嘘偽りの影はなく、センは仕方なく口を閉じた。
「さて、シトリよ。あとはコロンの分霊を生み出すだけだな。準備はよいか」
「はい。神殿の開放はよろしいでしょうか」
「問題ない。いつでもいけるぞ」
「わかりました。ではさっそくお願いします」
「よしきた!」
ハダは大きく手を叩き、調子を整えるように骨や筋肉を入念に動かす。
「神殿の開放って、見たところどこにもそれっぽいものは見えないぞ」
「分霊をお祀りする神聖な場ですから、普段は人目につかないよう封印しているんです」
「よぉしっ! いくぞぉっ!」
ハダは雄叫びを上げながら海へ向かって突っ走る。
「いよぉぉぉやっさぁああ、ええやっさぁっ!」
波打ち際まで来ると勢いよく跳躍し「ほぉいっ!」と気合を発しながら、海面に向けて大きく拳を振り下ろした。ハダの拳が海を大きく砕いた瞬間、海は穴を穿たれたように割れ、海底が露わになる。そこには、舞の舞台と思われる巨大な円形の台座があった。石造りの舞台は海の中にあったとは思えないくらい劣化しておらず、シトリが言う通り神聖な場であることを感じさせる。
ハダは台座の中心に立ち、堂々たる仁王立ちを見せた。
神聖な舞台の中心にふんどし一丁の巨漢が立っているというのも奇怪な光景である。
「ふうぅぅぅ…………ほわああああああああああああああああああああっ!」
海を押しのけるようにハダは両腕を広げ、気合を発する。その気合に圧され、海は静止した滝のように動きを止め、シトリがいる浜辺から舞台までの道が出来上がった。
「行こう、ツナ」
シトリはコロンを抱きかかえ、ツナと共に舞台へ進む。二人が舞台の上に立つと、舞台はゆっくりと浮上し、海面から人一人分ほど高い場所で静止した。海は再び動きはじめ、ハダの発する気合の声はますます激しさを増していく。
シトリは舞台の中央へ進み、ツナの祝歌に合わせて精霊舞を捧げた。
通常、神霊の分霊を生み出す儀式には途方もない霊力と時間を要する。加えて、そのための儀式で祝歌の初歩中の初歩であるシキを用いることはまずありえない。儀式の種類に応じて、それに適応した位と主題、詞の祝歌を用いることが一般的だ。豊穣の儀式を行う際に戦を主題にした祝歌を奉じても効果はあまり期待できない。
祝歌とは、神官と精霊の心が儀式の目的に向けて一体化するためのものなのだ。
しかしそれは、あくまでも儀式を行えるだけの霊力がある場合の話だ。そもそもの祝歌の役割は、神官の霊力と精霊の霊力を調和させ、より多くの霊力を引き出すことである。
言いかえれば、膨大な霊力があれば祝歌がなくても儀式を行うことは可能なのだ。神おろしの状態となったシトリならば、祝歌がなくても儀式を行うことができるだろう。
そんな彼女だからこそ、初歩中の初歩であるシキであっても神霊の分霊を生み出すという最高位の儀式を行うことができるのかもしれない。
補足すると、シキは祝歌の原典のひとつに数えられている。数多ある祝歌はいずれも原典とされる祝歌から生み出されており、シキにはあらゆる儀式に応用できるという汎用性があるのだ。つまり、それだけ単純であるということなのだが。
そのことはセンも学府で学んだときに教えられた。
神霊の分霊を生み出す儀式が、神おろし同様に高位の儀式であるということも。
やはりあいつは、特別な存在なのか。
「ほああああああああああああああっ! ふんぬううううっ! おおおおおおおおおっ!」
人の形をした筋肉の塊がむさ苦しい雄叫びを上げる。
センは全力で意識を儀式に集中させた。
神おろしをしたシトリが捧げる精霊舞。
海と空に響くツナの祝歌。
夕陽を背に空に浮かぶ神殿の舞台。
「ぱああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
全て台無しである。
「なあ、セン。ウチらはいったい、何を見せられとるんやろか」
「現実だ。夢より奇妙で、悪夢よりおぞましい、現実だ」
センが心の在り処を見失いそうになった時、精霊舞が終わったらしく、舞台から光の柱が立ち上った。それは今まで以上に強烈な光を放ち、センは思わず目を閉じた。
「いよぉー! やっさぁ! えーやっさぁっ! ほぉいっ!」
ハダの気合が聞こえ、センは目を開ける。
その直後にシトリとツナを両脇に抱えたハダがセンの真正面に落下した。
衝撃で砂が勢い良く舞い上がり、センはもろに砂を被る。
「てめえ、もっとマシな場所に降りて来いよ」
「がっはっはっ! 一仕事終えたのだから、景気よくいかねばな!」
「ほんで分霊はちゃんとできたんかいな」
「焦らずともじきに答えは出る」
ハダは眠っているシトリとツナを砂浜に寝かせ、空に浮かぶ舞台へ目を向ける。すでに光の柱は消えており、舞台の上には大きな光の玉が浮かんでいた。
やがて光の玉は少しずつ形を変え、大型の狼という見た目をした精霊の姿となった。
頭部から脚の先まで真紅の聖紋が浮かんでいて、コロンと同じ金色の体毛に包まれている。
その姿は、成長したコロンといっても差し支えないものだった。
ハダは腕を組み、舞台の上の精霊を見つめる。
「ふむ。やはりそうか」
「おい、なんだ、あれは。分霊ってのは、神霊と同じ姿になるんじゃないのか?」
「左様。故に今回の儀式は、無事に成功した」
「なに言ってんだ。全然ちがうだろ」
「あの分霊は先代の神官、シトリの両親が神官だった時のコロンと同じ姿をしておるのだ。本質は変わらぬから、分霊としての役割は問題なく果たせる。だが、これではっきりした。シトリはまだ、ユヅルハの神官として認められておらんということがな」




