第二十八話 マッドハッター
「──え?」
不死身の怪物が死に際に放った、自爆とも呼べる最後の爆発。
突然の攻性術式に対して僕は成す術もなく巻き込まれたかに思えた。
だが、違った。
「──お前は誰だ?」
「ドウモ、ご機嫌よう」
いつのまにか目の前には一人の女性が立っていた。
白手袋、赤茶けた紳士服、目深に被った紳士帽。
おそらくは十代後半。男装をした少女が、まるで数時間前からそこに存在していたかのように立っていたのだ。
目深に被った紳士帽のせいで、彼女の顔はよく見えなかった。
「……これは」
僕は周囲を見渡した。
爆裂術式が展開された目抜き通りは、爆発の影響で見るも無惨な状況になっていた。道路はボロボロになっており、地面が剥き出しになっている。まるで怪獣が踏み鳴らした後のようだ。
しかし不思議なことに、僕と男装の少女の空間は無傷の状態だった。
何の変哲もない馬車道路。
これはもしかして──
「君が爆裂術式から僕を守ってくれたのか?」
どういう手品か──いや、異能か──分からないが、どうや眼前の女性が僕を助けてくれたようだ。あのままだったら、僕はあのマスク男の最後の術式に成す術もなく巻き込まれていただろう。
「……フム、これが主人様が言っていた最初の世界線の分岐デスカ。いやはや危ないところデシタ」
世界線?
僕に言っているのか、それとも独り言なのか。彼女はよく分からないことを呟いていた。
「……おい、坊ちゃん」
「ヴァーゲスト?」
傍らに人間形態のまま立っていたヴァーゲストが僕の服の裾を引っ張った。しかもその手は、なぜだが少し震えていた。
「気を付けろ。アイツ、人間じゃねェぞ」
人間じゃない?
おそらくそれは、罵倒や蔑称ではなく言葉通りの意味。
「オヤ、ボクとしたことが名も名乗らずに失礼をば。ボクの名は『狂える帽子屋』と言うのデスヨ。近しい者たちからはハッタと呼ばれておりマス。以後お見知り置きを」
まるで舞台役者のような大仰な仕草で男装の少女──ハッタが礼をした。
しかし狂える帽子屋だって?
僕の世界で聞き覚えのある言葉だった。
かのルイスキャロルが書いた──世界一有名な児童小説に出てくる登場人物の名前だ。
ただ発音が似ているだけなのだろうか。
「君は一体何者だ。異能者なのか?」
とりあえず僕を助けてくれたということは、簒奪者の刺客というわけではないだろう。
「いやいやボクの素性に付いてはお気になさらずに。普段は中間管理職のようなことをやっているしがない身分なのデスヨ。しかしクロムバッハ家の後継者ともなると敵が多くて大変デスネ」
「……はぁ」
何だろう。
先ほど彼女から会話をして、言い知れぬ違和感を覚える。脳髄の裏側で何事かが叫びを上げているような感覚。
僕の第六感が警戒信号でも上げているのか。
「まったく評議会の暴走にも困ったモノなのデス。我々以外の外部組織を独断で使用するとは。振り回される身にもなって欲しいのデス。今回もあやうく主人様の大事な大事な計画の部品が台無しになってしまうところデシタ」
よく分からない嘆きの言葉をハッタが呟く。
「いや、そもそも──」
そして、まるでとびきりの名案を思いついたかのようにハッタが指を鳴らした。
「──初めからボクたちが彼を管理すればいいのでは?」
帽子を被った女の手が僕に伸びる。
それは敵意、殺意を伴った物だった。
「坊ちゃん、逃げ──」
「──首刎ね待ちの女王様」
「ハァ!? 拘束術式だと!? いつの間に仕掛けやがった!?」
ヴァーゲストが光る紐状のモノに拘束される。
「ぐっ……」
先ほどの身体強化術式の過剰行使と、渾身の攻性術式──影より深き深淵のせいで身体をまともに動かすこともできない。
帽子女の魔の手が、徐々に僕に伸びる。
僕を拉致でもするつもりなのか。
ともかく少しでも抵抗をしなければ──
「あたしの可愛い弟に──」
「何者か知らぬが、若に──」
瞬間、頭上から二つの影が舞い降りてくるのが分かった。
「「──手を出すなっ!」」
それはハンネとシンゲン。
長槍と刀が、帽子女の両断すべく振り落とされた。
「……嘘でしょ!?」
「……何だと!?」
しかし、振り落とされた二対の武器は虚しく空を斬った。
どういうことだ?
長槍と刀が振り落とされる直前まで、ハッタは間違いなくそこに立っていた。だが直撃する瞬間に、まるで幻のように消え去っていった。
「どこに消えたのでござるか!?」
「……転移術式!? いや違うわ! 魔素の気配がまったくなかった!」
僕を背にして、ハンネとシンゲンが周囲を警戒する。
「……すみません、姉様、シンゲンさん。助かりました」
「なに水臭いことを言ってるのよ。家族でしょう」
僕に背を向けながらハンネは笑った。
ハンネの社交界用のドレスには、擦り切れたような跡がいくつもあった。もしかしてハンネも違うところで刺客と戦っていたのだろうか。
「若、ご無事なようでなにより」
「ええ、シンゲンさんも。……ところであの眼帯の老人はどうなったのですか?」
「二度目の大きな爆発の後、まるで最初から決まっていた手筈の如く的確に撤退したのでござるよ。……仕留め切れなかったのは不覚」
「へぇ、シンゲンが倒し切れないなんて相当な手練れじゃない。あたしは爆発音がした方向に向かってる最中にシンゲンと合流したんだけど……ねぇ、さっきの帽子女、アインに危害を加えようとしてるみたいだから斬り付けちゃったんだけど大丈夫だったかしら?」
斬り付けておいてから、そんなことをのたまうハンネ。
「……オイ、くっちゃべるのはいいけどよォ、オレちゃんの拘束も解いてくれよ」
光の紐状のモノに拘束され、地面に転がっていたヴァーゲストがぼやいてた。
「誰よアンタ? ……って、その魔素形成、もしかしてワンコロ? 何で人間の姿をしてるのよ?」
疑問を口にしながらハンネが、持っていた漆黒の長槍を拘束されたヴァーゲストに向ける。
すると不思議なことにヴァーゲストを拘束していた異能が霧散した。
「ハンネ殿、先程の帽子を被った女が何処に消えたか検討は付きますかな? 拙者、魔素探知は不得手でござるが故に」
「……うーん、さっきからやってるんだけど妙なのよ。まるで空間を切り取ったみたいに断絶して──」
「──やれやれ、人助けをしたと思いきや、いきなり襲われるとは散々デスネ」
「今一体どこから声が……!?」
僕は声のした方向を探る。
そこは僕たちの頭上。空中だった。
「……なっ!? 空に浮いている!?」
僕は驚いた。帽子女──ハッタは何も無いはずの空中で優雅に座っていた。まるで上等な椅子でくつろぐように。
「いや違うわ。よく見てアイン」
違う?
どういう意味だ?
言われて目を凝らすと──
「……空間が歪んでいる?」
注視すればすぐに分かった。
ハッタが座っている部分。その一体がわずかにだが歪んでいるのだ。
まるでカメレオンが風景に紛れ込んでいるような違和感。光を屈折させて周囲の景色と同化しているみたいだ。
僕は昔に見たSF映画での光学迷彩というモノを思い出した。
「アイツは空中を浮いているわけじゃなくて、空を飛ぶナニカに乗っているのよ」
「ええ、その通り──姿無き笑うモノ、ボクの同志の一人なのデスヨ」
チェシーキャット?
それもまた狂える帽子屋と同様に小説の登場人物の一人だ。
二度も続けばそれは偶然ではない。
そして僕はようやく気付いた。
脳髄の裏側の叫び。違和感の正体を。
否、これは違和感ではない。
「──ハッタ、お前は一体何者だ?」
これは既視感だ。
魂の奥深くで何かが喚いてる。
僕はコイツを知っているのだと。
──間違いなくコイツは僕の世界の人間だ。
「はてさて、一体なんのことやら」
僕の問いに帽子女はくすくすと笑うだけだった。
「──さてボクたちはそろそろ退散することにしまショウ。ここで余計な情報を与えて、後の世界線に悪影響を与えるわけにはいかないのデス」
不定形の謎の存在。
そこからハッタは立ち上がり、大仰な礼をした
「ではでは、クロムバッハ家の皆様方、これにて──っと、最後に主人様からの大事な忠告を伝えるのを忘れていまシタ」
言葉の途中で、ハッタがうっかりしていたばかりに手を打った。
「貴方たちクロムバッハ家の中に、尾の人間が潜んでイマス。大事な人間を失いたくなければ、くれぐれも身の回りには注意することデスネ」
「……は?」
尾の人間だって?
それは闇の顎門の暗殺者の一種だ。ジューダスが言うには、いわゆる正当な暗殺者。毒殺、事故死、不意打ち。影に潜み人知れずターゲットを暗殺することを専門とする連中だったか。
「そこのアンタ! デタラメ言ってるんじゃないわよ! うちの家にそんな奴がいるわけないじゃない!」
「潜むとは聞き捨てならぬ言い草でござるな。我々、クロムバッハ家は従者見習いにも入念な身辺調査を行っている。いらぬ諫言で我々を惑わすつもりか」
「マァ貴方たちが、この忠告をどう捉えるかはご随意に。ボクはただの伝言者なのデス」
言いつつ狂った帽子屋の姿が徐々に消えていく。
「ではクロムバッハ家の皆様方──いつかどこか、また会う日まで」
そして帽子女はこの空間から完全に姿を消した。




