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第8話:印を突きつけるのは、力の誇示ではなく「検品」の結果です。

第8話:印を突きつけるのは、力の誇示ではなく「検品」の結果です。


 市長執務室の外では、混乱が広がっていた。

 先ほどまでこの街の絶対君主として振る舞っていたバロン・ルナールが、廃人のように床を転げ回っているのだ。駆けつけた衛兵たちは、俺が指一本動かさずに状況を制圧している光景に、抜こうとした剣を握りしめたまま硬直している。


「な、何をした……? バロン様に何をしたんだ!」


 衛兵の一人が震える声で叫ぶ。

 彼らにとって、バロンは教団の権威を背景にした「触れてはならない絶対」だったのだろう。だが、俺の視界にある【世界ログ】では、彼の権威などとっくにゼロを割り込み、負債デバフとして赤く表示されていた。


「……特別なことはしていません。ただ、彼が溜め込んできた『不条理な利益』を、相応の『精神的コスト』として返却しただけです。これ以上の騒音は、街の生産性を著しく低下させます」


 俺はバロンの巨体を、ゴミ袋でも扱うような手つきで執務室の隅へ移動させた。

 

 さて、ここからが本番だ。

 単に「悪徳代官を倒して終わり」では、また次のバグ(腐敗)が発生するだけだ。構造そのものを最適化しなければ、俺とリリの「安眠」は維持できない。


「エレノアさん。呆然としている暇はありません。すぐに街の全帳簿をここへ」


「え、あ、はいっ! でも、あの……帳簿はバロン様が魔法の封印をかけて、誰にも見られないように……」


「封印? ……あぁ、この程度のスパゲッティコードですか」


 俺は執務デスクの隠し引き出しにある、厳重な魔法陣が施された大帳簿に手をかざした。

 

【構造解析:実行中】

【セキュリティプロトコル:極めて脆弱】

【権限取得:0.2秒で完了】


 パリン、という乾いた音とともに、バロンが「一生かかっても解けない」と豪語していた封印が、ただの埃のように霧散する。

 

「……ひ、一瞬で!? 教団の最高位封印術のはずなのに……」


 背後でセラフィナが息を呑むのがわかった。

 だが、俺にとっては前世のブラック企業で課された「マクロも組まれていない数万行のExcelデータ」を整理するより、この世界の魔法術式をハックする方が遥かに合理的で、簡単だ。


「エレノアさん、中身を確認してください。横領、不当搾取、そして……あぁ、やはり。聖女リリを『消耗品』として転売しようとした契約書もありますね」


 その一文を目にした瞬間、セラフィナの瞳に烈火のような怒りが宿った。

 

「……あの豚め。リリ様を、そんな……!」


 セラフィナが腰の剣に手をかける。

 勧善懲悪の物語なら、ここで彼女がバロンを斬り捨てて幕引きだろう。読者もそれを望むかもしれない。だが、俺はそれを制した。


「セラフィナ、剣を収めてください。感情で命を奪うのは『資源の無駄』です」


「しかし、オズヴァルド様! こんな不条理を、死すら与えず放っておくのですか!?」


「いいえ。死よりも残酷で、合理的な『終点』を用意しています」


 俺は執務室の窓を開け、街の広場に集まり始めた民衆を見下ろした。

 彼らは何事かと市長の館を見上げ、不安と期待が入り混じった表情をしている。


「彼はこの街の『システム』を食いつぶした。ならば、余生はその修復のリソースとして捧げてもらう。……エレノアさん、街の広場にこれを掲示してください」


 俺はペンを走らせ、数枚の書面を生成した。

 そこにはバロンが横領した全金額のリストと、それをどのように民衆へ還元するかという「最適化分配案」が精緻に記されている。


「これは……! 市の予算をすべて、税の免除とインフラ整備に回すというのですか? そんなことをしたら、教団が黙っていません!」


「教団ですか。あぁ、彼らへの『納付金』のプロトコルも先ほど書き換えました。今後は『ルナールの街の幸福度』が一定値を超えない限り、自動的に送金がストップするよう設定しています。文句があるなら、俺が直接デバッグしに行くだけです」


 俺は、意識が朦朧としているバロンの懐から、教団の権威を象徴する「黄金の印章」を取り出した。


「な、何を……その印は、教団の正当な支配者の証……!」


「ただの物理的な演算キーでしょう。……今の俺には、不要なノイズです」


 俺は、誰もが崇めるその黄金の印章を、民衆の目の前で――あっさりと、握りつぶした。

 

 メキ、メキメキ……。

 

 絶対の権威が、単なる金属の塊としてひしゃげ、床に転がる。

 「ざまあ」を期待していた者たちさえ、その「価値そのものを否定する」ような冷徹な行動に、言葉を失った。

 怒りでも、復讐でもない。

 ただ、「不要なものを捨てた」というだけの事務的な動作。


「……。これで、この街の古いOSは完全にアンインストールされました」


 俺は驚愕して固まっているエレノアとセラフィナに、静かに告げた。


「さあ、業務再開です。午後からはリリと一緒に、この街に新しく導入する『定時帰宅推奨プロトコル』の検品を行います。異論はありませんね?」


 窓の外から、事態を把握し始めた民衆の、地響きのような歓声が上がった。

 だが、俺はそれを浴びることもなく、脱ぎ捨てていた上着を整えると、執務室を後にした。

 

 英雄になるつもりはない。

 ただ、リリが「明日も安心して眠れる」という一点において、この世界のバグを取り除き続けるだけだ。

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