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第9話:合理的な裁きと、静寂の聖域

第9話:合理的な裁きと、静寂の聖域


 黄金の印章が砕け散った瞬間、広場を埋め尽くしていた民衆の歓声が、冷水を浴びせられたように止まった。

 彼らが求めていたのは、悪徳代官を血祭りに上げ、復讐の炎を燃やす熱狂だったはずだ。だが、俺が示したのは「支配の否定」ですらない。ただ、彼らが一生をかけて崇めてきた権威を、価値のない「産業廃棄物」として処理する徹底的な無関心だった。


「……あ、……あぁ……」


 床に転がったバロンが、言葉にならない声を漏らす。

 彼は命を助けられたのではない。彼という存在を構成していた「特権」という名のデータがすべてデリートされ、この世界において「透明な存在」に書き換えられたことに絶望していた。


「オズヴァルド様……。本当に、これでよろしいのですか?」


 セラフィナが、ひしゃげた金細工を見つめながら、困惑したように問いかけてくる。

 彼女の正義感からすれば、バロンは首を跳ねられ、その罪を白日の下に晒されるべきだったのだろう。


「セラフィナ、繰り返しますが、処刑というプロセスは感情的なカタルシス以外に何も生みません。彼は今後、俺が構築した『合理的聖域』の最下層で、街の清掃とドブさらいのタスクに従事してもらいます。それが、彼が浪費したリソースを最も効率的に回収する方法です」


 俺は事務的にそう告げると、市長執務室を後にした。

 廊下ですれ違う職員たちが、怯えたように道を開ける。彼らにとって俺は、救世主でもなければ独裁者でもない。ただ「世界のルール」を無表情に書き換えていく、理解不能な「管理プログラム」のように見えているのだろう。

 それでいい。

 尊敬も、恐怖も、俺の休息には不要なノイズだ。

 館を出て、俺はリリの待つ拠点へと向かった。

 街の喧騒はまだ続いているが、俺の視界に浮かぶ【世界ログ】は、驚くべき速度で「正常値」へと収束していた。


【ルナール街区・最適化状況:98%】

【不当労働率:0%】

【聖女負荷同期:安定】


 拠点の扉を開けると、そこには淹れたての紅茶の香りが満ちていた。

 ソファでは、リリが穏やかな表情で本を読んでいる。俺の姿を見つけると、彼女は花が綻ぶような笑みを浮かべた。


「おかえりなさい、オズ様。……お疲れ様です」


「ただいま、リリ。……あぁ、いい香りだ」


 俺は彼女の隣に座り、差し出されたカップを受け取った。

 温かい液体が喉を通り、前世から抱え続けていた「責任」や「忍耐」という名の呪縛が、ようやく解けていくのを感じる。


「オズ様。街の人たちが、新しい市長さんのもとでお祝いを始めています。オズ様も、一緒に行かなくてよかったのですか?」


「俺はただの外部コンサルタントのようなものです。システムが正常に回るようになった以上、俺が出る幕はありません」


 リリは少し寂しそうに微笑み、俺の肩にそっと頭を預けてきた。

 彼女から伝わってくるのは、魔法の悲鳴ではない。ただの、一人の少女としての体温だ。


「……私は、ここがいいです。オズ様が作ってくださった、この静かな場所が」


「そうか。……なら、ずっとここにいればいい。誰にも邪魔させない」


 俺は彼女の銀髪を優しく撫でた。

 窓の外では、新しい秩序に沸く人々の声が遠く響いている。だが、この部屋だけは、世界の不条理から切り離された、完璧な聖域だった。

 だが。

 平穏な時間は、突如としてノイズに侵食された。

 カチ、と。

 俺の耳元で、世界が軋むような音がした。


「……? リリ、動かないでください」


 俺は即座に【構造解析】を展開しようとした。

 しかし、目の前に浮かぶはずの半透明のログウィンドウが、ノイズにまみれて「文字化け」を起こしている。


【警告:管理者権限に不明な干渉を確認】

【エラー:因果律の整合性が……■■■……】


 窓の外を見る。

 先ほどまで歓喜に沸いていた民衆の動きが、不自然に「静止」していた。

 舞い上がっていた鳥も、風に揺れていた木の葉も、まるですべてが「一時停止」されたかのように、色を失い、固まっている。

 唯一動いているのは、俺と、俺の腕の中にいるリリだけだ。


「オズ……様? 空が……」


 リリが震える指で窓の外を指す。

 ルナールの街を包んでいた青空が、ひび割れたガラスのように剥がれ落ちていた。

 その隙間から覗くのは、星空でも闇でもない。

 幾千万もの「魔法術式」が、回路のように脈打つ、黄金の深淵だった。

 そして。

 部屋の真ん中に、一人の男が立っていた。

 音もなく、気配もなく。

 プラチナの髪と、アレキサンドライトのように輝く瞳を持つ、透き通るような美貌の青年。


「……素晴らしいデバッグだったよ、小津秀一」


 男は、この世界で誰も知るはずのない俺の「真の名」を、親しげに呼んだ。


「アイ……テール」


 俺はリリを背後に庇い、立ち上がった。

 俺のOSが、この男を「敵」として認識することを拒否している。いや、認識できないのだ。

 この男そのものが、この世界の「OS」であり、ルールそのものなのだから。


「君の合理性は、実に美しかった。僕が1000年かけて育てたこの『悲劇の庭』を、たった数日でこれほど平坦に、退屈に書き換えてしまうなんて」


 アイテールは楽しそうに、砕け散った空の破片を指先で弄んだ。


「でも、残念だ。君の作った『聖域』は、僕のコレクションには相応しくない。……あまりにも、正しすぎるんだよ」


 アイテールが軽く手を叩いた。

 その瞬間、俺の足元から「現実」が消滅した。

 ルナールの街が、リリと過ごした部屋が、そして紅茶の香りが、すべて0と1の塵となって崩壊していく。

 俺が掌握したはずの世界OSが、上位権限によって強制的に「初期化フォーマット」されていく。


「オズ様! オズ様ぁ!!」


 リリの叫び声が遠ざかる。

 彼女の体もまた、黄金の光に包まれ、システムの一部へと還元されていく。


「……待て、アイテール! 彼女には触れるな!」


 俺は叫び、全ダメージ・デポジットを解放しようとした。

 だが、俺の体は動かない。

 アイテールが指を動かすたびに、俺の「存在理由」が、一つずつ削除されていくのがわかった。


「怒ることはないよ。君という優れた『部品』は、もっと高い場所で使うことにした。……君が望んでいたのは、誰にも邪魔されない安息だろう?」


 アイテールが俺の目の前まで歩み寄り、冷たい指先で俺の頬に触れた。

 

「なら、叶えてあげるよ。……君が二度と、何も変える必要のない、完璧な『無』の聖域でね」


 視界が白転する。

 ルナールの街も、救ったはずの人々も、そして俺を慕っていたリリの笑顔も。

 すべてが、最初から「存在しなかった」かのように、真っ白な虚無に飲み込まれていった。

 俺の脳裏に、最後に浮かんだのは、前世のデスクで感じたあの冷たい絶望だった。

 ――あぁ、俺はまた、理不尽な「仕様変更」に抗えなかったのか。

 意識が途切れる直前。

 俺の視界の端で、エラーログが一つだけ、点滅していた。


【致命的なシステムエラー:物語が、作者の意図を逸脱しました】


 ……「死ぬまで我慢」はもうやめた。

 そう決めたはずなのに。

 俺の「合理的聖域」は、ただの一度も完成することなく、世界の真理アイテールの手によって、完全に抹消された。

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