第三十二話 義父
──それは僕が十二歳の誕生日を迎えた日のことだった。
「ははっ、どうした我が義息子よ。せっかくのキャンプだというのに暗い顔をして」
「義父さん……」
真夜中の野山。
焚き火を囲みながら、隣に座る義父が言った。
「また例の衝動が強くなったのか?」
「…………」
僕はただ黙って頷いた。
「そうか、難儀な物だな。……今回の狩りでしばらく我慢出来そうか?」
幼い頃より殺人衝動に悩まされていた僕は、義父に連れられてキャンプと称した狩りの訓練を行っていた。
鳥や猪。野生の動物を殺すためだ。
そのため行くのは設備が整ったキャンプ場ではなく、自然がまだ残っている地方の山々だった。日本では許可証の無い狩猟行為は当然違法だが、僕にはそんなことを言っている余裕は到底なかった。
「……家の裏庭に見知らぬ小さな墓があった」
義父の小さな呟きに、僕はびくりと身を震わせた。
「三丁目の鈴木さんの犬が先週から行方不明になっているそうだ。……アレはお前の仕業だな」
「……ごめんなさい……どうしても我慢出来なくて……」
しばらく迷った末に、僕は弱々しく肯定した。
「次の狩りまで、耐えられなかったんだ……」
元自衛隊のサバイバル教官だった義父の教えは、僕の人生に多大な影響を与えた。狩りの手法は勿論、罠の作り方や効率の良い設置場所、簡易的な武器の作成方法、追跡術。
考えて応用すれば実際の殺人に役に立つ物ばかりだった。
「……そうか、でも我慢出来なくなったら、最初に私に相談する約束だっただろう?」
「……ごめんなさい」
再び謝ると、義父は苦笑しながら僕の頭を撫でた。
義父と義母の二人は、こんな厄介な性質を持った僕を大事に育ててくれた。僕のような異常者に対して、彼らが出来るであろう最大限の努力をしてくれたのだ。
「お前は、今よりもずっと幼い頃にとても酷い事件に遭ったんだ。……だから、お前にそういう性質が備わってしまうのは仕方がないことだと私は思う」
義父は遠い昔を思い出すように言っていた。
「……でも義父さん、僕には分かるんだ。僕の中の『昏い炎』はどんどん強くなっている。……きっとこのままじゃ僕は動物を殺すだけじゃ満足できなくなる」
この頃の僕は、殺人衝動が身体の成長と共に強くなっていた時期だった。
飢えた時に食べ物を少しだけ食べれば、より飢餓感は強まる。動物をいくら殺しても、僕の飢えは一層強くなる一方だった。
「そうか、それは困ったなぁ」
義父が「ふむ」と呟いた。。
「人間には多くの者が避けては通れない必然的な欲求がある。性欲、食欲、睡眠欲。これらは無くそうと思って消せる物ではない。……私にはお前の衝動がコントロールできる物なのか、あるいはそうではないのか分からない」
義父はまた僕の頭を優しく撫でて、
「──だから、どうしても耐えられなかった時は最初に私を殺しなさい」
「……義父さんを?」
「ああ、そこで踏みとどまれるなら、きっとお前は大丈夫だ」
そう言って義父は力強く笑った。
──しかし、結局のところ、この約束が守られることはなかった。
この数年後に義父は、交通事故で義母と一緒に亡くなってしまったからだ。
もしも義父が生きていたらならば、僕は人生の最後まで殺人衝動を耐えること出来たのだろうか。
それとも我慢出来ずに家族をこの手で殺めたのだろうか。
分からない。
人生にもしもは無いのだから。
けれど、思うのだ。
僕のような異常者が、一欠片でも人でなしでいられたのは、義理の両親の教えがあったからこそなのだと。
*****
「──ンスお兄さん、アインスお兄さんってば!」
「……アリエッタちゃん?」
アリエッタに声を掛けられて、ふと僕は我に帰った。
「はい、さっきから何度も呼んでるのに、ぼうっとしているみたいでしたから」
「……ああ、すまなかったね」
僕は周囲を見回した。
森林地帯に広がる巨大な湖。遥か向こうには、飛沫を上げる大きな滝が見えた。
ここはキリーヴ森林地帯にあるゼナ湖だった。
ハンネに話していた通り、ユニゼラルを離れて野掛けに来たのだ。……まあ、泊まり掛けで遊びに来たので、どちらかというとキャンプに近いかもしれないが。
「でもアインスお兄さん、急にぼうっとしたりして、どうしたんですか?」
「……ちょっと昔のことを思い出してね」
前の世界。義父が亡くなる前は、こうやって自然溢れる地域をよく訪れていた。だからだろうか。少し物思いに耽ってしまった。
異世界に転生したせいなのか、あるいはヴァーゲストと一体化したせいか、最近の僕は昔のことを思い出すことが多くなったような気がする。
「ねぇねぇアインスにぃ、焚き火で使う枯れ木ってこれでいいの?」
「ああ、それだと少し生木に近いからもうちょっと乾燥した奴の方がいいかな。それと枯れ木を地面に置かない方がいいよ。乾燥した奴でもまた水分吸ってしまうからね」
「はーい」
僕たちはゼナ湖の湖畔で簡易宿泊地の設営をしていた。少年探偵団のみんなが僕の指示に従って動いてくれている最中だ。
「でもアインス兄ちゃんって、結構手慣れてるんだな。野営の設営も出来るなんてすごいぜ!」
「……馬鹿ガル、なんでアンタが自慢気なのよ」
まあ昔取った杵柄というか何というか。
「ハッハッハ、皆様方、今日の夕飯を取ってきたでござるぞ」
茂みから二羽の鳥を片手に、シンゲンが現れた。
「……シンゲンさん、今更ですけどシュタール騎士団の団長がこんなところにいても大丈夫なんですか?」
今回の野掛けを提案したのはシンゲンではあるのだが、まさか提案した本人が引率として僕たちについて来るとは思わなかった。
「何をおしゃいますか。シュタール騎士団の中でも、若の安全を守るのに一番適任なのは拙者でござるよ」
たしかに護衛としては申し分ないが……。
直に戦闘を目撃して痛感したが、シンゲンがいれば魔獣だろうが異能者だろうが物の数ではないはずだ。それこそ到達者級の異能者でもなければ。
「クロムバッハ邸を出る時に見送りの来ていたアカネさんの視線が、若干殺気混じりだったような気がするんですが」
無表情ではあったが、この忙しい時にお前は一体何をやっているんだという無言の抗議が込められていた。
「ハッハ、シュタール騎士団は拙者がいなくても回るように作っておりますよ。数日程度、クロムバッハ邸を離れたぐらいでは少しも問題になりませぬ」
「……だと良いんですが」
アカネを含めたシュタール騎士団の団員に恨まれるのは勘弁願いたい。
「うっひゃぁ!? ……ガル、あんた一体なにすんのよ!」
「へっへーん、隙ありぃ」
声のした方を向くと、ガルがエーカに向かって湖の水を掬って投げ付けていた。
「もうー、ガーちゃん、エーちゃん、遊んでないで手伝ってよぅ」
アリエッタが肩から下げた小さなバック──父親の形見の百科事典が入った物──を腕でしっかり防御しながらボヤいていた。
そういえば、こんなところにも肌身離さず持ってきているんだったか。
「はん、上等よ! やってやろうじゃないの!」
「……うぉぉ!? 水汲み用の桶を使うのは反則だろ!」
「先にやってきたはそっちでしょ! 覚悟しなさい!」
エスカレートしたガルとエーカの二人は、湖の中に入って本格的な水の掛け合いを始める。
「微笑ましいですなぁ」
それを見ながらシンゲンが和むように笑った。やれやれ、後で早くも焚き火の用意をしなければな。
「……アトレイア大陸には、未だ戦火が収まらない地域が山のようにあるのでござるよ。このように子供が無邪気に遊べる場所など、どれほどあることか」
少し真面目な口調になりながらシンゲンは言った。
「そういえば、シンゲンさんは『大戦』の参加者なんですよね?」
覇王没後に起こった大規模戦争は二度ある。
大陸中のあらゆる国家が血みどろの戦いを繰り広げた大戦乱だった故に、『大戦』と通称されたのだ。
たしか二度目の『大戦』が始まったのは、二十年以上前だった聞いている。薄氷の停戦による戦争終結まで、それこそ十年ほど断続的に争いが続いたのだったか。
「ええ、そうでござるな。まだ十代だったゲオルグ……お館様と一緒にあらゆる戦場を駆けました。ユニゼラル家の命で」
「ユニゼラル家の?」
「ユニゼラル周辺国の援軍ですな。同盟とはまた違った利害により、色々な国に派遣された物でござるよ」
大都市ユニゼラルの独立自治は覇王のお墨付きではあったはずだが、覇王が没した『大戦』時はどんな状況だったのだろうか。
あらゆる物流と金が集まるユニゼラルは、各国からの格好の標的だったろう。考えてみれば、よく独立を維持出来ている物だ。
「話すと長い話しではありますが……っと、そうですな、よければ釣りでもしながら語るとしましょうか」
そう言ってシンゲンが、荷物置き場に置いてあった釣り道具を指差した。野宿やキャンプに必要な道具一式は、馬車従者のゲートに馬車で運んでもらったのだが、その中に釣り用具もあったらしい。
「……はあ、別に構いませんけど」
少年探偵団の三人を見ると、相変わらず水遊びに夢中のようだった。邪魔するのも何だしあのまま遊ばせておこう。
持ち込んだ食料はあるが、現地で確保出来ることに越したことはないだろう。
僕はシンゲンの提案に頷いた。




