京都? 大阪?
二人の会話に、多少、違和感のある響きの言葉が割り込んだ。
「今・京都・JR、うん。あと十分くらいで着くしぃ」
語尾を上げる独特の回りくどいイントネーションと表現すると、この人々は怒り出す。雅な言葉遣いと表現しなければならない。携帯電話で、初老の紳士が誰かに連絡を取っているのである。その土地独特の言い回しやアクセントが、その土地の香りを醸し出す。
東京は人を染めるが、大阪は人によって染まり変化すると言われる。そのせいかとも思った。大阪に住む夫婦にとって、今まで土地の人々から聞く言葉の違和感がなかった。しかし、京都と言う土地はずっと大阪と隣接しているが、互いに文化や言葉が混じり合わない。その土地の人々の言葉を聞いていて、今日初めて、別の土地にやってきた。そういう気がしたのである。
同時に、夫婦は小声で口げんかをしている内に、目的地の京都駅を通り過ぎてしまっていることに気付いたのである。この京都弁の紳士は夫婦が降りるつもりだった京都駅から乗り込んできたに違いなく、電車のドアは既に閉じていて、走り出している。この列車の行く先は、夫婦の故郷の大阪を経て兵庫県の姫路である。思い起こせば、今朝大阪を発った後、和歌山県、奈良県、三重県、滋賀県を経由し、現在地は京都府のどこかである。そして、夫婦は未だに二人の行く先をはめられぬまま、関西をぐるりと回って、再び大阪に戻るのである。
「乗りっぱなしで、お尻、痛いわ」
佐知子は言い、良一は言葉にこそ出さなかったが同意した。夫婦は朝からずっと電車のシートに身を任せていて、腕時計を見れば既に四時を回って、日は傾いていて夜も近い。夫婦は顔を見合わせた。
(いったい、今日一日、何をやっとんたんやろ)
そう思わざるを得ない。のんびりした旅行という表面上の目的も、夫婦の絆を確認するという本音も達することが出来ないでいる。しかし、すれ違った夫婦だが、今朝からの旅の虚しさを夫婦は共有した。
「あらっ、もう淀川を渡るのね」
電車が鉄橋を渡る音と振動で佐知子は電車が川を渡るのに気付いたのである。ぼんやり考え事をしていたが、川を渡ると言うことが、何かの区切りになるように思われた。地理的には淀川を渡れば、大阪市内だと言うことを佐知子は知っている。
「あほっ。これは神崎川や」
良一は就職まで大阪北部で暮らした人間だから、この辺りの地理はよく知っている。妻の勘違いを短い言葉で訂正した。しかし、その電車もいよいよ淀川にさしかかった。滋賀県や京都に源流を発する川が幾つか合流して、大阪平野の北部を潤す河になる。この二人が加茂駅を発って渓谷沿いに眺めた木津川や、妻の佐知子が(琵琶湖よ)と小さく騒いだ時に、この電車が渡った瀬田川が宇治川と名前を変えて、鴨川と桂川に合流してこの河の源流になる。良一は、その幾筋もの流れと流れの長さを、自分たち夫婦に重ねて思った。
「なあっ、今日はホンマに何をやってたんやろうなぁ」
良一はしみじみと本音を語った。
「そうねぇ。ごめんねぇ、私が変なこと言いだしたから」
「ええねん。旅行しようて言いだしたんは、俺やから」
ただ、この河も大阪湾に注ぐまで、僅かだが、いくつかの可能性を秘めて、距離と時間を残している。
いよいよ電車は大阪市内に入った。間もなく大阪の人々がキタと俗称する大阪市北部の街に着く。ミナミと称する大阪市中央地域が大阪の歴史をイメージさせるなら、この辺りはビルディングが林立して近代的な大阪のイメージを代表する。車窓から見える光景は、ビルディングの渓谷で、夫婦の未来を遮るように、見晴らしが利かない。
「あんた、降りへんの?」
大阪駅に到着するというアナウンスが聞こえているし、列車は既にブレーキをかけて速度を落としているというのに、夫は全く立ち上がる気配がない。
その夫の目は、(お前もそうやないか)と語っている。
「保子のとこへ行こか」
どちらか一方が言い出すともなく、夫婦は同じ言葉を同時に発した。娘夫婦が兵庫県の尼崎にいる。この大阪駅から尼崎駅まで、この列車に乗ったまま十分足らずの距離である。今日一日の行程を考えれば、僅かな時間に過ぎない。そこへ孫の顔を見に行こうと考えたのである。
夫婦は何やら関西を一周する気配です。二人の一日の旅を最後まで見守ってやってください




