元凶たるモノ ~またの名を大迷惑と言う~ -2
「阿呆っ!」
罵声で我に返った。意識が戻る。
直後、人間の気配が。続く破裂音と軽い衝撃。何事かと思う前に触手の拘束が外れた。床に倒れ込む。
相変わらず痛くてたまらないが、意識がある以上、そして助かったのだと頭のどこかで確信している以上、のんびり寝ているのは主義に反する。葵はうつぶせのまま目を動かした。
(父さん……母さん)
和室の畳は汚れていない。仏壇に乱れた様子もない。両親の遺影も無事だ。
(……良かった……っ)
ゆるゆると息を吐き、心を落ち着けると、今度は反対側を振り返った。状況を窺う。
こちらに背を向ける形で立つ男の裸足が見えた。その向こうにはうごめく植物の根。──と認識した直後、それらが消えた。そう遠くないところから気配はするのだが、少なくとも視界には入ってこない。
(……何、したの……?)
出血のせいだろう。思考能力が落ちてしまって考えがまとまらない。もどかしさに眉を寄せたところで、男の足が振り返った。
「葵、しっかりしろっ」
膝をつくなり、片方の肩を持ち上げられて仰向けにされた。視界はかすんでいるが見分け程度はつく。男が数十分前まで隣にいたリラックであることを目でも確認すると葵は、うっかり笑ってしまって本格的に意識が飛びかけた。慌てて気を引き締めて繋ぎとめたが。
来る前にシャワーでも浴びていたのだろう。髪が湿っている。タオルは肩にかけっぱなし。シャツも素肌に袖を通しただけでボタンを留めておらず、急いで来たのが丸わかり。どうしてここに来ようと思ったのかは知らないが、心配してくれたことだけは確かだ。
嬉しさで、口が滑る。
「ドジっちゃ、た……ごめ……」
「喋るな。あとでいい。じっとしてろ」
リラックは端的な言葉でまくし立てると、軽く目を伏せた。視線を泳がせる。
「……こっちは苦手だってのに。ったく…………、なっ、アホか! 冗談でも虫唾が走るわッ!」
さっぱり意味がわからない上に唐突過ぎる絶叫を上げられた。いきなり何が起きたというのだろうか。
見上げる目に疑問が出たのだろう。リラックはばつが悪そうに口元を歪めると気にするなとだけ言い、右手を振った。
魔法を発動するのに必要らしい一連の動作からワンテンポずれて、激痛が軽くなった。痛いことは痛いが、声を出すことにも苦労するほどの痛みではない。痛覚を少しでも抑えるため、深くゆっくりと息をする。肉体的な負担が減るのに比例して、頭を動かす余裕が戻ってきた。視線をリラックに向け直し、少しでも体に負担をかけないよう息だけで話しかける。
「ここにいた植物は?」
「あぁ、あれはレーゲだ。グローリィがよく使うやつだからすぐわかったよ」
こちらはさっぱり理解不能。
「……何?」
「あいつは種を人間や動物の体に埋め込むと神経に寄生して、宿主を操るんだ。で、繁殖時には宿主を食って苗床にする……。グローリィのやつ、今回はこれで地球を混乱させるつもりだったらしいな」
「そ、か……。情報ありがと。でも、あたしが聞きたかったのは、そっちじゃなくて……。その、レーゲだっけ? あいつらはどこ? 殺しては、いないんでしょ?」
「いったん庭に結界張って、そこに放り込んだ。まさか家の中で燃やすわけにはいかないだろ?」
「……そうね……」
納得と疲れと、そして腹をくくるために息をつく。
そのままの体勢で第六感のチャンネルを開いてみた。リラックの言う通り、窓の向こうに空間の歪みを感じられる。その中に三体のレーゲがいることも。すんなりと把握できたことで葵は、己の精神力が戻ってきたことを自覚した。試しに両手を何度か握ったり開いたりしてみる。大丈夫だ。力が入る。
「葵」
かけられたのは咎める声。
言いたいことはわかる。しかし葵はリラックを見ないまま上体を起こした。貫かれた右足を見やると、フローリングは大量の血で汚れているが傷口自体は塞がっていた。痛みも違和感レベルにまでおさまっている。
ゆっくりと立ち上がる。貧血で少し頭がふらつくが、短時間ならば問題なさそうだ。
鋭く息を整えた。庭へと続く大窓へと進む。
「葵っ? 馬鹿、お前、傷は塞いだけど応急処置程度なんだぞっ。そんな体で何する気だっ!」
「何って、決まってるじゃない」
慌てる青年を振り返らず、微笑みながら即答する。
「あたし、お尻を他人に拭かせる趣味はないの」
窓を開け放ち、左腕を顔の高さに上げた。
「それにね」
袖の下から現れた真紅の組み紐。髪をかきあげるようにして右腕を伸ばし、左手首に巻きつけてある紐の一端をつまむ。
「ちょっとばかりお仕置きが必要よ。心が広ぉいこのあたしを怒らせたんだから」
紐を、解いた。
手首と首の後ろを組み紐が滑る感覚に体の奥を刺激される。普段は眠らせている欲望が揺さぶり起こされていく。
──ギッ。
髪を乱雑にまとめる音が、耳元で軋んだ。
葵の中で最後のスイッチが切り替わる。頭の中から陽性の感情が消し飛んだ。冷静さが硬く固まって氷のようだ。なのに心の芯は怒りで熱い。こめかみに力が入る。
内側の変化とともに、葵の周辺で断続的に空気が音を立て始めた。何かを弾き、何かに弾かれる音はやがて青白い火花となっていくつもの稲妻と化し、生じた静電気で長髪が煽られるように宙を漂う。
「……本当に、こんなに腹が立ったのはひさしぶりだ」
両手を垂らし、庭へ。
「よくもおれの縄張りで暴れてくれたな……っ」
無造作に結界の中へ踏み込み、敵を見据える。
「『死神』を舐めるなッ!」
啖呵を切って敵を指差した。雷光が腕を振る勢いそのままに放たれる。
稲妻がしなり、手前のレーゲを捕らえて右側の枝葉を薙ぎ払った。その断面は焼け焦げている。地面に落ちた枝も最初はばたついていたが静かになったのもすぐだ。増殖する気配もない。
確認は瞬時。本体に視線を戻した。指を鳴らす。
雷の一撃。
すさまじい音を立てて縦に割れた植物がワンテンポずれて燃え上がった。落ちた枝にも火が移り、レーゲ一体、始末完了。
とそのとき、死角方向から迫る気配が。
体ごと振り返る。
左腕に電光の蛇が集まり、走る。
「草ごときが────ッ」
襲いかかる何本もの鋭利な先端に向けて左手をかざした。
──バシュゥゥゥーッ!
攻撃してきた触手が、青白い光に触れた先から炎を上げる暇もなく炭になって砕けた。あっという間に二体目のレーゲが真っ黒な粉となる。
「おれに触るのは百年早いんだよ。馬鹿が」
吐き捨てる。
反動で眩暈が来た。視界もかすみ始めている。やはり無理はきかないか。短時間ならばと思ったが、そもそも全力で戦うこと自体が無茶な状態だったらしい。感じた以上に失血したのだとようやく悟る。だが、
「……ほんっとうに、最悪だ……」
いくつもの稲妻が体の周囲を走り続けている。あらぬ方向に飛んで無関係な物を傷つけないようにするだけで精一杯だ。抑えがきかない。……当然だ。敵はいとも簡単にこの自分の逆鱗に触れてくれたのだから。むしろほぼ一撃で片付けてやっていることに感謝してもらいたいくらいである。万全の状態だったら、末端から削るようにじわじわと痛めつけてやるのに。悶え苦しむ幹を縛りつけて、枝葉をひとつひとつ丁寧にむしり取ってやったら、さぞかしすっきりしたことだろう。あー、面白くないつまらない腹立たしい。
思い、しかしそれを実行に移せない己の体調に苛立ち、葵の機嫌は底辺まで落ちた。
落ちるところまで落ちきって──なんだかユカイな気分になってきた。
「あぁ、まいったな。……早く親玉をブッ潰したくなってきた」
しゃっくりのような笑いが出る。
「…………、逃げるなよ」
見据えるのは、後ずさりを始めたレーゲ。最後の一体。
「心配するな。サクッと片付けてやるから」
上に向けた右の掌に雷を集める。
気の済むまで、大量の稲妻を。
「もう三下に用はないっ。とっとと退場しろ、クソ草ッ!」
結界にぶつかったのか唐突に後退をやめたレーゲめがけ、葵は特大の電撃を投げつけた。
光の爆発。
夜空も白くなる閃光が視界を奪う。
その中で一瞬にして燃え、灰すらも消し飛ぶレーゲの姿がかろうじて見えた。目の錯覚だろうがなんだろうが、植物の陰が断末魔の叫びを上げたように映り、葵はうっすらと唇を開いて口角を吊り上げる。
(ちょっとはすっきりした、かな)
爆音のせいで鼓膜がおかしい。目もかすむ。風が吹いたなと思ったら、顔を打たれた。硬いような軟らかいような感触もする。遅れて土の匂いを感じ、ようやく倒れたのだと気づいた。
三体のレーゲは確実に始末できたと思うが、新たに何かを送り込まれる可能性は否定できない。……が、平気だろう。
「葵っ!」
呼ぶ声がする。駆け寄ってくる足音と気配も。
──まだ電気を帯びているため触ると危ないのだが、見る限り馬鹿でもなさそうだから大丈夫か。
驚くほど楽観的なことを考えた自分が面白くて思わず微笑んだ葵は、敵の動向も後始末も全部リラックに任せることにして、心置きなく意識をブラックアウトさせた。




