冬のツツジ
二人がJR朝香駅に戻って来たのは、夜の十一時に近い。この駅は、今日、二人が降り立ったどの駅よりも、こじんまりして静かで落ち着きを見せている。およそ十八時間、距離にして三百kmを越える大旅行を果たして、二人は故郷に戻って来たのである。
「ほぉっ」
良一はため息を付くように空を見上げた。続いて夜空を仰いだ佐知子にも、夫の思いが良く分かる。慌ただしい旅で、二人は晴れているのか曇っているのか、天候には全く気付かないでいた。雲一つ無く、からりと晴れ上がって透き通るような深みのある夜空に、幾つもの星が柔らかな光を発している。
街灯に照らされながら、良一が帰宅する道順がいつもと違う。佐知子は夫の意図を察した。二人の針路は高いブロック塀に遮られて、ブロック塀沿いに進路を変えた。その塀越しに樹木の枝葉が見え隠れしている。大きく見事に育っていて、小振りな、という本来のイメージとかけ離れている。ツツジだと教えられなければ、この時期にそうだと気付かない。しかし、四月下旬から五月には白やピンクの花を満開につけてこの敷地を染め上げる。
浄水場という施設とツツジの花を、この土地の人々は関連づけて記憶している。娘の保子がツツジの花を見に行くと言ったのは、この施設の敷地内にあるツツジのことである。彼女は生まれ故郷を、このツツジの花に象徴させていた。毎年、花の時期にこの施設が開放されて、この土地の自慢の花見のスポットになるのである。孫がこの二人をツツジのお爺ちゃんとお婆ちゃんと呼ぶ所以である。
二人はほっとため息を付いた。帰ってきたという安堵感がある。
「おいっ」
良一は佐知子の脇に腕を差し入れて腕を組んだ。佐知子はやや困惑した表情と迷惑そうな声音でに応じた。
「ちょっと、あんた」
「かまへんがな。誰もおれへん」
夫は妻が、若い恋人同士のように腕を組んでいる場面を、近所の人に見られるのが恥ずかしがっていると思ったらしいが、そうではない。夫婦の身長差の分だけ夫の肘の位置が高く、肘には力がこもって引きずられるようで、今の佐知子の姿を客観的に見れば、刑事に連行される犯罪者に見えるだろう。佐知子が肘に力を込めて引き下ろしてから力を抜いた。夫も長年の阿吽の呼吸で、妻の意図を察して、肘に込めた力をぎごちなく抜いた。二人の後ろ姿は仲の良い夫婦のものに変わった。佐知子は少し考えて、夫の脇から腕を抜いた。怪訝な表情を浮かべた良一は、すぐに佐知子の意図を察した。腕を組む代わりに、佐知子は良一の手をそっと握ったのである。手を繋ぐという方が、ずっと自然で無用な力が入らないで良い。寒さに握りしめていた拳の手の平に、佐知子の体温の温もりが残っていて、良一の指先にじんわり伝わった。
(温かい)
この夫婦の今日一日の馬鹿馬鹿しい物語は、二人の胸の奥深くにしまい込まれて、娘や孫に伝わることはないだろう。しかし、どうやら、二人は旅の目的を、やっと、ここで、達したらしいのである。あとは、今は、何の樹木か釈然としないツツジが満開に花をつけて、幼い孫が祖父母の家にやってくる日を待つだけである。
とりあえず、夫婦は旅の目的を果たしたようです。
最後まで旅に付き合っていただいた読者の皆様、ありがとうございました。




