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第10話:白紙撤回された聖域と、バグだらけの再起動

第10話:白紙撤回された聖域と、バグだらけの再起動


 視界が白に染まり、すべての感覚が希薄になっていく。

 ルナールの街でようやく手にした、あの淹れたての紅茶の香りも、リリの柔らかな体温も、遠い夢のように霧散した。

 ――また、これか。

 前世で、心血を注いだプロジェクトが無能な役員の一声で「白紙撤回」されたあの日の空虚。俺の人生は、いつだって土壇場で「仕様変更」という名の理不尽に踏みにじられる。


『……残念だ。君の作った「聖域」は、僕のコレクションには相応しくない』


 アイテールの声が、真っ白な虚無に響く。

 俺の【構造解析】は完全に封じられ、管理者権限も、蓄積した【ダメージ・デポジット】も、そのすべてが「未定義の変数」として消去されていた。

 体すらも消え入りそうな感覚の中で、俺はただ、真っ白な空間に漂う。


「……ふざけるな」


 声にならぬ呟きが漏れた。

 合理性を欠いた、ただの「負け惜しみ」だ。だが、この虚無に響いたのは、俺の絶望ではなく、システムが上げる断末魔のノイズだった。


【システム警告:存在の抹消に失敗】

【原因:未知の「負債」が因果律を固定しています】


 突如、虚無の底から黄金の鎖が伸び、俺の魂をこの場所に繋ぎ止めた。

 消えるはずの俺の意識が、強引に肉体へと引き戻される。

 見れば、俺の胸元にはどす黒く光る結晶が埋まっていた。それはアイテールが消去しきれなかった、俺が前世から、そしてこの世界で受け続けてきた「不条理」の残滓。

 

【固有スキル:不撓不屈レジリエンスが再定義されました】

【新定義:――死んでも、未払いの報酬(我慢の対価)を受け取るまで消滅を拒否する】


 俺の視界が、パチパチとノイズを立てて再起動した。


「……あ……、オズ……さま……」


 床に叩きつけられた衝撃で目を開けると、そこは黄金の歯車が噛み合う、不気味なほど美しい巨大な時計塔の内部だった。

 少し離れた場所で、リリが透明なカプセルに閉じ込められ、その魔力を吸い上げられている。


「……気がついたのかい? 驚いたな。僕の『初期化』に耐えるバグが存在するなんて」


 玉座に腰掛けたアイテールが、心底感心したように目を細める。

 彼の背後には、巨大なモニタリングウィンドウが並び、そこには滅びゆくルナールの街や、逃げ惑うセラフィナたちの姿が、一編の「悲劇の映画」のように映し出されていた。


「アイテール、提案があります」


 俺は膝を突き、内臓が焼けるような痛みに耐えながら、努めて冷静に言った。

 アイテールは可笑しそうに眉を上げる。


「提案? 君のすべては消去された。力も、権限も、帰る場所も。そんな君が、世界の主に何を提案できるというんだい?」


「……『不具合バグ』の修正提案です。あなたの設計したこの世界OSは、致命的な計算ミスを犯している」


 俺は立ち上がり、血を吐き出しながら、指を空に滑らせた。

 【構造解析】は使えない。だが、俺の脳内には、前世で嫌というほど叩き込まれた「システムの脆弱性」を見抜く勘が生きている。


「あなたは悲劇を愛でるために、人々に『我慢』を強いてきた。だが、我慢というリソースには、必ず『利息』がつく。……俺というバグが消えないのは、あなたが支払いを拒み続けた『不条理の利息』が、この世界の容量をオーバーフローさせているからです」


 俺の体から、真っ黒な霧のようなものが噴き出した。

 それは、聖教団で盾奴隷として受けた傷。ガイルに理不尽に罵倒された記憶。そして、前世で過労死するまで使い潰された恨み。

 

「……な、なんだ、この不快なプレッシャーは……!」


 初めて、アイテールの顔から余裕が消えた。

 彼が書き換えたはずの「完璧な世界」に、俺という「不合理の塊」が、毒のように染み込んでいく。


「アイテール。あなたは俺に『無の聖域』を約束しましたね。……なら、受け取ってください。これが、俺が一生かけて貯め込んできた、何もない、救いもない、ただの『絶望という名のコスト』だ」


【緊急警報:管理者権限の逆流を確認】

【ダメージ・デポジット:極大解放オーバーフロー・バースト


 俺が溜め込んできた18年分、そして異世界での全被弾ダメージが、アイテールの構築した「美しい虚構」を内側から食い破り始めた。

 時計塔の壁が剥がれ落ち、黄金の空が黒く濁っていく。

 

「……馬鹿な! 世界が……僕の定義した美しさが、壊れていく……!」


「言ったはずだ。あなたの経営判断は、誠実さに欠ける。……これより、この世界の全面リコール(解体)を開始します」


 俺は一歩、また一歩と、狼狽える「神」へと歩み寄った。

 

「暴れる必要はない。ただ、俺が受けた『痛み』を、すべてあなたに全額決済チャージするだけです」


 俺の拳が、黄金の光を纏ったアイテールの顔面に、初めて、合理的かつ物理的な一撃として突き刺さった。

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