第四十一話 共に生きるということは
結局のところシンゲンの死は病死として処理された。
路地裏での戦闘の後、僕はアカネに事実をありのまま告げた。
シンゲンの死の理由、怪物に変貌したアリエッタ、そしてその怪物が逃げたまま行方をくらましていることを。
だが、シュタール騎士団はアリエッタを暗殺者だと公表することはなく、シンゲンの死因を病死だと発表した。
それは僕の世話役が尾の暗殺者だったことを──つまりクロムバッハ家に危険因子を潜入させてしまったという汚点を隠すための、背に腹は代えられない発表だったのだろう。
あるいはユニゼラルでも精強と名を馳せるシュタール騎士団の体面を守るために、か。
アリエッタは、未だ行方知れず。
僕を再び襲ってくることはなく、別の姿形でクロムバッハ家に接近することはなかった。
ガルを襲った時、アリエッタだった怪物は動きを止めた。
あの時、あの瞬間。
何故、怪物は動かなくなったのだろうか。
アリエッタが怪物に変貌した時、彼女だった魂は抹消されたかのように見えた。
だが、わずかに残った部分が、ガルに危害を加えようとしたのを止めたとでもいうのか。
それとも、それは希望的観測か。
実は、急激な変貌で生じた別種の障害が原因なのかも知れない。
ただ分かるのは、アリエッタ・フェムシュタットという少女は、僕たちの前に二度と帰ってこないということだ。
*****
「……大いなるアトレイア神の御許へ、この者の魂に安らかな平穏が訪れんことを、かくあれかし」
貴族地区の共同墓地。
アトレイア教の神父が粛々と祈りの言葉を上げていた。
──シンゲンの葬儀。
それはごくわずかな関係者のみで行われていた。
クロムバッハ家としては僕だけ、シュタール騎士団はアカネを始めとした役職持ち、従者たちからは執事長と副侍女長。
全員で十人にも満たない人数しかいなかった。
ユニゼラルにはいないゲオルグやハンネは仕方ないが、シンゲンの武功とクロムバッハ家での長年の功績を考えれば随分と少ない人数だろう。
これもシンゲンの死を殊更に大きくしたくないシュタール騎士団──いや今や団長代理であるアカネ・ベイルガムの方針だった。
葬儀を盛大に行ってしまえば、それだけシンゲンの死を不審に思ってしまう外部の人間が増えてしまう。
「……それでは皆様、故人に最後のお別れを」
神父が献花台を指し示して、花を供えることを促した。
教義なのかは知らないが、アトレイア教は通例として埋葬直前の棺に向かって花を供えるらしい。
シンゲンの棺は半分ほど埋められており、後は埋葬するだけだった。
僕は周りの人間に倣って、棺に花を投げ入れた。
「……ん、あれは?」
その最中、共同墓地の離れたところに見知った顔がいるのに気付いた。
「失礼」
周囲に声を掛けてから、葬儀の場を離れる。
「やあ、ガル君」
「……アインス兄ちゃん」
シンゲンの葬儀を遠くから見ていたのは少年探偵団の一員──ガルだった。
参加出来ずとも葬儀を見守っていたかったのだろう。
同じ考えなのか、視線を巡らすと遠くから葬儀を見守っているシュタール騎士団の団員もそれなりの人数いた。
アカネも葬儀に参加することは辞めさせても、共同墓地で見守ることまでは禁じなかったらしい。
「……オレ、未だに信じらんねぇよ……あんなに頼もしかったシンゲンさんが死んじゃって……しかもその原因がアリエッタだったなんて……」
ガルには全て話した。
アリエッタが尾の暗殺者だったことを。シンゲンを暗殺したことを。
そして、彼女は捏造された偽りの魂として生活していたことを。
怪物と化したアリエッタを目撃してしまった以上、仕方ないことだった。
「エーカちゃんの調子はどうだい」
僕はガルの呟きには答えず、別のことを聞いた。
「……ああ、ここに来る前に一応声を掛けてみたけど相変わらずだぜ。ずっと部屋で塞ぎ込んでいるよ」
同じく少年探偵団のエーカには、真実を話していない。
ただアリエッタの遠い親戚に不幸があって、ユニゼラルにいられなくなったと伝えてある。
嘘にしてはあまりにお粗末だが、アリエッタが消えたのは公然の事実だ。
アリエッタが消えてからまだ幾日も経っていないが、エーカは酷く落ち込み、自室に引きこもっているらしい。
僕は直接見ていないが、事実を伝えられた当初は半狂乱に近いような状態だったらしく、それを考えれば随分と落ち着いた状態になった。
親友だと思っていた人物が、何も言わず残さず消えてしまったのだ。幼い少女には無理もない話しだ。
「……そうか、悪いけれど、引き続きエーカちゃんを慰めてくれると助かるよ」
僕のような殺人鬼が、傷付いた少女を慰める言葉を持っているはずもない。
空虚な言葉を吐いたところで余計にエーカを傷付けるだけだ。
今はただ時が彼女を癒してくれるのを待つしかない。
「……アインス兄ちゃん、今回の事件でオレに何か出来ることは無かったのかな。オレ、こんなことになってるとは思わなくて、気付いたらアリエッタがああなってて……」
ガルが、ボソリと呟いた。
「ガル君は何一つ悪くないよ。今回の事件は全部僕の不手際だよ。僕がもう少し上手く立ち回っていたらこんな結末にはなっていなかった」
僕が、最初からアリエッタの正体に気付いていたら。
あるいはシンゲンの思惑に気付いて、単独で動くことを止めていれば。
全ては僕のせいだった。
「そ、そんなこと……! アインス兄ちゃんは何も悪くねぇじゃん! オレが……、最初からアリエッタと一緒にいたオレが、もっと早くに気付いていたら……!」
それとも、それは傲慢だろうか。
起きてしまった不都合が全て自分の力足らずだと思うのは、ある意味で自己防衛の一種なのかもしれない。
あの時、ああすればよかった、こうすればよかった。
人間一人に出来ることなど、たかが知れているはずなのに。
「……アインス兄ちゃん……オレ、もっと強くなりてぇよ……」
ガルは俯き、涙声で呟いた。
「……ああ、そうだね」
強くなりたい、か。
それは、きっと僕も同じ気持ちだった。
*****
「……はぁ」
ようやく住み慣れつつある他人の自室で、僕はため息を付いた。
シンゲンの葬儀は滞りなく終了した。
クロムバッハ家に潜んでいた尾の暗殺者も判明し、これでようやくクロムバッハ家も通常運営されていくだろう。
「……そういえば、ゲオルグは結局帰ってこなかったな」
一番早い使い魔の移動力なら、帝都に移動中のゲオルグ一行にとっくに追い付いているはずだ。シンゲンの死も、アリエッタが実は尾の暗殺者だったということも、伝わっているはずだ。
だが僕に戻ってくるという連絡が無い以上、ゲオルグは長年の戦友の亡失よりもノアのことを優先したらしい。
ある意味では当然か。
クロムバッハ家の混乱は収束し、今ゲオルグが帰ってきたところで何もやれるべきことはない。せいぜい戦友の死を悼むぐらい。
実利優先ならば、今後の利益がある帝都の協力者とやらの面会を重んじるだろう。
能力主義とは、往々にして効率主義でもある。
「……けど、ノアはどう思ったのだろうな」
久しく会っていないが、あのお転婆はどうしているだろうか。
たとえばノアが当主に近い立場だったならどんな決断をしたのか。
彼女がシンゲンと親しかったかは知らないが、少年探偵団の一員であるアリエッタとは仲が良かったはずだ。
ノアは直情的というか、感情中心で動くところがある。
それは他人を思いやる優しい心根が要因なのだろうと思うが……
「──は?」
そんなことを考えていると、自室の中に突然魔法陣が現れた。
敵襲!?
いや、違う!
突如僕の部屋に現れた魔陣から、光の粒子が流れ出してきた。
その粒子は、実体化前の魔素だ。
僕は以前似た状態を目撃したことがある。
ジューダスとの戦闘。
それは転移術式の──
「──わわあっ! ごめんごめん、そこどいてぇ!」
「ノ、ノアッ!?」
自室の真ん中で粒子が実体化し、メイドの姿となる。
久しく見ていなかった少女──ノアが僕に向かって落ちてきた。
「……ぶっ!?」
「うっひゃあ!?」
空中から落ちてきたノアに、顔から臀部落としを直撃させられる。
「……あたた、着地のことまで考えてなかったぁ」
尻をさすり、立ち上がりながらノアがボヤく。
「ノア、一体どうして……」
何故ゲオルグと一緒に帝都に向かっているはずの彼女が、僕の部屋に突然現れるというのか。
「ん、転移術式で来ちゃった」
少し気まずそうに笑いながらノアが言う。
「たはは、自分に使うのは初めてだけど案外上手く物なんだね」
「ちょっと待ってくれ、それって危険なことなんじゃないのか?」
僕は転移術式がどういう代物なのかまったく知らないが、それこそSF世界のワープ技術のように無闇にやたらと使用できるモノなのだろうか。
「……あはは、ネフェラさんから座標を少しでも間違えたら命の危険もあるかもしれないから止めておけって言われてるかな」
「じゃあ、どうして」
ノアが帝都に向かっていたのは、彼女が覇王の後継として将来活動するための大事な交渉ごとだ。
それをほっぽり出して、なぜユニゼラルに戻ってきたというのか。
「実は、ついさっきシンゲンさんと……アリエッタちゃんのことを聞いたんだ」
「え?」
「わたし、ユニゼラルが──アイ君が大変なことになってるの何も聞いてなくて……」
そう言ってノアは目を伏せて悲しげな表情をした。
「アイ君がつらい目に遭っていると思うと、居ても立っても居られなくなっちゃって……」
「いいや、僕よりも大変だったのは……」
ガルやエーカ、シュタール騎士団のアカネたちだろう。
僕のような殺人鬼が、他者の死や喪失を悼むなど傲慢にもほどが──
「──ううん、そんなことないよ」
「……ノア?」
いつの間にか、僕はノアに抱きしめられていた。
「たとえ、どんな悪い人だって、近しい誰かを失って、悲しんじゃいけないなんて決まりはないんだよ」
そうなのだろうか。
悲しみに暮れるということは、清く正しく生きてきた人間の特権ではないのか。
僕のように本性を偽り、他者を欺き、人知れず殺人を繰り返してきた薄汚れた存在には、到底許されざる行いだ。
「……ノア、もしかして君は僕の心を──」
「心なんか見なくても分かるよ。優しくて、責任感があるアイ君なら、そうやって迷っていると思ったから」
優しい?
責任感がある?
そんなわけはない。
「悲しい時は悲しいって、つらい時はつらいって、ただ当たり前のように言っていいんだよ。それが生きるってことなんだから」
──ああ、そうか。
過去の僕は、誰とも交わらず孤独に殺戮を繰り返してきた。きっと逃避に近い形で。
けれど、僕はノアと──この少女と共に生きたいと願った。
そして、他人と関わって生きていくということは、あらゆる清濁を受け入れるということ。
美しい想い、醜い感情も。
初めは、ただの成り行きだった。
少年探偵団は僕の本性を隠すための隠れ蓑。
シンゲンはクロムバッハ家の──損得としての人間関係。
今までの僕と変わらず、僕にとっての都合の良い利用できる存在として接してきた。
打算で始まった関係だからこそ、僕が悲嘆に暮れるのは間違っているのだと、心のどこかで躊躇していたのだ。
だが、例え打算で始まった関係であっても。
少年探偵団──アリエッタは、僕のような人間を兄のように慕ってくれた。
シンゲンは、亡き義父を彷彿とさせる頼り甲斐のある人物だった。
僕が誰かと共に生きたいと願うのなら、今回の悲しみを糧に前に進むべきなんじゃないのか。
「……なるほどね、ノアは慧眼だよ」
きっと僕は言われるまで、こんな簡単なことにも気付けなかった。
「うひひ、でしょでしょ、やっぱりアイ君はわたしがいないとダメだなぁ」
冗談のように言いつつも、ノアは僕をさらに優しく、包み込むように抱きしめた。
僕は、ふと思った。
シンゲンは死に、アリエッタはいなくなった。
それほど親しくは──いや親しくなることが出来なかった彼らがいなくなって、決して少なくはない動揺を受けた。
だから、もしノアがこの世界から消えてしまったら、僕は一体どんな想い抱くのだろうか。
塞ぎ込み、また昔のような殺人鬼に戻ってしまうのか。
分からない。
分かるはずもない。
ただ、僕は決意した。誓ったのだ。
失うことを承知で。
傷付くことを覚悟して。
それがきっと、誰かと共に生きるということだから──




