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幾度も季節が廻った。
寄り添う女性は友人から恋人になり、恋人から夫婦になり、そして子供が産まれた。
二人仲良く少しずつ老いていく中、我が子は嘘のように体は大きく体重は増えて、少し前までは碌に移動も出来ぬ赤子だったにもかかわらず、今ではもう家中を好き放題に暴れ回っていたずら三昧に妻と嬉しい悲鳴をあげる日々だ。
「リュウちゃんどうしたの、そんなに窓の外を見て。雨がそんなに面白い?」
「いや、そうじゃないよ。少し昔を思い出していたんだ」
「……女の人?」
「違う違う」
時折嫉妬深いのは彼女の欠点か、それとも愛嬌か。
なんにせよ彼女と連れ添うようになってからは、他の女性との交流には酷く気を遣うようになっていた。
「俺も、昔ただただ泣いていた時期があったんだ」
「詩人だね」
確かに雨に自分を重ねるなどそう言われても仕方ないと、バツが悪く頬を指で掻くしかない。
「その時期は、どうしたの?」
「ん?」
「とてもつらかったんでしょ? どうやって乗り越えたのかなって」
「えっと……忘れたんだ」
「はい?」
「昔からそうなんだけど、特別な何かがあったり何かしたわけじゃない。
でも本当につらくて、それこそ死んでしまいたいなんて考えるほど苦しくて」
今思い返してみれば当時は視野が、選択肢が極端に狭くなっていただけに思えた。
全てをぶちまけた時、家族とは初めギクシャクはしたものの向こうから歩み寄ってきてくれたし、微妙な関係だと思っていたクラスメイトも次の学年に移る時期にはそう悪くない関係に落ち着いたと思っている。
ただ色々とチャレンジしてみようと思ったきっかけは、どうしても思い出せなかった。思い出す事もつらいと心がストッパーをかけているのか、それとも思い出すにも値しない些事なものなのだろう……ただ思い出そうとするたびに誰かに手を差し伸ばされたような、そんなイメージだけは彷彿する。
「ふぅん……思春期特有のアレかな」
「そっちもあった?」
「たまに憂鬱になったり、死に惹かれる事はあったけど、つらくは……なかったかな」
「やっぱりそんなものじゃないのかな。
俺達はなんとなくで生きているんだ」
考えれば考えるだけドツボにはまるのだから。
なんとなく幸せになろうとして、なんとなく毎日が幸せで、その毎日をなんとなく守ろうとして、そうして日々は続いて人生という長い道が出来上がる。
「あっー!!」
「もーどうしたの? 怪我していない?」
ぼんやりとそんなことを考えていたら、息子が遊んでいた部屋から悲鳴ではない叫び声が聞こえてきて、彼女は心配に焦りと怒りを滲ませながら慌てて駆けていく。
息子が生まれてから愛情が二ヵ所に分散しているようで少し寂しい……のは今に始まった事ではなかったなと、思わずこみ上げて来そうになった嫉妬を苦笑いで噛み潰しながら自分も必要になるかも知れないからと様子を見に行くことにした。
「どうしたんだ?」
飛散した色とりどりのプラスチック片。
恐らくおもちゃの車でも壊したようで、一応何があったのかを確かめるために息子本人へと問いかける。
「それがね! テーブルの上を走らせてたらおとしちゃって……」
「もう……だから何時も言っているじゃない。ご飯を食べる場所は遊ぶ場所じゃありませんよって」
「でもでも! 助けてって言ってる人がここにいたんだもん!
ねぇお母さん、僕のきゅーきゅーしゃどうなるの?」
「そりゃ壊れたんだから、壊れたままよ」
「やだ!」
癇癪を起す。
「やだ、やだやだ!
買って、買ってよ新しいおもちゃ。まだぜんぜん走っていなかったのに、たすけていない人もたくさんいたんだよ!?」
「ダーメーでーすー!
あなたこの前もそう言っておもちゃ壊して、また買ってもすぐに飽きたでしょ?
少しは反省しなさい。しばらくは今あるおもちゃで我慢して、お母さんとお父さんが遊んじゃダメって言っている場所で遊んだらどうなるか考えなさい」
「……っ」
お願いしても通用しなくて、それどころか大切な物が壊れてしまったのに母親は一緒に悲しんでくれるどころか叱ってきて。
どうしようもない、当たり前な事実が子供の常識を阻んだ瞬間、目が潤み、顔が更に火照る。
遅れて響き始める泣き声。先ほどの悲鳴よりも一回り大きくて。
「こらっ泣かない! あなたが悪いんでしょ!?」
大人の主観からしてみれば確かにそうだが、子供の主観からはそうではないのだと内心苦笑い。
そしてこれからの展開もよく知っている。泣いて、不機嫌な子供に手間取って、お母さんは何だかんだ息子に甘く新しいおもちゃを用意してしまう。
ふと、そうはしたくないと思った。
別にその判断が間違っているわけじゃない。子育てというものは大変で、親である自分達は少しでも負担を少なくできるよう楽な道を選んでしまう。
何より不機嫌な息子の様子を見るよりも、好きな物を買ってもらって笑顔を咲かせているその姿を見ている方が何だかんだ好きなのだ。
「なぁ」
息子の名前を呼ぶ。自分達で付けた無二の名を呼ぶ。
「お父さんに壊れた救急車の思い出を教えてくれないか」
一度爆ぜた感情に、すぐに返事は返ってこない。
視線を合わせるため床に腰を落とし、先程眺めていた窓の外を見て彼が落ち着くのを待つ。
本当に雨が多い季節だ。
かつて自分が苦しかった時期も、確かよく雨が降っていたような気がする。
「……何を、教えるの?」
「壊れたおもちゃとの、思い出だ」
「うんとね……」
それから一杯思い出を聞いた。
リビングで倒れていた人を見つけた事、子供部屋で病気だった熊を治療してやった事、廊下で他の車よりもただただ一番早く走ろうとした事。
全て子供の空想の産物。でもその世界を否定する事は誰にも、そう親である自分達にすら否定する権利は無いはずだ。
「そうか。なら壊れた救急車を前にどうしたい?」
「どうしたいって?」
「望むなら、新しいおもちゃを買ってあげてもいい」
「ほんと!?」
「リュウちゃん……?」
まさか俺からそのような提案が出るとは思っていなかった妻が抗議に近い声を上げるが、もう少しだけ任せてくれという視線を送る。
「新しいおもちゃを買ってもいい。ただ壊れた物を直そうとする道もある。
もしくはまだ使えそうなパーツで別の何かを作ってもいい……同じ車なら救急車ほど大きくはなくなるだろうけれど。
見るのもつらいならさっさとゴミとして捨ててもいい。でもただ捨てずに、お墓を作ってあげても救急車は幸せかも知れないな」
気づけば雨は収まり始め、雲の合間から僅かにだが陽光が差している場所もある。
天気は、季節は廻るのだ。そして、誰からから受け取った想いも、誰かに届け廻り続ける。
降った雨水は水溜まりに波紋を生み出し、それを家族で眺めるこの場所が自分の居場所なのだと再認識する。
新しい出会いの多い春の誘いも、熱い中飲んだり浴びたりする水による夏の安らぎも、秋の気温の変わり目紅葉する草木の揺らぎも、多くが枯れ葉て出会いに備えるため多くの別れがある冬の移ろい。
かつてそれら全てが憎かった。けれどそれらの良さも悪さも理解した今は、清濁併せ呑み全てを尊く感じもするのだ。
「……きゅーきゅーしゃに何をしてもいいの?」
「あぁ。お父さんが言ったこと以外でも好きにしていいぞ。
お前のやりたい事を、大切で、壊れてしまったおもちゃに対してしたい本当のことを決めるんだ」
「じゃあ、えっとね」
そうして愛しき子は選ぶのだ。
自らの意思で、膨大にある選択肢の中から、自分が一番正しい、そう思った事を。




