ネガ
「ネガ」ティブな私、アク「ネガ」ンスケは、「ネガ」というペンネームを自分に付けた。
私は、その名前を、小説家の夢と共に捨てた。
私は、今年の春まで、職業訓練校に通っている人々は、それまでの人生を捨てた人間だと、思い込んでいた。夢を捨て、希望を捨て、新しい人生を拾う為に通う場所、それが、職業訓練校だと、信じて疑わなかった。
今、「イマカルチャー」の駐車場は、満車となっている。
それは、おかしいのだ。
私が、此処を選んだのは、他の職業訓練校とは違い、交通の便が悪く、自動車通学を余儀なくされる為、応募者が少ないと考えたからだった。職業訓練校に通っている人々は自家用車を持つ事も出来ない貧乏人ばかりの筈・・・とまでは、考えていなかったのだが、ほぼ、全員が自動車通学とは、思いもしなかった。駐車場には、車の知識に疎い私でも知っている様な高級車のエンブレムも見受けられた。
今、教室では、神田先生の授業が滞り無く進んでいる。
それは、おかしい・・・わけでは無いが、入校から一週間、この教室では、淀んだ空気が流れる事も無く、授業を妨げる者が現る事も無く、窓硝子を壊す輩が現れる筈も無かった。
神田先生の授業を面倒臭がっていた赤井さんも、いざ、授業が始まると、グループ内の司会役として、各々が「自分が幸せを感じる時」の発表を円滑に進められる様に、巧みに、場を仕切っていった。
「娘とお風呂に入っている時」、「家族とハワイ旅行に行った時」、「ギターを弾いている時」、「何事にも束縛されていない時」、「孫の面倒を見ている時」・・・。
それらは、私にとって、眩いほどの幸福であり、正直、自慢にしか思えなかったが、羨んでいても仕方が無い。私たちは、各々が発表した、「自分が幸せを感じる時」を手掛かりにして、「幸せとは、何か。」、結論を出さなければならない。
しかし、私は、神田先生が望む答えに辿り着く必要は無い、と、考えていた。彼女の人生哲学など、知る由も無い。それは、無理だと諦めていたし、無意味だとすら感じていた。
それでも、赤井さんたちは、知恵を振り絞り、考えに、考え、彼らの結論を、より、良いものにしようと、頭を悩ませていた。
そして、遂に、彼らは、彼女の望む答えに辿りついてしまった。
「生き甲斐」
それは、私の捨てた物だった。
職業訓練校とは、幸せな人生を勝ち得た人々が、自分の人生を、今よりも良いものにする為に通う場所。
私には、出せない答えだった。




