無知が振るう正義の剣
こっちに来てから二ヶ月が過ぎた。
少しずつこの世界のことが分かってきた。
ここは、レオニード王──つまり、俺の父上が治めるノクスフィールド王国。
この国は、魔族の居住地域が六つ、人族を支配下に置く地域が八つで成り立っている。
人族地域では十八歳になると五年間の奉仕義務が課される。
この屋敷で働く使用人たちは、全てルキシアなどの人族地域から奉仕活動に来ている若者だ。
皇族が安易に話しかければ、彼らが罪に問われてしまうことがある。
それを、嫌というほど学んだ俺は、頭を下げる使用人に無表情を貫き、軽々しく声をかけることもしなくなっていった。
二ヶ月いるだけで、俺は随分とこの国の色に染まってしまったみたいだ。
この国で生きるための術。
魔法よりも上手に使える俺の術……なんか、虚しい。
そんな俺を見て、ガルディスもほっとしたような顔つきになるのだから、本当にどうかしてる。
そんな中での俺の癒しは、今一緒にいるミーナ。俺の妹。
彼女の笑顔は、まさにエンジェル。
絵本から飛び出す妖精だ。
あっちの世界の実の妹、八歳の楓とは桁違い。
あいつは生意気で、可愛くない。
いつも俺を睨むし、馬鹿にする。
ボケればすぐ突っ込むし、サッカーはなんだかんだ観に来るし、兄ちゃん、意外に上手いじゃんって笑う……し。
「……うぅ」
あいつ……元気にしてるかな。
いかん、いかん。俺はギルだ。ギルバート。
泣いてる姿なんて見られたら、あの超偉そうな兄上様に牢獄の上、鞭打ちなんかにされかねない。
「ギル兄様、どうしたの?」
手を繋ぐミーナが、俺を見上げる。
「んーん。なんでもないよ」
毎日、鍛錬に励む褒美だと、ヴァルがくれるささやかな休憩。
その折を見て、こうしてミーナがやってくる。
彼女と手を繋ぎ、いつも訪れる広場で俺は寝転がった。
雲一つない空。
ああ、この後の鍛錬、休みたい……。
サボろうかな。サボる?
俺はその先の未来を想像して──青褪めた。
……やめておこう。ヴァルに、確実に殺される。
「どうぞ!」
ふとミーナの声に振り向き、起き上がると、彼女が可愛らしい花で編んだ冠を差し出していた。
「いつも頑張ってる兄上様にプレゼント!」
抑えていた涙腺が決壊した。奔流のように。
「かわいいねぇ。上手だねぇ。大事にするねぇ」
俺はミーナの頭をわしゃわしゃと撫でる。
ミーナは嬉しそうににっこりと笑顔を浮かべたあと、思い出したように、俺の手を引いた。
「ギル兄様に、もう一つ見てもらいたいものがあるんだ!」
ミーナは俺を、城の裏側にある森へと連れて行った。
一度、ヴァルからの逃走中に逃げ込んだ森。
鬱蒼とした、暗い森。昼間でもこの暗さなんだから、夜は真っ暗だろう。
ミーナはどんどん進んでいく。
彼女にもらった冠を手に、背中を追いかける。
「ミーナ、危ないよっ!」
「大丈夫!まだ明るいから」
先を走る彼女が、突然立ち止まって振り返った。
俺は膝に両手をつき、息を整える。
「はぁ……はぁ……もう、ミーナ速いよぉ」
顔を挙げた俺の目の前に、ミーナの天使の笑顔。
俺は心底ほっとして微笑み、彼女の手元を見て────
絶句した。
持っていた花冠が、指先から滑り落ちる。
カサリと乾いた音。
ミーナが掴んでいたものは、可愛らしくふわふわした毛並みの──魔獣の頭だった。
目はトロンとしており、口は半開きの状態。頭に生えた角らしき物が割れている。
どう見ても……死んでいた。
「……ミーナ、これ」
俺が言葉に詰まっていると、その頭は上空に吸い込まれるように消えていった。
俺は、その様子を黙って見つめていた。
「私がやったんだよ!すごい?」
その一言で、正気にかえる。
止まっていた思考が回り始める。
ニコニコとした彼女の満面の笑み。
わかってる。ミーナに悪気はない。
それでも──
俺は地面に膝をついて、ミーナの肩を揺さぶった。
「ミーナ!ダメなんだよ!?この魔獣だって生きてたんだ。……命なの。こんなふうに、命を軽く扱っちゃダメなんだよ?」
「なん……で?」
ミーナの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
俺の視界も、同じようにぼやけている。
「なんで?前は、褒めてくれたじゃん!!」
こんなふうに育ったのは、ここでの教育が原因だ。
左腕がまた少しずつ疼き始めた。でも──
正さなきゃ……俺が……この子を。
このままじゃ……!
「約束して!もう殺さないって!!ねぇ、ミーナ────」
『自分が正義のヒーローのおつもりですか?』
…………?
振り返ると、そこにいたのは、ヴァルだった。
「ギル様。鍛錬再開の時間を大幅に過ぎています。……覚悟はされていますね」
「ヴァルー!」
ミーナがヴァルにぎゅっと抱きついた。
「どうされました?ミーナ様」
「ギル兄様がね、怒ったの。デシーをやっつけただけなのに。ミーナ、悪くないよね?」
「はい。ミーナ様はよく頑張りました」
「ありがと、ヴァル」
ヴァルは、ミーナと目線を合わせるように膝をついた。
「ギル兄様と、少しお話があります。森の奥に入りますので、ミーナ様はお城にお戻りください」
「森の奥は危険だよ?」
「大丈夫です。私もお供しますから。ご心配には及びません」
「ヴァル、絶対にギル兄様を守ってね?絶対だよ?」
「はい。約束です。ミーナ様はお優しいですね。ほら、ミーナ様の執事も心配されておりますよ」
「分かった。絶対だよ!」
ヴァルが大きく頷くのを確認すると、ミーナは元気にお城へと駆け出していった。
その背中が見えなくなったあと、ヴァルは俺の腕を無言で、がしっと掴んだ。
そのまま、俺を半ば引きずるように引っ張っていく。
「何?……俺、別におかしな事、言ってないから。離してくれる?」
「…………」
ヴァルは俺を一瞥すると、腕を離した。
沈黙を落としたまま先を歩いていく。
どれくらい歩いただろう。下を向いたまま歩いていると──気づけば、ヴァルを見失っていた。
なんで、俺、こんなとこに来ちゃったんだろ。
……なにも、森の中にってわけじゃない。
この世界に、だ。
しかも、魔王城の王子様。
毎日、鍛錬、鍛錬、鍛錬。
教育?断罪?
俺が住んでた安全な毎日とは、あまりにも違ってて。
なんか、もうどうでもよくなってくる。
俺は傍にあった木を背に、座り込んだ。
そう言えば魔獣がいるって言ってたな。
いっそのこと、食われちまう?どうせ一度は死んだ身だ。
俺がクスッと笑った時、なにやら、柔らかいものが腕に当たった。
ふと見てみると、ふわふわで愛らしい、白い魔獣が俺の腕にすり寄ってきた。
さっき、ミーナが掴んでいた魔獣と同じ種だ。
鶏の羽根が生えた犬みたい。頭には角が小さく尖っている。
さっきの魔獣より、もう少し大きいけどこの子もたぶん子どもだ。あどけない顔してる。
「お前も親とはぐれたの?……俺と一緒だね」
人懐っこいその魔獣は、膝に飛び乗り、俺の心の痛みを癒すように顔をペロペロと舐め始めた。
「もう、くすぐったいよぉ」
頭をよしよしと撫でると、魔獣は俺の裾を甘噛みして軽く引いた。
「ん?向こうに何かあるの?パパとママ?」
魔獣に誘われるように、付いていく。
もう辺りも薄暗くなってきた。
月の明かりが森へと僅かに差し込み、足元を照らしている。
『ヒヒヒ』『イーヒッヒッ』
突然、耳をつんざくような笑い声が、木々の間から響いた。
────ッ!
その瞬間、風を切り裂く速さで何かが襲いかかってきた。
『スクトゥマヴェンティ!』
咄嗟に、俺は詠唱する。
周囲の気流が上昇し、風がグルグルと渦を巻く。
俺を取り巻いた竜巻は向かってきた敵を弾き飛ばした。
『スコシはヤルねぇ……ヒヒヒ』
よろめきながら立ち上がったその姿は──
俺の背丈をゆうに超える長身。人間のような見た目だが、全身はヘドロに塗れた茶色の身体。頭には小さな角が生えている。
俺に縋り付く子イヌの魔獣が怯えながら震えている。
……この子もなんとか助けなきゃ
『プレスヴェンティス!』
周囲の空気が圧縮され、塊となって目の前のヘドロを貫く。
そいつは顔を歪ませ、夜の闇へと消えていった。
あまりに怖かったのだろう。
子イヌの魔獣は、俺に飛びつきペロペロと顔を舐めた。そして────
俺の左腕に噛み付いた。
──痛っ!
途端に左腕が痺れていく。
驚き見つめる俺に、ニヤリと笑ったその子イヌ魔獣は────
ブクブクと身体を膨れ上がらせ、ヘドロ魔獣に変化した。その大きさは、先ほど吹き飛ばしたそれよりも遥かに大きかった。
鳥の羽は人間のような腕へと形を変え、白のふわふわの毛並みはヘドロで茶色く汚れている。
ガシリと腕を掴み、俺を離さない。
詠唱しても、痺れた左手に魔力が沸かずに、魔法が放てない。
『久しブリの食事ダナァ』
ヘドロ魔獣は、俺をかぶりつこうと大きく口を開いた。
必死に魔獣の頭を右手で押さえる。
その右手でさえ、段々としびれ始めた。
周囲からざわざわとざわめきが聞こえ、なんとか周りを見回すと、そこには──数え切れないヘドロ魔獣が俺を取り囲んでいた。
『バカな奴がまたヒッカカッタ』『食べよタベヨ』
一斉に俺に襲いかかってくる────!
段々と意識が鈍ってきた。
もう……ダメだ。
そう思った次の瞬間──
『……プレスヴェンティス』
闇の中から、低く押し殺した声が響いた。
──遅れて、風が鳴る。
その直後、
周囲の魔獣が一斉に吹き飛んだ。
そのすべてが、夜の空へと散っていく。
────俺を押さえるヘドロ魔獣だけを残したまま
大きく開いた口から、ドロリと液体が顔にかかる。
こいつは目の前の獲物に必死で、仲間がやられたことにも気づいていないようだ。
薄れゆく意識でそいつを右手で押さえ、声のほうへ視線を向けるとヴァルが俺を見下ろしていた。
「どうします?ギル様。その子を滅するのは可哀想だからやめておきますか?」
「…………」
左腕はもう全く感覚がない。
だけど、なんとか……。
麻痺した左腕に、魔力を送っていく。
もっと……もっと……。
その時、左の指先がピクリと動いた。
大丈夫。まだ使える……!
『……ドラコァクティス』
小さな水竜が鋭いドリルのようにヘドロに襲いかかり、その身体を吹き飛ばした。
静かな森で、ヘドロは甲高いうめき声を漏らしながら空へと消えていった。
俺が意識を手放す寸前、ヴァルの魔力が俺を包み込んだ。暖かな魔力が身体に流れ込み、痺れが次第に緩和していく。
俺が身体を起こそうとすると、ヴァルが背中にそっと手を添えてくれた。
改めて、周囲を見渡す。
さっきの喧騒が嘘のように、辺りはまた静寂に包まれ、木々の隙間から月光が美しく差し込んでいる。
俺はヴァルに肩を支えてもらいながら、近くの木を背に座り込んだ。その隣にヴァルも腰を下ろす。
ヴァルは森の奥を見据えながら、口を開いた。
「ギル様に襲いかかったのは、魔獣デシー。可愛らしく無害な白い魔獣、デミーに擬態する妖の魔です。デミーとデシーの違いは頭部の角の有無。さっきのデシーの体のサイズから推測するに、おそらく50体は魔族や人族を喰らっています。やつらは喰らう数が多いほど、小さく擬態できますので」
……ミーナが持っていたデシーの頭は、もっと小さかった。
さっきのデシーよりも、より多くの被害者を出してたんだ……。
黙ったままの俺に向かって、ヴァルは続けた。
「……ギル様はお忘れでしょうが、皇族は皆、物心つく頃から、デシーを倒す訓練を始めます。
この国でも、毎年数百名の被害が出ております。
その被害者は主に子どもたち。
デシーの討伐は、私たちのような強力な魔力を持つ者の使命でもあるのです」
今にも涙がこぼれそうな俺を見て、ヴァルは優しく微笑んだ。
「ミーナ様は、よほどギル様に褒めていただきたかったのでしょう。倒したデシーの体がすぐに消えてしまわないよう、魔力でその形をとどめておいたようですから」
夜気にすっかり包まれた森の中、ふくろうが「ホーホー」と鳴いている。
膝を抱えて俯いたまま、俺は声を震わせた。
「……俺、間違ってたのかな?俺の考えって、甘いのかな」
ヴァルは一瞬の沈黙を落とし、星空を見上げた。
「……正解なんて誰が知り得るのでしょう。私にもわかりません。ただ、すべてのものには、表があれば裏がある。何を見て、何を信じるかです。無知は罪ではありません。ですが、無知な者が、力を行使すること、それこそが罪なのかもしれません」
しばらく、無言の時間が流れたあと、ヴァルが腰を上げた。
「さあ、夜の森は更に危険です。戻りましょう」
「……うん」
帰り道、俺はミーナを傷つけてしまった胸の痛みと、ヴァルの言葉の重みを感じながら、トボトボと森の中を歩いた。
森の入口付近に差しかかった時──
足元に、見覚えのある色が滲んでいるのに、気づく。
……花冠
「…………」
そっと拾い上げ、乱れた花弁を整える。
花冠を胸に抱え、俺は前を見据えて歩き始めた。
ふと、顔を上げると、城へ向かうはずのヴァルの背が別の方向へ向かって行った。
あの先は、まさか……!
俺は息を殺し、音を立てぬよう城へと駆けた。
すると──
しゅるるる……
見えない縄が、俺の手首を絡め取った。
そして──引きずられるように連れてこられたのは、鍛錬場。
「あの、ヴァル先生?
今日の鍛錬は免除なのでは……?夜も遅いですし……」
「何を寝ぼけたことを、おっしゃっているのですか」
その言葉とともに、魔法で具現化した磔台が、鍛錬場の中央に現れた。
途端に、俺の身体が宙を舞い、台に張り付けられる。
「7時間32分の遅刻です。痛覚神経を七倍に増幅の上、鍛錬を再開します」
目だけが笑っていないヴァル先生。
ゆっくりと歩み寄ってくる彼に、恐れおののき大声で叫ぶ。
「ごめんなさい!許して!!ヴァル先生〜」
「却下」
「ヴァル〜〜〜!!!!」
この夜の鍛錬──
これまでのどんな鍛錬よりもはるかに記憶に刻まれる、想像を絶する地獄となった。




