第三十八話 もっとも上手い嘘のつき方
「うわ、もうこんな時間なんだ」
私ことアリエッタ・フェムシュタットが、平民学校の建物から出ると、目抜き通りは夕焼けに染まり始めていた。
「……ちょっとだけ勉強するつもりだったんだけど」
来月の特別実力考査に向けて、図書室で軽く予習だけするつもりだったのだけれど、いつ間にかこんな時間になってしまった。
「……うーん、ガーちゃんとエーちゃんに悪いことしちゃったなぁ」
本来であればクロムバッハ邸に住み込みで暮らしている見習い従者のわたしたちは、学校での勉学を終えたらお屋敷の手伝いをしなければならない決まりになっている。
侍女長であるネフェラさんには勉学に集中していいと言われてはいるけれど、私がサボってしまった分も二人に負担が掛かってしまう。
ガーちゃんもエーちゃんも喜んで私の分をやってくれてはいるけど、あまり甘えてばかりじゃ駄目だと思うから。
クロムバッハ家の先輩である執事やメイドのみんなはすごく優しい。
大貴族であるクロムバッハ家には、少なくともそれ相応の身分の出自でなければ働けないはずなのに、平民である私たちを差別することなく接してくれているのだ。
もしかしたら私たちはアインスお兄さんのお世話役という名目で働いているので、邪険に出来ないだけかもしれないが、それを差し引いても大したものだと思う。
貴族社会は華やかな外面とは裏腹に、その実体は陰湿でドロドロとした謀略の世界だと父は言っていた。
クロムバッハ家の従者たちがそんなことを微塵も感じさせないのは、当主であるゲオルグ様の立ち振る舞いがそうさせているのかもしれないと私は思った。……まあ、怠け者には厳しいのかもしれないけど。
「アリエッタちゃん! 良かった、ようやく見付かった!」
「アインスお兄さん?」
私がクライン広場の待合馬車に向かって、目抜き通りを歩いていると突然見知った顔の赤い髪の少年が現れた。
私たちの少年探偵団の頼れる人物──アインスお兄さんだ。
ここに来るまで走ってきたのか、息を切らして随分慌てているみたいだった。
何かあったのかな?
「……アリエッタちゃん、落ち着いて聞いてほしいんだ。実はシンゲンさんが殺されたんだ」
「えっ!?」
息を整えたアインスお兄さんが、ボソリと沈痛な面持ちで呟いた。
「シンゲンさんが!? そんなどうして!?」
信じられない言葉だった。
シンゲンさんと私たち少年探偵団とはまだ出会ったばかりだけど、シュタール騎士団の偉い立場なのにとても気の良い人だった。この前の野掛けでもお世話になったばかりなのに。
「……嘘じゃないんですよね」
私の言葉に聞き、無念そうな表情でアインスお兄さんは頷いた。アインスお兄さんはそんな悪質な冗談を言う人じゃない。本当のことなんだ。
でも、どうして?
シンゲンさんはすっごい強い人だって本邸の先輩たちが言っていたのに、そんな人が殺されてしまうなんて。
「シュタール騎士団が調べた結果、食品の仕入をしていた商人に毒を盛られたらしいんだ」
「……毒を!? なんでそんな酷い事をしたんですか、その人は!?」
「つい最近、僕を襲ってきた犯罪組織の連中がいただろう? 簒奪者──どうやらその商人は連中の一員だったみたいなんだよ。とりあえず今はシュタール騎士団が拘束しているんだけど」
「……そんなことが」
怖い。シンゲンさんが亡くなってしまったのも恐ろしいけど、一つ間違えれば私やガーちゃんやエーちゃんも被害に合っていたかもしれない。もう終わってしまった事件みたいだけど、その商人が捕まって良かった。
「でも話しはそれだけじゃないんだ」
「えっ!?」
アインスお兄さんが真剣な表情のまま言葉を続ける。
もしかして私のところに急いで来たことに関係しているのかな。
「シュタール騎士団がその商人を尋問したところ、他に計画があることが判明したんだ。連中の目的はこの前の襲撃が失敗した腹いせ。僕を守ったシンゲン団長を毒殺して、なおかつ世話役の誘拐を企てていたんだよ」
「……世話役の誘拐ですか!?」
それって私たち三人のこと!?
「おそらくは君たちを誘拐して、僕を危険なところに呼び寄せるつもりだったんだろうね。シンゲンさんを毒殺した商人は捕まったけれど、もしかしたら他の簒奪者の人間がアリエッタちゃんたちを狙っているかもしれないんだ」
知らず自分の身体が震えているのに気付いた。そんな恐ろしい人たちに私たちが狙われていたなんて……。
「心配しないでアリエッタちゃん。ガル君とエーカちゃんはもうクロムバッハ家で保護してあるんだ。あとは君だけだ。ともかく政務商業地区は危ない。僕が案内するから早く避難しよう」
「……はっ、はい! 分かりました!」
アインスお兄さんが焦って走ってくるのも当然だ。私の知らない間にそんな事態になっていたなんて。
「とりあえず目抜き通りを歩くのは目立つから、裏路地に入って避難しよう。衛兵隊の本部に迎えの馬車が来ているはずだからそこに向かうよ」
私はアインスお兄さんに先導されて、目抜き通りの馬車道路から路地裏に入って行った。
「アリエッタちゃん、気を付けて。もしかしたら連中はアリエッタちゃんが一人で帰るのを狙っていたかも。今のところ尾行はされていないみたいだけど、ひょっとしたら近くの物陰に潜んでいる可能性もあるかもしれない」
夕焼け時の薄暗い路地裏。
昼間でもほとんど陽の光が差さないような場所だから今はなおさら真っ暗だった。
アインスお兄さんが言っているように、本当に物陰に誰かが隠れていてもおかしくない。
「……ううっ……アインスお兄さん……そんな怖いこと言わないでくださいよぅ……」
アインスお兄さんの言葉に怖くなって、思わず抱き付きながら移動してしまう。
「ははっ、ごめんごめん、でも用心するに越したことはないよ」
……うう、恥ずかしい。
こんなにくっ付いて歩いているところをノアお姉さんに見られたら怒られてしまいそうだ。
私は、知らず知らず肩から下げた小さなバッグ──父の形見の百科事典を触っていた。すると幾分か気持ちが落ち着くのが分かった。
「──アリエッタちゃんは、いつもその本を大事に持ち歩いているんだね」
「えっ? ええ、父の形見ですから……」
アインスお兄さんが、急に真剣な口調になってそんなことを言ってきた。
うーん、どうかしたのかな?
「ふと思ったんだ。父親の形見なんて大事な物なら、普通は家に大事に締まっておくんじゃないかって。外に持ち歩いて無くしてしまったら大変だろう?」
「……えっと……それは……」
これは父の形見だから。
持ち歩いていると安心するから。
ただそれだけのはずなのに、言葉に出すことが出来なかった。
あれ?
どうして?
私とアインスお兄さんは、裏路地の曲がり角を曲がった。
──ずぐん、
何故か、いきなり、私の頭が石で殴られたように痛み出した。
「どうしたんだい? 具合が悪そうだね、アリエッタちゃん」
──ずぐん、ずぐん、ずぐん、
「……あっ……だいじょうぶ……ちょっと……頭が痛いだけで……」
私から離れたアインスお兄さんが裏路地の真ん中まで進み、こっちに振り返った。
「変なことを聞くけど、この場所に見覚えはないかな」
──ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、
「……見覚え……? ……いったい……なにを……」
知らない。
私は知らないはずだ。
なのに、どうして、こんなに頭が痛いのか。
「ああ、ごめんごめん、この場所じゃちょっと分かりにくかったね。正確には今僕が立っているところだよ」
明日の天気を予想するみたいな平凡な言い方。
物知りで何でも知っていて、私たちの頼れるアインスお兄さん。
でもその言葉が耳に入るたびに、頭痛がどんどん強くなっていくのはどうして。
──ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、ずぐん、
「ああ、そうか、こう言わないと分からないか」
アインスお兄さんは、私を真っ直ぐ見据えて──
「──君がシンゲンを殺した場所だよ」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
瞬間、頭痛が閃光のように私の思考を覆い尽くした。
「あれ?」
気付くと、アインスお兄さんはまるで大型の馬車に吹き飛ばされたみたいに、路地裏を転がっていた。
なんで?
何があったのかと、私は自分の右腕を見てみると──
「……なにこれ」
私の腕には短剣が──まるでお酒の氷を割る錐のような短い剣が握られていた。
思考が現実に追い付かない。
何で、どうして、そんな武器を私が持っているのだろうか。
そもそもこんな物騒な物がどこから──
「……あ」
地面に本が落ちていた。
それは私の大事な父の形見。
百科事典は開かれた状態で地面に落ちていた。なぜだが、本の中身はくり抜かれたようにぽっかりと空洞になっていた。
ちょうど小さな物なら収められそうな空洞。小物なら何でも入りそう。
ああ、そうだ、それこそ短剣ぐらいなら。
「あ、れ……おかしいな……だって私……毎日この本を見ていたはずなのに……」
ひどいなぁ。
大事な父の形見なのに。
こんなんじゃまともに本として使えないよ。
「……お父さんの形見なのに」
大事な大事な父。
あれ?
そもそもお父さんってどんな顔をしていたっけ?
「……やれやれ、来ると予想していてもこの有様か。凄まじい早業だな。シンゲンがやられたのも納得だ」
「え?」
吹き飛ばされたアインスお兄さんが、何事もなかったかのように立ち上がった。
不思議だなぁ。なんで生きてるんだろう。
「……はいはい、ボヤくなよ、ヴァーゲスト。だから事前に防御術式を展開しておいただろう」
私は気付いた。
アインスお兄さんの心臓に近いところの服が破けていて、内側に黒い鉄の塊のような物が見えていた。
「……ところで、アリエッタちゃん、世の中でもっとも上手い嘘の付き方を知っているかな」
アインスお兄さんは、再び私を見据えた。
その落ち着き、風貌は、とても十歳の子供には見えなかった。
「僕は自分の本性を隠すために様々な嘘を付いてきた。これでもそれなりに上手く人を欺けたと自負しているよ。……でもね、そんな僕でも絶対に出来ない嘘の付き方があるんだ」
目の前の少年は少しだけ悲しそうな顔をした。
「それは自分自身すらも騙す嘘。嘘を嘘と思わないことだよ。そうすれば、あらゆることは真実になる。──犯人はやっぱり君だったんだね、アリエッタちゃん」




