第三十九話 最後に残った真実
全ての不可能を除外して、最後に残った物がいかに奇妙なことであっても、それが真実となる。
これは創作物のセリフだが、僕の世界で一番有名な探偵が残した発言だ。
しかし、この考え方は現実では机上の空論だ。
実際の事件や犯罪の全てが、分かりやすい証拠を残しているわけではないし、まったく未知の事柄が結果の要因に関わっていることも多々ある。
人間が全ての事実を把握するのは不可能だ。
この考えは、誤った消去法に陥ってしまう可能性がある思考なのだ。
まさしく全ての物的証拠が揃っていると確約された本の世界──ミステリーでしか通用しない論だ。
けれど、考え方の一助としては役に立つ。
結局のところ推理、推測とは数多の可能性から真実味があるモノを洗い出す作業なのだから。
──シンゲンはどうやって殺されたのか?
僕はそのことばかりを注視し過ぎて、根本的な前提条件を疎かにしていた。
つまりシンゲンを殺せたのは誰か、だ。
一騎当千の強者が、何の抵抗も出来ずに殺された。
僕は最初、毒蛇の襲撃者のように、一般人に扮した刺客に殺害されたのだと思っていた。
違ったのだ。
シンゲンを殺せたのは、顔見知りの犯行だったからだ。
だから遺体には争った形跡がなかった。
ここで僕は前提を切り替えた。
クロムバッハ家に裏切り者がいると仮定する。
では具体的にシンゲンの殺害が可能だった人間は誰だろうか。
アカネといったシュタール騎士団の同僚か?
クロムバッハ家に使える執事やメイド──従者たちか?
可能性としてはあるが、いまいち根拠が弱い。
シンゲンは尾の暗殺者を調べていた。不審な挙動をするような人間がいれば、すぐさまに警戒しただろう。それこそ毒蛇の奇襲を見抜いたように。
ここで僕は発想をさらに進めた。
シンゲンが警戒しないような相手──否、警戒していても不意を打たれるような人物はいるだろうかと。
そう、たとえば十歳に満たない子供ならば。
異能も持たない子供がどうやって、などとは考慮しない。
少年探偵団。
シンゲンは尾の暗殺者が、僕の世話役の中に潜んでいるのでは考えたのだ。
ガルド・キリーク。
エーカ・イェニア。
アリエッタ・フェムシュタット。
そもそも野掛けを提案したのはシンゲンだった。シンゲンがどれぐらい彼らを疑っていたかは分からないが、もしもの可能性を考慮していたのではないか。
だからこそ野掛けに同行したのだ。
しかもシンゲンはシュタール騎士団という身分を隠して何かを調べていた。そしてシンゲンの遺体が発見された場所は、少年探偵団が通っている平民学校のすぐ近くだった。
つまり彼らの内の誰かに殺されたとしたら、全ての辻褄があってしまうのだ。
では三人の内でもっともシンゲン殺害の可能性が高いのは誰だろうか。
ガルは覇王の止まり木亭の次男坊だ。母親であるメリドールとも面識は何度もあるし、キリーク家はクロムバッハ別邸の管理を任されるなどと長年の付き合いがある。
疑うには少し不十分だ。
エーカの家もまた長年カサキヤ村で狩猟を営んでいる猟師の家系だ。彼女の両親とは会ったことはないが、ガルやネフェラから猟師である父の話しを聞いたことがあるし、生まれた頃からカサキヤ村で暮らしている彼女が実は暗殺者だったというのは可能性として弱い。
ではアリエッタは?
ガルとエーカの両方は生まれてからずっとカサキヤ村で暮らしてきたが、彼女だけは違うのだ。数年前に父親を亡くしてカサキヤ村にやってきた。しかも天涯孤独なのだ。
可能性だけで考えるならば、彼女が一番疑わしい。
まさにこれが、全ての不可能を除外した結果、最後に残った真実だ。
*****
「──アリエッタちゃん、君の実家がある一般住居地区に行ってきたよ」
政務商業地区の路地裏。
アイスピックのような短剣を持ったアリエッタを眼前にして、僕は呟いた。
「失礼だけど家捜しさせてもらった。……案の定というか何というか、君の実家には娘がいた痕跡はなかったよ。生活用品や家具も一人分だけ。単なる成人男性の一人暮らしだった」
ベルデナット・フェムシュタット。
幼い頃にカサキヤ村に住んでいて、ゲオルグとも交流があった男性。
その人物は実在していた。
「正直僕も実際の証拠を確認するまで、にわかには信じられなかったよ。近所に聞き込みをしてみたけれど、ベルデナット・フェムシュタットに娘がいたのは事実だった。だが十年以上前の馬車事故で、妻ともども亡くなっていたみたいだな」
「……え、と……アインスお兄さん……一体何を……言って、いるんですか……?」
アリエッタは、ただただ困惑し狼狽していた。
本当に何を言っているのか分からないといった様子だった。
彼女の右手には純然たる凶器が握られているにもかかわらず、未だに状況を掴めずに混乱していた。
「君がシンゲン殺害の犯人だと目星が付いた時点で色々な仮説を立てたよ」
アリエッタが闇の顎門──尾の暗殺者だと仮定する。
だが彼女は嘘を付き、身分を偽っていたのか?
僕は殺人鬼としての本性を隠すために、様々な人間に嘘を付いてきた。その熟練の嘘付きである僕ですら、にわかには想像しなかった事態。
否、違ったのだ。
彼女には嘘を付いている自覚すらなかったのだから。
「唯一の疑問は暗殺者の君が、どうして僕を殺さなかったのか。その点だけが腑に落ちなかったが、察するに君の狙いはゲオルグだったんだな?」
先ほどの凄まじいほどの速さの抜刀。
事前に予測していてすら、避け切れずに直撃を受けたのだ。
アレを実行出来るならば、カサキヤ村から僕を殺すチャンスは幾らでもあった。
だがこうして僕がまだ生きているということは、アリエッタの狙いは別にあったと推測出来る。
目的は、現クロムバッハ家当主であるゲオルグの暗殺。
ユニゼラルで最強と目される人物を殺すために潜伏していたのだ。
しかしゲオルグに暗殺を仕掛けるのは難しい。何せ正体不明の謎の攻性術式を行使しているのだ。攻撃手段が分からなければ不用意に襲撃を仕掛けても失敗するだけ。
ゲオルグと知古の人物であったベルデナット・フェムシュタットの娘を名乗れば、クロムバッハ家に潜入することはそう難しいことではないだろう。暗殺方法は時間掛けてゆっくりと見付け出せばいい。
現に彼女は僕の世話役として、クロムバッハ家に入り込むことに成功していた。
シンゲンが殺されなければ、アリエッタの正体に感付きもしなかった。
「シンゲンを殺害したのは正体を勘付かれたからだな」
長年の戦場の経験がなせる技なのか、シンゲンには鋭い洞察力があった。どの時点でアリエッタに疑いを向けていたか分からないが、彼なりに疑わしい部分があったのだろう。
シンゲンが、アリエッタを調べていたことを周囲に黙っていたのは確信が持てなかったからか、それとも僕の世話役を疑っているということを悟らせたくなかったのではないか。
「……意味が……分かりません……私が……どうしてシンゲンさんを殺さなきゃ……」
依然としてアリエッタは、混乱しながらも自らの行いを否定する。
彼女の右手に凶器がなければ、無実の罪を着せられた哀れな少女にしか見えなかっただろう。
「アリエッタ、もしかして君は多重人格なのか」
「──え?」
僕は実際にアリエッタの凶行を目撃──いや、体感するまでは様々な推測を立てていた。
洗脳、脅迫、あらゆる可能性を模索した。
だが実際の彼女を見て、確信した。
これが嘘の演技ならば、あらゆる舞台役者は裸足で逃げ出す。
それほど真に迫っている。
「この世界には異能という存在がある。それならば人為的に架空の人格を生み出すことも可能なんじゃないのか」
「……架空の人格?」
作り出された架空の人格。
本来、解離性同一性障害は心因性の病の一種であり、意図的に発症させられる物ではない。
しかし、異能による何らかの精神改造が行われたとしたら?
架空の人物を作り出し、なりきることができるのであれば、間者のように特定の場所に潜伏する人間にとって有効な手段になり得る。
それはきっと人格という生温い表現では済まない。
本人とっては本物の記憶と感情。
そう、つまりは偽りの魂なのだ。
「……あああああっ!!」
突然アリエッタが苦痛に顔を歪ませながら、頭を掻き毟る。
「……いだい、いだい、いだいいだいだいいだいっ! 頭が、痛いよぉ!」
まるで発狂するが如く、アリエッタが叫ぶ。
「なんなのこれ!? 私が消えていく!? なんで無くなっていくの!? 記憶も、あの時の想いも! あんなに嬉しかったのに! あんなに悲しかったのに!」
「……っ」
それは絶望の悲鳴だった。
「いやだ! 嫌だよ! 消えたくないの! ……おねがい、お願いです、アインスお兄さん助け──」
彼女は僕に救いを求めて必死に手を伸ばし──
「──初期化実行」
瞬間、アリエッタの身体が膨張した。
「……なっ!?」
「過誤、過誤、過誤、運用プロトコルに重大な自己矛盾が発生したため機構を初期値に戻します」
変貌する。
アリエッタが身体が大きくなっていく。
いや、違う、変異しているんだ!
「存在機構を戦闘状態に移行します。繰り返します、存在形成を戦闘状態に移行します。全抹殺状態、全抹殺状態」
その姿は、アリエッタとはもはや、かけ離れていた。
幼い少女の姿から膨張した四肢は服を破って巨大化しており、爛れたような赤黒い醜悪な装甲を露出させている。両腕も両足も鋭く尖っていて、触るだけであらゆる物を切り裂くことが出来そうだ。
顔だけはわずかに、アリエッタの面影が残っている。
だが、そこには推定三メーター超の怪物が立っていた。
僕は昔に見た、SFホラー映画のモンスターを思い出した。
《……ハッ、魔獣を模した形成変質術式かよ。趣味が悪いったらねェぜ》
形成変質?
《方向性は大分違うが、ジューダスって女と同じタイプの術式だ。てめェの肉体を術者の都合の良いように書き換えるのさ》
「──汝は断罪せし者」
アリエッタだった者の成れの果て──怪物の右手から一角獣の角のような刃が飛び出した。
変異した時に、右手にあった短剣を取り込んで変質させたのか。
《坊ちゃん、気を付けろよ。さっきよりも数段術式が凶悪になってる。擦り傷でも受けたら心臓が止まるぞ》
ヴァーゲストの見立てでは、さっきのあの短剣は毒のような効果をもたらす術式らしい。
血流を凝固させ、心臓発作に似た症状を起こさせる。
短剣自体の殺傷力はさほど無いが、突き刺すことで効果を十全に発揮する。まさに暗殺者向けの武器だった。
だが異貌の姿に変貌したことで、武器としても強力に変質させたようだ。
「……それがシンゲンを殺した術式の正体か」
《事前に分かっていれば、いくらでも対抗手段があるようなお粗末な術式だったんだがな。……ケッ、まァ後の祭りだ》
アリエッタが犯人だと目星が付いた時点で、ヴァーゲストはシュタール騎士団に事態を委ねることを勧めてきた。
何も自ら危険を犯してまで、暗殺者の正体を暴く必要は無いと言っていたのだ。
だが僕は自らを囮にして、アリエッタをこの路地裏に誘い出した。
《……坊ちゃん、まさか会話でどうこう出来る相手だとでも勘違いしてるんじゃねェだろうな。見て分かった思うが、尾の暗殺者は機械と一緒だ。同情や慰めで懐柔できるような存在じゃねェぞ》
分からない。
僕はどうして誰にも言わずにアリエッタの正体を確かめようとしたのか。
本当は間違いなのかもしれないと、一縷の望みを賭けたとでもいうのだろうか。
「──戦闘を開始。排除を実行。排除を実行」
迫り来る異形の怪物。
かつてアリエッタだった存在が、襲い掛かってくる。
僕が下すべき決断は──




