血筋
「ようこそ」
夫婦より一足遅れて帰宅した義理の息子が、ネクタイを弛める間もなく、首を傾げて柱時計を見上げた。両親を嫌がっている訳ではない。この時間に妻の両親がいると言うことが不可解なのである。
「ツツジのお爺ちゃんとお婆ちゃんが持ってきてくれたよ」
次男の浩一が赤福餅の包みを持って言った。ツツジという言葉で、この次男は母方の祖父母を父方の祖父母と区別している。
「食べてもええ?」
「ちゃんと、お爺ちゃんとお婆ちゃんに、お礼を言うたか?」
「うん」
この男は次男に返事を返しつつ、首を傾げたままである。両親が娘とじっくり話をするには遅すぎる時間だし、次男が抱えている赤福餅は、妻の両親の土産物に違いないのだが、伊勢名物だと言うことは知っていて、妻の実家の住所と重ならない。目の前の光景が一つの話しにまとまらないのである。
(風采はともかく、悪い奴やない)
良一は困惑する娘婿を評価している。室内を眺める限り、娘や孫に裕福な生活をさせているとは言い難いが、不自由な思いもさせていないようだ。良一の三番目の孫を抱き上げる娘婿の表情は温和で、下手な言葉より、この一家の家族関係を物語っている。良一は娘婿に抱かれている赤ちゃんが、娘婿の子供だと言うよりも、自分の孫だという信念を曲げていない。自分の腕の中で泣き出した孫の綾子が、娘婿にあやされて笑い出したというのは、表情に出さないものの、内心、やや癪にさわるのである。しかし、二人の顔立ちを比べてみると、孫の綾子の眉が垂れた優しい面立ちは、祖父の自分より娘婿の血を引いていると認めざるを得ない。しかし、綾子の一つ上の兄の方は顎の線がほっそりしていて祖母の佐知子の血筋を受けているようだ。長男の面立ちには、娘と父方の祖母の血筋が現れている。その長男は、さっきからずっと家族の中にいて、にこにこと機嫌良く黙ったままでいる。そういう黙っていることを苦にしないところは祖父の良一の性格と一致する。
「ところで……」
娘婿の友和は恐る恐る尋ねた。この義父は悪い人物ではないし、自分に悪意を持っているわけではないことは充分に分かる。ただ、孫を抱き上げるときの几帳面で細やかな指使いとは裏腹に、口をついて出る言葉に優しさを期待することは出来ないことを知っているのである。
「今日は、どんなご用ですか?」
単刀直入に尋ねるのが一番良い。確認しなければいけない事柄だが、どんな表現で尋ねても不機嫌そうな声音で返事が返ってくるに決まっている。
良一夫婦は、友和の質問に顔を見つめ合った。娘と幸せな家庭を築いている娘婿の質問に、二人も誠意を持って応じなければならないのだろうが、理解できるように説明しようとすれば、今朝からの出来事を逐一語って聞かせなければ話が繋がらない。
「お前たちも、私たちの歳になれば分かる」
良一はそう言い、傍らの佐知子ももっともらしく頷いて夫に同意した。短い言葉だが、年齢を経た夫婦の持つ重みが籠もっていて、友和はそれ以上詮索することなく納得せざるを得ない。
孫や娘夫婦と夕餉の席を囲んだ後、良一は帰り支度をしながら娘に短く言った。
「あほか……」
娘婿が今日はもう遅いので良一夫婦に泊まっていってもらえと言った、それを娘の保子は父親に伝えたのである。
(もうっ、この人というのは……)
佐知子は夫の脇で呆れ顔でその言葉を聞いていた。夜がふけたとはいえ、浅香の自宅はここからわずか一時間少々の距離にある。娘夫婦や孫に狭い思いをさせてまで、老夫婦がこの小さなアパートに泊まる理由は全くないのである。その理由が夫の口から発すると(あほ)という一語に集約されてしまう。
(まったく、私が目を離すと、すぐにこれだわ)
佐知子は長年馴れた手順で夫の言葉を娘夫婦に解説せざるを得ないのである。
「また、ツツジの季節にこの子達を連れて行くから」
娘の保子は実家に帰るという意味を、そんな言葉で表した。愛想の悪い良一も、孫にだけは機嫌良く、笑顔で孫の頭をなでた。
「また、お爺ちゃんと一緒にツツジを見に行こな」
老夫婦は手を振って、玄関を後にした。
「ごめんね」
綾子を抱きながら保子は夫に小さく詫びた。夫はこの妻の短い言葉が、彼女の父の舌っ足らずな事を指していることを察している。彼らの結婚生活はそれを察することが出来るほど経過した。あの老夫婦がやってきた理由はよく理解できないものの、遠ざかって行く二人の姿は仲の良い夫婦のものだ。
考え方は違っても、子供じみた頑固さを持っているという点で、あの二人はよく似ていて、妻の保子はあの二人の血を引いている。
次回が最終回。
夫婦の旅は結局、関西を一回りして終わりを告げるのですが、一番大切な旅の目的を果たせるでしょうか




