第三十一話 守るために
簒奪者の戦闘部隊──毒蛇の襲撃から三日後。
負傷が完全に癒えた僕は、クロムバッハ家の屋外練兵場に来ていた。
「ハンネ姉様、ここにいらしたのですね」
練兵場の中央。
ハンネは槍を構えたまま、微動だにせずに彫像のように姿勢を保っていた。
しかも何時間も同じ体勢でいたのか、彼女の足元には汗が水たまりのように溜まっていた
「あらアイン、無事に復調したのね。おめでとう」
僕に声を掛けられたハンネが、黒槍を構えたままこちらを見ずに言った。
そういえば僕の世界の武術の訓練で、同じ体勢を維持し続ける鍛錬があったな。
彼女が今やっているのはそれに近い訓練法なのだろうか。
「……ごめんなさいね。見舞いにも行かずに」
やはり同じ体勢を維持したまま、ハンネが申し訳なさそうに言った。
「いえ、お気になさらずに。……聞きましたよ、姉様も簒奪者の異能者と戦ったんですね」
弟のことを溺愛しているハンネが、顔の一つも見せにこないなんて、よっぽどの事態な気がしたので様子を見に来たのだ。
案の定というか。何というか。
ハンネは鬼気迫る表情で、鍛錬を何時間もぶっ続けでやっていたようだ。
簒奪者との戦闘でハンネは負傷したわけではないみたいだが、実際に矛を交えて思うところがあったのではないだろうか。
「……あたしが甘かったわ」
「え?」
ハンネがボソリと呟いた。
「あたしは十分強くなったし、これ以上強くなるのは諦めていた」
それは独白のようなセリフだった。
「……昔はお父様やゼクス兄様の役に立ちたくて、死に物狂いで武の高みを目指していたのに」
ゼクスとはたしかクロムバッハ家の次男だったか。
クロムバッハ家の男子は四人いるらしいが、唯一鬼籍に入ってる人間だ。詳しい事情は知らないが、ネフェラから事故で亡くなったと聞いている。
「……はぁ、縛られているのつもりなんて一切なかったけど、いつのまにか貴族社会の常識に囚われていたのね。やれ結婚しろ、やれ女は武器を振るうなって」
そこでハンネは黒槍を大上段に構え──
「──本当にくだらない!」
振り下ろした。
ただその衝撃だけで、ハンネの前方の地面が数十メートルも抉られた。
ハンネが持っている黒槍自体が特別な力を持っているのか、とんでもない威力だった。
「……あたしが強くなりたい理由なんて昔から一つだけだったのにね」
そこでようやくハンネは初めて僕を見た。
彼女が手を振ると、不思議なことに黒槍は光の粒子となって消えた。
「ハンネ姉様は苦戦したのですか?」
やはりハンネは随分と思い詰めている様子だった。
それほどまでに簒奪者の異能者との戦闘は、ハンネの危機感を煽る物だったのか。
「ううん、全然。あの青い髪のガキンチョは全然本気を出していなかったからね。……おそらくは実力の半分も見せてないんじゃないかしら」
実力の半分も?
聞くところによるとハンネを襲撃した戦闘員は、僕と対して違わない年齢だったそうだ。なのに達人者級の異能者であるハンネと互角以上に戦ったというのか。
「あたしだって手の内を全て見せたわけじゃないけどね。……それにしたって情けなさ過ぎる。控えめに言っても、舐められていたと考えていいわ」
だからこそハンネは弟の見舞いにも行かずに、必死に鍛錬していたのか。
「……はぁ、本当に一から修行の仕直しね」
「ハンネ姉様、あまり根を詰めても身体に良くありません。……良かったら野掛けにでも行きませんか?」
「野掛け?」
「はい、明日に少年探偵団……僕の世話役たちを一緖にキリーヴ森林に行く予定なんです」
「キリーヴ? たしかあそこは魔獣が出てくる場所だったわよね? ……しかもユニゼラルの外じゃないの」
「ええ、本当は僕がカサキヤ村にいる時に、あの子たちと遊びに行く予定を立てていた場所なんです」
僕が怪我をしてしまったりと、カサキヤ村で色々なことがあったせいで立ち消えになってしまった出来事だった。
「シンゲンさんが、しばらくはクロムバッハ邸がばたつくだろうから、この機会に行ってみたらどうだって言ってくれたんですよ。最近の魔獣掃討で安全な場所になっているそうですし」
ユニゼラルからキリーヴ森林は遠いからピクニックというよりは、どちらかというとキャンプのような泊まり掛けの遊びになるかもしれないが。
「……そっか、例の尾の暗殺者の件ね」
あの帽子女──狂える帽子屋が最後に言い残した忠告。
クロムバッハ邸に潜んでいるとされる闇の顎門の暗殺者だ。
「どうせクロムバッハ家たちを撹乱させたいだけの嫌がらせでしょ。まともに取り合う必要もないじゃないの」
「シンゲンさんもそう言っていましたが、念のために出入りの商人から従者の身元保証人まで全て洗い直すそうです」
「……うへ、見習いの従者も入れたら余裕で百人を超えるじゃないの。よくやるわね」
武門の家柄、そして治安を守るという立場上、クロムバッハ家は敵が多い。
故に、大貴族であるクロムバッハ家は、商品を売るためにやってくる商人ですら厳しい身元調査を行なっているそうだ。仕入れた食品に毒を入れられる可能性もあるしな。
だから得体の知れない一介の平民が働きたいといって、ノコノコと入れる場所では当然ない。
「ありえないと思うが念のために……だそうですね。なのでこの機会に、ユニゼラルの外で気保養でもしてきたらどうかと」
「でもアインが襲われたばっかりだっていうのに貴族地区から出ても大丈夫……ううん、むしろその方が安全かしらね。ユニゼラルから出れば、アインの行方なんて探れないわけだし」
僕を心配するハンネが、途中で言い直した。
「ええ、だそうです。それもあってシンゲンさんから進められました」
僕を襲撃した簒奪者の連中が、今もまた襲撃しないとは限らない。社交界での、あの大規模な策謀。あれを考慮すれば貴族地区ですら完璧に安全と言えない。
それにクロムバッハ家が立て込んでいる状況で僕がいても邪魔なだけだろうしな。
「あたしは……うーん、残念だけれど今回は遠慮しておくわ」
意外なことにハンネは僕の誘いを断ってきた。弟を溺愛する彼女であれば、是非もなく誘いに応じると思っていたのだが。
「しばらく武者修行の旅にでも出ようかと思っているのよ」
「武者修行?」
およそ貴族の子女とは思えない単語が出てきた。
「自分を鍛え直す旅よ。北方の戦乱地域でも巡ってみようかなって」
ベリヌス高原より北は、小国が乱立する紛争地帯だ。様々な国が滅んでは生まれるの繰り返しているような場所。
そんな危険な地域にわざわざ進んで行こうというのか。
「そんなことをしようとしたらゲオルグお父様が、反対するのではないのですか?」
「当然反対するでしょうね。でも今ここにいないんだから知ったことじゃないわ」
ハンネが言い切るように宣言した。
「……ってことで、明日からしばらくクロムバッハ家を離れるからよろしくね。アインは真面目だから大丈夫だと思うけど、鍛錬は欠かさないようにね」
「はい、分かりました。ハンネ姉様」
*****
そうしてハンネは翌日旅立っていった。
クロムバッハ家の長女が出奔するという、ある意味では緊急事態。
シンゲンは呆れていたが、他のクロムバッハ家の関係者たちはハトが豆鉄砲を喰ったような大混乱に陥っていた。
僕としては、彼女らしいと奔放さだと思ったがね。
彼女の言う通り、自己鍛錬は欠かさずにするとしよう。




