4-3 提起:最高の思い出
近くにあった長い長い階段へ腰を下ろし、二人して買ったもののまるで口を付けないアルミ缶を手にしてひたすら会話を続ける。
と言ってももっぱら私は聞く専門で、時折興味の無い話題により意識がずれる事があったが、そんな些事は気にした様子無くただ思い出を語り続ける佐藤京一。
かつて訪れた栄光、青春の繁栄を思い出す順から口に出し、懐かしむその姿は輝いていたはずなのに、どこから空虚で、抜け殻のような錯覚を抱く。そうまるで、鏡に時折映る女のような。
「あの時が最高で、超えれないのであればそう自分が定めているのならば、もう思い残す事も無い。
残響が消えて無くなる前に、残滓に縋りついて穏やかに逝きたいです」
ふと、現実に帰って来た彼がそう呟く。
「それは……少し待ってください。まだ約束の時間には時間がある」
「ですよね、それはあまりにも自分都合過ぎる。
夢乃さんには夢乃さんの目的があるわけで」
「……」
「えぇ、当然それは尊重したいと思います。こうして協力してもらっているわけですし」
「目的、ですか」
「探しているんでしょう?」
脳が揺れるような非情な衝撃。余韻がまるで酔いに近いような不快感を残した。
「あぁ、隠していたのですか……それは、申し訳ない。
ただ実際に会ってみたら判ってしまったもので、あぁこの人は何かを求めているのだなぁと」
「具体的にどういったところからでしょうか?」
「まず直接会う前の情報に、奇妙な数々ルール、親身に掘り下げて来る様子、犯罪行為に見合わない金額。あとは今思えば名前も、ですかね。
会ってみてからはこちらを尊重するような振る舞いに、それを意識して作っているものだということ、あとは目ですかね」
「目?」
「とても寂しそうですよ。捨てられた子犬のようだ」
かつて誰かに指摘した様子を、かつて誰かが察しただろう事実を口にされる。
「思うに人の死に携わって、報酬を貰うと言うのであればもっと機械的に動けなければ不自然かと」
「できていた、はずなんですけど」
「では変わってしまったのかも知れませんね」
これが、揺らぎの正体か。
これが、変化というものか――なんと、底抜けに恐ろしいのか。
「まぁ年の功かも知れません。他の方には十分通じるのではないでしょうか?」
「そうだと、いいです」
そうとしか返せない。
「何かを訊きたいですか? 僕は大切な物を思い出した、これからあらかじめ決められたルールによってきっと終わらせられる。
二倍ほどの月日を生きた僕だ。まだ若いあなたに残せるものがあるかも知れない――何を、知りたいですか?」
死に至る理屈は聞き終えた。それが自らにまた当て嵌まらないと知った。
故に求めていいと告げられて、口から出た疑問は。
「何故子を成したのですか?」
一瞬驚いたように目を丸め、僅かに微笑みながら言葉を返す佐藤。そこに侮蔑などの感情は見られなかった。
「何故成したのかと問われれば、成るように成った結果成すことになったとしか言えません。
今は不和がありますが妻とは仲が良かったですし、経済的に余裕もあったので子供が欲しいと思いまして。
生命の自然な欲求、あるいは愛の結晶という形の証明が欲しかったのか……かつて自分が浴びた青春を誰かにも味わって欲しい、そう言った理由もあったのかも知れません」
理解できないという感情が顔に出ていたのだろう。
次々と理由が足されていくが、最後まで私が納得のいく答えが導き出さされることは無かった。
「私は」
間を悪く感じたのか、買ってずっと放置し冷え切った缶コーヒーのプルタブを切る佐藤。
「私は、自分が生きたいと思えていない世界で、子供にとっては親が全てで、私が子の全てとして、その子を幸せにしてあげないといけない。
なんて、命を与えるなど残酷なこと、非道に堕ちている私にすらできるわけもない。そう、思うんです」
「……それは今のお仕事を始めてから抱いて来た考えで?」
「いえ。始める前から、だと思われます」
「そう、ですか」
ズズッと響くコーヒーの音。
自然と口内が乾いている気がして、佐藤に合わせて今まで開けていなかった飲み物を開ける。カフェインは入っていない。
「その理屈は、病んだ今なら理解できなくもないです。僅かに共感できる箇所もある。
ただ子供を欲した昔では考えもしなかった。今だって息子とは仲が悪いですが殺してやりたいほど憎いだとか、自分が苦しいから楽にしてやりたいとは感じません」
暗に、病んでいる彼よりも私は根本から壊れてしまっていると伝えて来る。
けれど言葉に決して同情の意味を感じるものを用いなかった意図には静かに感謝した。
「……この階段がどこに繋がっているかわかりますか?」
「いえ」
「神社ですよ。登って、少し歩いた所にようやく看板があります。年始の時はこの階段が人でごった返すんですよ」
唐突に切り替えられた話題に黙ってついていく。
佐藤の家からは数駅分離れた地域。変哲もない場所だが、神社か。流石に把握しておきたかったと思うのは警戒し過ぎだろうか。
「許よりの神社がここにしかなくて、所謂思い出の地になるかも知れません。安産祈願も、初詣でも度々訪れます。
……来るたびに息子は大きくなり続けた。少しずつ、少しずつ……今では僕よりも身長が高いんですけどね。行ってみますか?」
「はい」
本来ならば先んじて望みを尋ねる私の仕事を、佐藤は何故かこちらに対して行きたいかどうかを訊いて来た。それに対して何故か私は、気づけば肯定していたのだ。神社に用などあるわけもないのに。何故か。
一つ一つ階段を踏みしめ上って行く。とても長いものではあるが三桁の段差には辛うじて届いていないだろう。所々に脇道や踊り場が存在し、イベント時には屋台が並んでいる様子が脳裏に容易く浮かんだ。
「とても静かな場所ですね」
「わびさび、厳かとも呼べるかも知れません」
そう苦笑交じりにポジティブな捉え方をしようと努力する佐藤と共に、軽く上がった呼吸を整えながら閑散とした境内を見渡す。
信仰を忘れられた日本の有様……とまでは言いはしないまでも、まだ少し人気があった下の街中と比べてもなお喧騒すら遠くどこか別の世界に入り込んだような錯覚すら抱く。
「……折角来たのだからお参りしていきますか?」
「……そう、ですね」
一体どのような顔をして神に祈ればいいのかと、自殺志願者にその幇助する存在は顔を見合わせるが、折角長い階段を苦労して上がって他に目的は無いのだからまた降りましょうでは滑稽もいいところだ。
正しい作法は一応把握しているものの、特に佐藤が気をつけている様子が無いので、自分も倣い適当に指へ当たった百円玉を小銭入れから出して投げ入れる。
手を合わし、目を瞑る。
「……」
お参り、祈り、願掛け。
多くの人々が神社に来て行うのは最後だろう。ただ願い、か。
もし願う事で、この咎に塗れた存在の希望すら叶うのだとしたら、何か一つだけ手に入れる事ができるのなら。
真っ先に浮かんだのは死にたいという単語。
そもそもこんな馬鹿げた生き様を曝しているのは、生きる理由が見出せない世の中で死ぬ理由を探しているからだ。故に、厳密には違う。
死にたいのではなく、死ぬに値する理由。あるいは今までの全てを否定して私自身という個を殺しかねない、生きるに値する理由。または他者と同様に幸福を実感できる感覚か。
能動的に死なない死因を想像してみる。
事故や病気、通り魔あるいは司法に正当に裁かれた結果後の極刑。
そのどれもが受け入れがたい――死にたくないのだ。
ただ生きたいわけでもない。必死に少しでも感じた幸福を掻き集めようとも、そうして記憶の海を泳いだ際に身を切り裂いていく小さな沢山の傷、嫌な事が到底行きたいという切望から引き離す。
祈りを終え、目を開ける。闇から抜け出して光に戻る。
結局至れなかった。
直接殺めたに含まれる基準が怪しいが、直接死へ向き合って来た数はそろそろ三桁だろう。
一人殺せば殺人者、十人殺せば殺人鬼、百を殺せば英雄。あぁ、その理屈すら私には適応されないのか。私は、百の死と向き合ってもなお、夢乃在処を貫き続けるしかないのだ、と。
「長らく願っていたようですが、何かありましたか? 夢乃さんにとって大切な何かが」
「えぇ、ありました」
どれだけ己に何も無いのか、自らが空虚なのかを確かめられた。
「とても冷たい人間だと、死体のように冷え切った存在なのだなと再認識を」
再び、目を閉じる。
今度は祈るためでなく、自らを見つめるわけでもなく。
静かな境内が辺りに広がっている――清廉に感じるわけでなく。
街中より気持ち澄んだ風が通り抜けた――清涼感も不快感も抱かず。
神に懺悔も、祈りも果たさず――再認識した本質に感慨すら想わずに。
この閉じた瞼に、僅か辺り暗闇と言い切れない景色こそ私の世界そのものだと。
「一つ、伝えておきましょう」
きっとまともに会話するのはこれが最期だからだろうと、隠れつつある夕陽に照らされるなか彼は口火を切った。
「あなたは自分で思っているほど残酷な人間ではありません」
「感情の起伏が少ないもので」
負の感情も、正の感情も。
「いえ、そう言うわけでも無いんです」
ゆっくりとかぶりを振り。
「夢乃在処さん、あなたは優しい」
「やさ、しい?」
まるで自分に似つかわしくない言葉。致命的な誤解か、私以外の誰かに語り掛けているのかと錯覚する。
「えぇ。自らの目的を果たしても、約束の時間までは相手を尊重し、傍に寄り添う。
お金だとか、ルールという名分があるのはわかっている」
交わしていた視線は神社へ向けられた。
「でも、先程語った子供の話。
あなたは未だ生まれていない子供の人生を真剣に考えることのできる、とても優しい人だ」
……。
…………。
「夢乃、さん……?」
頬に、何かが伝った。
「あれ……?」
触れると雫が伝っていた。
天気は晴れている。埃は目に入っていない。感情が高ぶったわけでもない。
でも私は、物事ついてから初めて涙を流したのだった。
「あっ……」
その事実に動揺し、未だどうして涙が出たのか理解できないまま感情が動き始める。
声にならない音が口から漏れて、叫びこそしないものの体を支えきれなくなり。
「あ、ああぁ――っ」
まるで。
まるで胎児のように身を抱えて、しばらくの間、丸まる事しかできなかった。




