第三話 魔王を倒す日⚔️
十年前に入れ替わったアレンとリリア。
二人が歩んできた十年間のすべてを胸に、
ついに魔王ヴァルガスと向き合います。
勇者と魔王。
父と娘。
そして――二人が選ぶ、戦争を終わらせるための答えとは。
人間と魔族、双方の軍勢が国境へ集結する朝。
魔王城の正門前に、一人の男が立っていた。
金色の髪。
青い瞳。
腰には、人間の国で勇者の証とされる聖剣。
十年前、この城へ魔王を討つために乗り込んできた勇者アレンの身体は、二十六歳になっていた。
少年の面影を残しながらも、その立ち姿には幾度もの戦いを越えてきた落ち着きがある。
けれど――
その中にいるのは、魔王ヴァルガスの実の娘、リリアだった。
そして彼女の後ろに、人間の軍勢はいない。
騎士も。
兵士も。
聖職者も。
誰一人として。
リリアは、本当に一人で魔王城へやって来た。
◇
「勇者が来ただと?」
玉座の間。
報告を受けたヴァルガスは、大剣を手に立ち上がった。
「はい。それが……軍勢を伴っておりません」
「何?」
「城門の前に、ただ一人で」
ヴァルガスの眉が動いた。
人間軍が国境へ集結していることは、すでに知っている。
魔族側でも主戦派の将軍たちが出撃を求めていた。
あと一つ火種が落ちれば、戦争が始まる。
そんな状況で、人間側最大の戦力である勇者が――一人で魔王城へ来た。
「……通せ」
「陛下!」
「罠ならば、我が斬る」
大剣を肩へ担ぐ。
「一人で魔王城へ乗り込んできた者を、門前で追い返したとあっては魔王の名が廃るわ」
その言葉を、玉座の脇にいたアレンは複雑な顔で聞いていた。
やっぱり。
リリアの言った通りだった。
この人は、絶対に逃げない。
◇
重い扉が開いた。
勇者の姿をしたリリアが、一人で玉座の間へ入ってくる。
ヴァルガスが大剣を構えた。
「十年前の決着をつけに来たか、勇者」
リリアは足を止めた。
「ええ」
そして真っ直ぐ、父を見つめる。
「今日は、あなたを倒しに来たわ」
ヴァルガスの眉がぴくりと動いた。
「……妙な喋り方をするようになったものだな」
リリアは答えなかった。
代わりに――
「待ってください、お父さま」
二人の間へ、一人の女性が歩み出た。
銀紫色の長い髪。
夜空のような瞳。
二本の角。
魔王の娘、リリアの姿。
その中にいるアレンだった。
二十歳になった王女は、二人の間で足を止め、父を真っ直ぐに見上げた。
「剣を抜く前に、私たちの話を聞いてください」
「私たち?」
ヴァルガスは怪訝そうに二人を見比べた。
「なんだ、リリア。勇者と知り合いだったのか?」
「……はい」
アレンは一度、勇者の姿をしたリリアを見る。
リリアも頷いた。
「王家の秘宝に関わることです。ここからは、私たち三人だけでお話しさせてください」
アレンの声音には、娘として過ごしてきた十年間の重みが滲んでいた。
評議の場で諸侯へ意見を述べるときと同じ、静かだが揺るがない声だった。
魔王はしばらく二人を見つめ、控えていた者たちへ退出を命じた。
扉が閉まり、三人だけになってから、アレンは息を整えた。
真実を知ったあとも、この人をお父さまと呼べるだろうか。
そんな思いが、今になって胸を締めつける。
隣に立ったリリアが、アレンにだけ聞こえる声で言った。
「一緒に話しましょう」
かつて鏡越しに、将来への不安を打ち明けた夜を思い出した。
あのときも、リリアは答えを急がず、最後まで話を聞いてくれた。
アレンは小さく頷いた。
二人はそれぞれ懐から、小さな鏡の破片を取り出した。
十年前に砕けた、《転魂の鏡》。
「お父さま。あの日から、信じてもらえないままになっていることがあります」
「……あの日?」
「十年前――あの日、魔王城で何が起きたのか」
離れた場所で言葉を交わす力とは別に、二人は秘密の会合で、破片を直接重ねたときの働きも確かめていた。
《転魂の鏡》には、二人が同じ願いを込めて破片を重ねることで、二人の魂に刻まれた軌跡を、記憶の光景として映し出す力があった。
それは、過去を自由に覗き見る力ではない。
二人が共に「伝えたい」「示したい」と願った、魂の歩みだけを映し出す。
重ねても元の身体へ戻ることはなかった。
けれど――十年前、二人に何が起き、その後どんな十年を歩んできたのか。
それを父へ示すことはできる。
二人は破片へ指を添え、十年前のあの日を思い浮かべた。
二つの破片を重ねる。
二人の胸に浮かんだ願いは、同じだった。
――お父さまに、私たちの十年を伝えたい。
その願いが重なった瞬間。
十年間、二人の魂を繋ぎ続けてきた鏡が、いつもの通話とは違う強い光を放った。
淡い光が、玉座の間へ広がった。
◇
映し出されたのは、十年前の記憶だった。
魔王と勇者の激突。
二人を止めようと、《転魂の鏡》を掲げる幼いリリア。
聖剣が鏡へ触れた瞬間。
砕け散る鏡。
そして――入れ替わる二つの魂。
ヴァルガスの表情が変わった。
「……これは……」
記憶は続く。
勇者の身体で、人間たちに連れていかれるリリア。
娘の身体で、
――俺はリリアじゃない!
――俺は勇者アレンだ!
そう叫び続けるアレン。
ヴァルガス自身が、その言葉を「恐怖で混乱しているのだ」と受け流した記憶。
さらに鏡は映す。
月夜。
離れた場所で同時に光り始める二つの破片。
それへ触れ、
『アレン!?』
「リリア!」
と、互いを呼び合う二人。
剣を教えるアレン。
魔法を教えるリリア。
人間の世界で悩むリリア。
魔族の世界で悩むアレン。
リリアとして迎えた誕生日。
溢れんばかりのプレゼントを前に、戸惑うアレン。
――勇者でもなんでもいい。我はただ、今ここにいるお前の誕生日を祝いたいだけだ。
長い迷いの末、アレンが一つの髪飾りを手に取る。
――……これだけだから。
その言葉に、ヴァルガスが嬉しそうに笑う。
国境の古い遺跡で、誰にも知られず再会する二人。
三年目の再会。
六年目に交わした言葉。
八年目、並んで眺めた夕暮れ。
そして――十年。
光が消えた。
誰も言葉を発しなかった。
長い沈黙。
ヴァルガスが、勇者の姿をしたリリアを見る。
「では……」
声が震えていた。
「そこにいる勇者が……」
リリアは、聖剣から手を離した。
そして静かに頭を下げる。
「はい、父上」
その一言で。
ヴァルガスの手から、大剣が落ちた。
「……リリア」
十年ぶりに。
実の父から、本当の自分へ向けられた名前だった。
リリアの瞳が潤む。
「はい」
ヴァルガスが一歩、前へ出る。
しかし――止まった。
その視線が、アレンへ向いたからだ。
娘の身体。
十年間、娘だと思って育ててきた相手。
「では……お前は……」
アレンは逃げなかった。
「勇者アレンです」
「……」
「十年前から、ずっと」
ヴァルガスの顔が歪んだ。
「我は……」
「お父さま」
「その呼び方を……」
ヴァルガスの声が詰まった。
アレンの胸が痛んだ。
それでも、言わなければならない。
「この身体はリリアのものです。でも、私は、あなたのもとに生まれた娘ではありません」
リリアが何か言おうとした。
だがアレンは首を振った。
「でも――」
アレンはヴァルガスを見つめた。
「お父さまに愛してもらった十年間を、私は一度も嘘だと思ったことはありません」
ヴァルガスの瞳が揺れた。
「熱を出した夜、ずっとそばにいてくれた」
「……」
「魔法に失敗したら、本気で叱ってくれた」
「……」
「私が人間との和平を口にしたときも、何度喧嘩しても、最後には話を聞いてくれた」
声が震える。
「私は、親の顔を知りません」
教会で育った。
勇者になるために剣を握った。
期待されることは知っていた。
命令されることも。
褒められることも。
でも――
「ただそこにいるだけで、誰かに大切にされることを……私は、お父さまから初めて教えてもらいました」
涙が一筋、頬を伝った。
「だから……」
アレンは笑った。
「私にとってあなたは、本当のお父さまです」
静寂。
やがてヴァルガスが口を開いた。
「……十年だ」
低い声が、玉座の間に響く。
「お前が泣いた夜に背を撫でた」
一歩。
「笑った朝を共にした」
もう一歩。
「病に伏したお前の手を握った」
ヴァルガスの瞳が、少しだけ和らぐ。
「初めて身体の成長に戸惑い、不安になるお前を慰めもした」
アレンの瞳が揺れた。
「何度も誕生日を祝った。そのたびに、お前は自分はリリアではないと否定しながらも――我の気持ちは受け取ってくれたな」
そして――
アレンの前へ立つ。
「我は十年間、お前の成長を見てきた」
大きな手が持ち上がった。
アレンは一瞬、目を閉じる。
その手が――
ぽん、と頭へ置かれた。
「それを、たかが魂の違いで偽物にできるものか」
「……!」
「アレン」
初めてだった。
ヴァルガスが、その名前で自分を呼んだ。
「はい……」
「お前も我が娘だ」
涙が溢れた。
「誰が何と言おうとな」
「……はい」
アレンはヴァルガスの胸へ飛び込んだ。
「お父さま……!」
ヴァルガスは何も言わず、その身体を抱き締めた。
◇
しばらくして。
「……父上」
声をかけたのはリリアだった。
ヴァルガスが振り返る。
そこには勇者がいる。
だがもう、彼には分かっていた。
その中にいるのが誰なのか。
「リリア」
「はい」
「……大きくなったな」
リリアは一瞬、きょとんとした。
そして笑う。
「身体はアレンのですけどね」
「そういう意味ではない」
ヴァルガスは勇者の姿をした娘を見つめた。
十年前。
自分の後ろで震えながら、それでも父と勇者の間へ飛び込んできた少女。
その娘が今。
人間たちの勇者として、自分の足でここへ来た。
たった一人で。
「父上」
リリアが真っ直ぐ彼を見る。
「お願いがあります」
「聞こう」
「人間との戦争を、止めてください」
空気が変わった。
ヴァルガスの顔から、父親の表情が消える。
魔王の顔になった。
「……それはできぬ」
アレンが息を呑む。
だがリリアは動かなかった。
「なぜですか」
「我は魔王だ」
ヴァルガスは言った。
「人間軍はすでに国境へ集結している。魔族の民も怯えている。敵が剣を向けているというのに、王である我が武器を捨てればどうなる」
「……」
「我一人の感情で、民の命を賭けることはできぬ」
リリアは静かに聞いていた。
「お前が我が娘であることと、これは別の話だ」
「分かっています」
即答だった。
ヴァルガスの目が細くなる。
「だから――」
リリアは聖剣を抜いた。
玉座の間に緊張が走る。
だが、その切っ先は父へ向けなかった。
剣を垂直に立て、自らの前へ置く。
「私と決闘してください」
「……何?」
アレンがヴァルガスの隣へ立った。
「お父さま。私からもお願いします」
「アレンまで何を――」
「軍と軍を戦わせる必要はありません」
アレンは父を見つめる。
「人間の勇者と、魔族の王。その二人だけで決着をつけるんです」
ヴァルガスは黙った。
リリアが続ける。
「私が勝ったら、人間との和平交渉を受け入れてください」
「我が勝てば?」
「私は勇者として、人間側の総攻撃への参加を拒否します。そして王を説得して、軍を退かせます」
「王が聞かなければどうする」
「今の人間軍は、勇者である私を先頭に置くことを前提に動いています。私が戦わなければ、少なくとも予定されている総攻撃はできません」
「その間に――」
アレンが続ける。
「私たちが和平への道を作ります」
ヴァルガスは二人を見た。
「随分と都合のいい話だ」
「はい」
アレンは認めた。
「だから、お願いしているんです」
「我が負ければ、人間を信じろと?」
「違います」
アレンは首を振った。
「私たちを信じてください」
ヴァルガスの目が見開かれた。
「人間として生まれた私と」
アレンは自分の胸へ手を当てる。
「魔族として生まれたリリアを」
リリアも父を見る。
「私たちは十年間、両方の世界で生きました」
人間だから正しいわけではない。
魔族だから正しいわけでもない。
どちらにも守りたい人がいる。
どちらにも家族がいる。
どちらにも、戦争で泣く人がいる。
「だから二人で止めたいんです」
アレンが言った。
「十年前、私とお父さまにはできなかったことを」
勇者と魔王は、殺し合うしかない。
十年前は、そう思っていた。
けれど今は違う。
ヴァルガスは長い間、何も言わなかった。
やがて――
「勇者」
リリアを見る。
「はい」
「本当に一人で来たのだな」
「はい」
「人間の軍を率いれば、我らを滅ぼせるかもしれぬぞ」
「それで父上を殺して、アレンを泣かせて、魔族の子供たちから家族を奪って」
リリアは首を振った。
「そんなものを、私は勇者の勝利とは呼びません」
ヴァルガスの口元が、わずかに動いた。
「……言うようになったものだ」
「誰に鍛えられたと思ってるんです?」
リリアはアレンを見る。
アレンが苦笑する。
ヴァルガスは二人を見比べた。
そして床へ落としていた大剣を拾い上げる。
「十年前」
大剣を肩へ担いだ。
「我の背後で震えていた小娘が」
リリアが聖剣を構える。
「十年経って、勇者として我へ決闘を申し込むか」
「逃げます?」
「誰に向かって言っている」
リリアが笑った。
ヴァルガスも笑う。
「よかろう」
魔王は大剣を構えた。
「勇者リリア」
その名を聞いた瞬間、リリアの表情が変わった。
父が初めて。
自分を――勇者として呼んだ。
「お前の覚悟、この魔王ヴァルガスが直々に見定めてやる」
「はい!」
リリアは強く頷いた。
そして、ほんの少しだけ表情を曇らせる。
「それに……お母さまのような犠牲者を、もう出したくないのです」
ヴァルガスの表情が、一瞬だけ揺れた。
けれど何も言わず、大剣を握り直した。
◇
二人が中庭へ向かう。
リリアがアレンの横を通り過ぎようとした、そのとき。
「リリア」
足が止まった。
「なに?」
アレンは口を開き――閉じた。
剣の振り方。
足の運び。
ヴァルガスの癖。
伝えられることを探した。
けれど。
もう、何もなかった。
十年間。
鏡越しに何度も教えた。
秘密の遺跡でも剣を交えた。
自分が教えられることは、すべて教えた。
それに――
さっきヴァルガスの前に立っていたのは、もう十年前の少女ではない。
「……勝ってこい、勇者」
リリアが目を丸くした。
やがて――笑った。
「うん。行ってくる」
その返事を聞いて、アレンは気づいた。
十年前、父の後ろで震えていた少女は――
もう、自分が守らなければならない子供ではなかった。
◇
決闘の場所は、魔王城の中庭だった。
ヴァルガスは城内へ、勇者との一騎打ちの間は誰も中庭へ入らぬよう命じた。
入れ替わりの秘密は、三人の間に留めておくと決めていた。
二人が距離を取る。
アレンは少し離れた場所へ立ち、双方の構えを確かめた。
「どちらかが敗北を認めたところで終わりです。よろしいですね」
二人が頷く。
アレンは息を吸った。
「始め!」
大剣と聖剣が激突した。
轟音。
衝撃だけで石畳に亀裂が走る。
「くっ……!」
勇者の身体にいるリリアが、後方へ押し戻された。
「どうした勇者! その程度か!」
ヴァルガスの大剣が横薙ぎに迫る。
リリアは身を沈める。
頭上を巨大な刃が通過した。
すぐに踏み込む。
右足を半歩引き――
一気に前へ。
聖剣がヴァルガスの脇腹を狙う。
「甘い!」
大剣の柄で受け止められた。
火花。
リリアが弾かれる。
だが倒れない。
「……やっぱり強い」
「今さら気づいたか!」
ヴァルガスが踏み込む。
一撃。
二撃。
三撃。
重い。
一つ受けるたび、腕が痺れる。
それでもリリアは食らいついた。
十年前なら、持ち上げることさえ難しかった聖剣。
今は違う。
十年間。
毎日のように振ってきた。
夜になれば、鏡の向こうからアレンが教えてくれた。
――腕だけで振るな。
――相手の肩を見ろ。
――一撃目じゃなく、その次を考えろ。
リリアは聖剣を翻した。
金属音。
ヴァルガスの剣筋を逸らす。
そのまま一歩。
懐へ。
「はああっ!」
ヴァルガスが後退した。
頬に、一筋の傷。
血が流れる。
「……ほう」
魔王が笑った。
「我に傷をつけたか」
「まだよ」
「面白い!」
魔力が爆発した。
黒い奔流がヴァルガスの身体を包む。
「リリア!」
思わずアレンが叫ぶ。
だがリリアは退かなかった。
聖剣を両手で握る。
眩い光が刀身を覆った。
十年前。
この聖剣は、リリアの魂を拒絶した。
触れただけで手を焼いた。
けれど十年間。
人々を守った。
弱い者の前に立った。
誰かを殺すためではなく。
誰かを救うために、この剣を振った。
今ではもう――
聖剣は彼女を拒まない。
「行くわよ、父上!」
「来い、勇者!」
光と闇が激突した。
中庭を衝撃波が駆け抜ける。
石畳が砕ける。
アレンは腕で顔を庇った。
その向こうで。
何度も。
何度も。
剣が交わる。
アレンだけは知っていた。
二人の剣を。
ヴァルガスとは、十年前に命を懸けて戦った。
リリアには、この十年間、鏡越しに剣を教え続けた。
だから分かる。
――違う。
アレンは思わず笑った。
「……それ、俺は教えてないぞ」
リリアの足運びが変わっていた。
アレンなら踏み込むところで、一歩引く。
アレンなら右へ回るところで、左へ抜ける。
そこにあるのは、もうアレンの剣術ではない。
十年間。
彼女自身が戦い。
迷い。
誰かを守る中で作り上げた――
リリアの剣だった。
「行け、リリア」
小さく呟く。
「それがお前の剣だ」
◇
リリアもまた、父の剣を知っていた。
幼いころから、ヴァルガスが訓練する姿を何度も見てきた。
強敵と向き合うとき。
ヴァルガスは決まって、最後の一撃の前に左足を僅かに引く。
そしてヴァルガスもまた――
勇者アレンの剣を知っている。
十年前、命を懸けて戦った相手なのだから。
だからこそ。
リリアは――アレンとは違う動きをした。
右へ行くと見せる。
ヴァルガスが反応する。
次の瞬間。
聖剣を手の中で返し、左へ。
「なに!?」
これは、アレンから教わった型にはない一撃。
リリアが十年の果てに辿り着いた、自分自身の剣だった。
大剣が空を切る。
リリアは懐へ飛び込んだ。
「はああああっ!」
聖剣が大剣を下から打ち上げた。
巨大な剣が宙を舞う。
地面へ突き刺さった。
そして――
リリアの聖剣が。
ヴァルガスの喉元で止まった。
静寂。
荒い息だけが聞こえる。
「……父上」
リリアが言った。
「負けを、お認めください」
ヴァルガスは聖剣を見る。
そして娘を見る。
「……とどめを刺さぬのか」
リリアは微笑んだ。
聖剣を下ろす。
「言ったでしょう」
そして――
「倒すだけです」
ヴァルガスは目を閉じた。
しばらくして。
肩が震えた。
「……く」
「父上?」
「くはははははは!」
豪快な笑い声が、中庭へ響き渡った。
「負けた! 我の負けだ!」
リリアが目を見開く。
ヴァルガスは地面へ突き刺さった大剣を引き抜き――その場へ置いた。
「見事だったぞ」
「……」
「勇者リリア」
リリアの目から、涙が零れた。
「……はい!」
そのとき。
アレンが、ゆっくり二人へ近づいた。
「……終わったんだな」
ヴァルガスが鼻を鳴らした。
「何を他人事のように言っている」
「え?」
「我に剣を置かせたのはリリアだ。だが――」
ヴァルガスはアレンを見る。
「我をここへ立たせたのは、お前だろう」
アレンは言葉を失った。
ヴァルガスは二人の娘を見比べた。
「一人は勇者として我を倒し、一人は娘として我を説得した」
そして苦笑する。
「まったく。娘二人に願われては、父親は折れるしかないらしいな…
だが、我は、紛れもなく全力であったぞ」
「父上!」
「お父さま……」
リリアとアレンの声が重なった。
三人は顔を見合わせ――
やがて、笑った。
◇
その日のうちに、魔王ヴァルガスは魔族軍へ進軍停止を命じた。
王位を退くことはない。
魔族の王として。
自らの民を守る責任を背負ったまま――人間側との和平交渉へ入ることを宣言した。
一方。
リリアも、人間の国で名乗り続けてきた「勇者アレン」の名で、国境に待機する人間軍へ使者を送った。
勇者は総攻撃へ参加しない。
魔王も進軍を止めた。
まず軍を退き、交渉の席につくべきだ、と。
人間側がすぐに受け入れたわけではなかった。
反対する将軍もいた。
魔族を信用できないと叫ぶ者もいた。
魔族側にも同じ声はあった。
十年どころではない。
長い年月をかけて積み上がった憎しみが、一度の決闘ですべて消えるはずもない。
それでも。
戦争は、始まらなかった。
勇者が剣を収め。
魔王も剣を収めた。
その事実が、双方へ考える時間を与えた。
使者の往来を重ねたのち、ようやく交渉の場が設けられた。
人間と魔族は、戦場ではなく――同じ卓についた。
◇
決闘を終えた日の夕暮れ。
まだ使者からの返事もなく、交渉の行方も分からなかった。
幼い頃の思い出の残る中庭で。
アレンとリリアは並んで歩いた。
「……勝ったな」
「勝ったわ」
「本当にやるとは思わなかった」
「何よ。信じてなかったの?」
「相手はお父さまだぞ」
「私の父上でもあるわよ」
「そうだったな」
二人は顔を見合わせる。
そして笑った。
少し離れたところでは、治療を終えたヴァルガスが二人を睨んでいる。
治療を担当した者も下がり、中庭には再び三人だけが残っていた。
「聞こえているぞ!」
「元気そうね」
「リリア、お前は少し父を労れ!」
「殺さなかったでしょう?」
「そういう問題ではない!」
アレンが吹き出した。
「笑うな、アレン!」
「ご、ごめんなさい、お父さま……」
「お前まで……!」
十年前。
勇者と魔王は、互いを殺すために剣を交えた。
魔王の娘は、それを止めようとして二人の運命を変えた。
そして十年後。
勇者になった魔王の娘は、父を殺さずに倒した。
魔王の娘になった勇者は、父に剣を置かせた。
一人は、勇者として。
一人は、娘として。
二人で――戦争を止めた。
その日。
勇者は魔王を倒した。
けれど――
誰も、魔王を殺そうとはしなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第三話では、アレンとリリアが十年間抱えてきた真実と、
ヴァルガスとの親子としての答えを描きました。
勇者と魔王の戦いでありながら、
誰かを殺すことではなく、どうすれば戦争を止められるのか。
その答えを二人なりに選んだ回でもあります。
次回は、この戦いのその後――
二人が選んだ未来へと進んでいきます。
次回も、アレンとリリア、二人のTS物語を見届けていただけたら嬉しいです。




