X-0 夢乃在処
夢乃在処が消えてから一ヶ月以上経ったと、相棒と呼ばれていた少女は心の中のカレンダーを捲った。
何も唐突に消えたわけではない。短文だがメッセージは残してあった。
「尻尾にリボンを付けて」
これはあらかじめ決めておいた二人の符丁。
何者かが自分を、自分達を狙っていると察知した場合、この文を緊急用のメールアドレスに送って身を守る。
メールが届いた瞬間少女は出来得る限りの偽装工作に、所持している情報の破棄、特に依頼人や夢乃本人のデータを徹底的に隠匿した。
それから一ヶ月以上だ。初めのほうはこの家の扉を開けるのが誰になるのか緊張感を抱いて想像していたものの、拍子抜けな程にこちら側には何も影響が出なかった。
夢乃らしき人物が捕まったようなニュースが取り上げられる事もなく、夢乃が自分を捨てて活動している様子もなく。
以前彼女が使っていた端末は破棄されていたのか動いている様子はなく、案外雲隠れに成功してどこかでのんびりと第二の人生でも歩んでいるのではないかと思い始めて来た頃合い。
「……?」
副収入がなくなり、最低限本業に勤しみながらあとは自堕落に引きこもって悠々と遊んでいた時、とあるメールアドレスが新たなメールを受信した事を知らせて来た。
訝しげなのはそのメールが知っているアドレスから送られてきたものではなく、そしてタイトルも、本文も一切文字が入力されておらず、代わりにただ膨大な数の画像ファイルが添付されていることだった。
いたずらかスパムか、そのどちらかかと真っ先に疑ったがあまりにも使わないメールアドレスのせいで誰かに知られるような事もなく、今まで迷惑メールが飛んで来たことはないアドレス。ただ一人、このアドレスを知っている人間が居たなぁと思い出して、画像ファイルが本当に画像ファイルだけなのかのみセキュリティソフトでチェックしてからタブレットで閲覧を始めた。
画像は、写真の束、旅行アルバムというイメージが一番しっくり来るだろう。
様々な世界がそこには写されていた。
世界的に有名な観光名所だったり、地元の人ですら知っているかどうか怪しい穴場スポットであったり、あるいはそんなものですらなくただ街の中の風景や、有名人でもなんでもない人々の笑顔がそこにはあった。
少女は、確信する。
「これは、在処の軌跡だ」
彼女の姿はそこには写っていない。カメラの高さや、被写体の性質が彼女らしいわけではない。
ただそれでも、根拠も何もなく、ただ一時を共にしたという理由でこのメールを送って来た人物に確信を抱けた。
「理屈じゃない気がする」
感情は判断を失敗に導く。
でも、人間は理屈よりも感情で動く生き物で、歴史は感情で作られてきて。だから……選択に失敗はあっても、間違いはないはず。
失敗してもいい。取り返しのつかない後悔を背負ってもいい。でもきっと、この道を選んだことは間違いじゃない。
故に、少女は無根拠にこのメールの送り主が彼女だと確信する。
そして、夢乃在処が今まで行って来た所業も、その後歩んでいるだろう人生も、そのどちらも間違いではないと認めた。
「――」
止めていたスワイプを再開する。
自然と夢中になり、デスクトップパソコンはスリープモードに入るがそれにすら気づかず、様々な写真に心惹かれ、時には琴線を揺るがされて一枚に何分も魅入られながら。
「……?」
指が止まる。止めさせられる。
「これが最新?」
次が無いのだ。
自然と画像の最終更新日を確認するが今日の日付よりも一週間以上前の物。他にもいくつか確認したが編集された様子は無く、ただ撮った順に画像を並べた物だとわかった。
再び最後の写真を確認する。他と特段違った性質を持っていたわけではない。ただ妙に、胸を焦がした。
「あっ……」
少女は理解してしまった。
「これが、墓標か」
夢乃在処という存在は、ここで潰えたのだと。
「相棒、ついに君は死に場所を選んだんだね」
夢乃からは散々呼ばれていたものの、自分では今まで決して告げる事の無かったその呼び名を独り言ちるとても穏やかな声音。まるで子守唄を歌う母親のような温かみのある厳かなもの。
画面を優しく撫でるその手に答えるのは、ただもう次の画像は無いよというシステムの応答のみ。
「これで、何もかもが、めでたしめでたし、なんてとてもじゃないけれど言えない」
タブレットもスリープモードにして、もう爛々と輝く画面はどこにもなく少女はゆっくりと息を吐きながら体重を椅子へと預けて天井を仰ぐ。
「誰も救われなくて、碌なモノは残っていなくて、周囲はただただ迷惑なだけで、改善懲悪も果たされない。そもそも何が善で、何が悪なのかすら曖昧な筋書き」
ふざけた物語だ。生まれてこの方、本当に。
「でも」
手を宙に伸ばしてぶらぶらと揺らす。
「でも、こんなものも、きっと悪くない。
みんな必死で生きて、みんな必死に死んでいった。
無様で醜くて、逃げだとか甘えだとか散々言われているのだろうけれど、本人達は自分の人生に一生懸命だったよ。頑張る事を笑われるのなんて、子供の時から続く風習だしね」
誰も掴むわけのないその手を確かに握り、ニヒルに僅かに染まった口角を上げる。
これからどうしたものかと、まだ覚めきらぬ夢に浸るようぼんやりと考えていたらインターホンが確かに鳴った。
内心ある種の予感を得つつもウィンドウを確認したら、ドアの前に映るのは避けようのない現実ってやつで。
一瞬、裏口から逃げ出すことを考えた。
逃げきれる可能性は零じゃない。けれど少女なりの矜持と、なにより。
「幕締め、か。
足掻いて新しい何かを見つけに旅立つのも良いだろうけれど……うん。きっと、誰かが伝えないと寂しいことだよね」
そんな感傷に身を委ねて、部屋着に最低限の上着を羽織り、急かされるようにノックされるドアを躊躇いもなく開け放つ。
「はい。自殺幇助、やっていました」




