第二十七話 それは死の淵でこそ輝く
「ぐっ……」
マスク男の戦闘の最中。僕の足が痛みを訴え始めた。
当然だ。
接近されては距離を離すの繰り返し。
身体強化術式の限界を超えて、何度も魔素を両足に集中しているからだ。
例えれば、貧弱な乗用車が性能以上の速度を出そうとしたような物だ。土台が出来ていないのに、限界以上の負荷を掛ければ当然こうなる。
状況は相変わらず拮抗。
いや悪化しているといっていい。
「──らうらうらあああああぁぁぁぁぁ!」
「歪なる影の独歩!」
大男に攻性術式を連発。
しかし負傷する端から、傷が煙を上げて再生される。
《坊ちゃん! このまま無闇に攻性術式を繰り返しても魔素切れになるだけだぜ!》
目算だが僕の魔素の残りはおよそ半分。
回避に身体強化術式を使うことを考慮するならば、もはや余裕がない領域になってきた。
《分かってる! なあヴァーゲスト! あの怪物に魔素切れはないのか!?》
《わっかんねェよ! けどあの白マスクが使ってる術式は、治癒術式と身体強化術式がメインだ! 治癒術式はともかく、身体強化術式と燃費で張り合っても分が悪いぜ!》
あの治癒術式の過剰使用に、どれほどの魔素を使うのかは僕にも分からない。
しかし身体強化術式は、世界に干渉して超常的な現象を顕現させる攻性術式とは違い、圧倒的な魔素効率を持っている。
術式さえ構築できていれば魔素を注ぐだけ。
一から魔素を使って異能を構築しなければならない攻性術式とは雲泥の違いだ。
「……本当に分の悪いチキンレースだな!」
マスクの男が他にどんな攻撃手段を持っているのか分からないが、戦闘を続けている以上あちら側が有利な状況だと考えていい。
やはり状況は劣勢だ。
どうにかして突破口を──
「──あ」
僕は戦斧を避けるために背後に跳躍した。
だが跳躍した先は、最初に爆裂術式で無惨にも破壊された道路跡。
クレーター。でこぼこした不安定な足場。
当然そんなところでは上手く着地できるはずもなく──
「──らうらうらあああぁぁぁ!」
怪物の咆哮。
当然狙いは地面に転がって、体勢を立て直そうとしている僕だ。
不味い。
今の状況では次の回避行動を取ることも出来ない。
歪なる影の独歩を──駄目だ、その程度で眼前の怪物は止まらない。影絵の巨岩も一時しのぎにしかならない。
身体中が総毛立つ。
数秒後に訪れるであろう死の予感に。
何か。
何か対抗策を──
「──ウおおおおォォォ!」
「ヴァーゲスト!?」
刹那、僕の身体から光の粒子が漏れ、実体化する。
黒い髪の少女。人間形態のヴァーゲストだ。
幼い少女の姿。右手には魔法陣。
ヴァーゲストはマスクの大男に向かって飛び掛かった。
「霧より這いずる影なる獣ェ!」
叩き付けられた魔法陣からは黒い霧が急速発生した。
以前ジューダスとの戦闘でも使っていた煙幕か!?
「──うらうああっ!」
大男がヴァーゲストに向かって戦斧を薙ぎ払う。
「ハッ、遅ェよ!」
戦斧が轟音を鳴らしながら空を切る。
あらかじめ予想していたのか、ヴァーゲストが再び粒子化して薙ぎ払いを回避したのだ。
《坊ちゃん! 今のうちに退避だ!》
さっきの魔法陣から発生した黒い霧が、凄まじいスピードで周辺に広がっていく。僕の姿を隠していく。
「すまない! 助かった!」
僕は体勢を立て直して、慌てて距離を取った。僕を覆い隠してくれた黒い霧が、目抜き通りから徐々に消えていく。
《……肝が冷えたぜ。たぶん次は通用しねェぞ》
ヴァーゲストの言う通り、今のは搦手のような物だ。もう一度同じことをして通用するような甘い相手ではないだろう。
ヴァーゲストが機転を利かせてくれなかったら、僕はあのまま無残にも殺されていたところだった。
《オイ、坊ちゃん……》
何故か。
唐突にヴァーゲストの思念が狼狽した物に変わった。
「ヴァーゲスト? 一体どうしたんた?」
僕はマスクの男の突進を警戒しながら問いただした。
《──お前、笑ってるぞ》
「──は?」
一体何を言って──
僕は口元に手を当てる。それは確かに笑みのカタチを作っていた。
──貴様は何故あの時笑っていた?
いつか聞いた暗殺者の言葉が頭をよぎった。
「……なんで」
どうして。
僕はこんな死の淵に立たされて笑っているのか。
《坊ちゃん、次の投擲が来るぞ! 防御しろ!》
ヴァーゲストの警告。
大男が僕に向かって戦斧を振りかぶっているのが見えた。
「────」
《オイ坊ちゃん!? なんで術式を展開しない!?》
まるで加速する大型単車のような質量と速度で飛来する物体。
だが僕は防御術式を展開しなかった。
あえてしなかった。
僕は見極める必要がある。
この感情が何なのか。
僕はその場から一歩も動かなかった。
微動だにしなかった。
「…………っ!」
破砕音。
かくして戦斧は僕の頭部をかすめて、道路に着弾した。
あえて動かなかったことが功を奏した。
戦斧は僕の頭一つ分横を通り過ぎていったのだ。下手に回避運動を取っていたなら直撃していた。
《……オ、オイ、坊ちゃん……一体何を……》
ヴァーゲストの困惑していた。
僕の突然の意味不明な行動に。
しかし、僕は──
「あはっ」
《……坊ちゃん?》
「あははははははははははははははははははははははははははははっ!」
口から漏れたのは紛れもない狂笑。
「そうか! そういうことだったのか!」
《……ど、どうした!? ついにイカれてちまったか、坊ちゃん!?》
ヴァーゲストの驚きの声も、僕の耳には遠く聞こえた。
「……ようやく分かったんだよ」
《ハァ!? 何がだよ!?》
この全身を焦がす圧倒的な感情を。
高揚。歓喜。陶酔。
これら全ては、自身に潜む『昏い炎』を満たした時に得られる感情だった。
すなわち殺人行為。
だが、どうして殺人を行った時に得るはずの感情を、この瞬間僕は感じているのか。
「僕は生きるということを知りたかったのか!」
長年に渡って僕を悩ませた終世の疑問。
殺人衝動。
何故、僕は他者を殺すことでしか生きられないのか。
何故、たったひとりの家族を殺したいと思わなければならないのか。
ジューダスは言った。
──お前は死に固執している、と。
まったく、慧眼だよ。呆れるほどに。
「生きる実感を得るために、もっとも簡単な方法は死に直面することだ」
人は死に触れた時にこそ生を意識する。
だからこそ、なればこそ。
僕は殺人という手段を使って、生の実感を得ようとしていたのだ。
僕は他者と親しくなるほど殺人欲求が強くなってしまう傾向があった。
それはきっと好意の裏返し。
僕はただ単純に生を知りたかったのだ。
はっ、なんという醜悪さだろうか。
ハリネズミのジレンマどころではない。
僕の生きるとは、他者を殺害するということと同義なのに。
「……だからノアもあの時に」
きっと無意識に彼女にも──
「──らうらうらああぁぁ!」
《坊ちゃん、来るぞ!》
マスクの大男が突進してくるのが見えた。
もはや何回目の焼き直しだろうか。数えるのもうんざりしてきた。
「──嗚呼、うるさいな、お前は」
こっちは生死の境目でようやく大事なことに気付いたんだ。邪魔をしないでくれ。
《ハァ!? オイ、坊ちゃん!?》
普通であれば両足に魔素を集中させて距離を取っているところだ。
しかし僕は不死身の怪物に向かって、逆に特攻した。
「────!」
マスク越しでも大男が驚く気配が伝わってきた。それはそうだろう。何の武器も持たない子供が突っ込んできたのだから。
《神風のつもりか!? 死にてェのか!?》
《ヴァーゲスト! これから身体強化術式をずっと過剰行使させてくれ!》
《アホか! 今の魔素容量だと三分も保たないぞ!》
《構わないっ!》
《ああもう! どうなってもシラネェ!》
みしり、と。
身体が軋みを上げる。
自身の限界以上に運動能力を発揮しようとしているからだ。
「──らうううっ!」
マスクの男の戦斧が垂直に振り落とされる。
「あははははっ!」
口から自然と哄笑が漏れ出た。
僕は戦斧を紙一重で避けた。僕のすぐ側の地面が爆発したように粉砕される。
「──らあああああ!」
続けてもう一つの戦斧が薙ぎ払われる。
長物による死神の鎌のような横の一撃。
素手で防ぐのは当然不可能。
僕は地面に伏せるような低さで回避した。
「ははははははははっ!」
この身を焦がすは生の充足。
脳内麻薬が溢れ出しているのか。底知れないほどの歓喜が身を震わせる。
この感情に比べたら、あらゆる事柄が陳腐に思えるほどだ。
まったくもって度し難い。
「──いける、いけるぞ」
自然と僕は呟いていた。
長槍使いであるハンネは言っていた。
長物がもっとも不得手とするのは、意外なことに密着に近い状態なのだと。
僕の身長ほどもある二つの巨大な戦斧。
それこそ手が届くような距離に近づかれたら、振るうのにも難儀する。
「──らうらうらああぁぁ!」
僕は不死身の怪物が繰り出す戦斧をぎりぎりで避け続ける。
元々身体能力は、身体強化術式の過剰行使であれば僕が上回っていた。
死の恐怖による躊躇がなければ尚更だ。むしろ死の淵を綱渡りするほどに、僕の動きは洗練されていく。
これならば、いっそのこと武器を捨てて素手で殴り掛かった方がマシだろう。だが丸腰の子供を相手に武器を捨てるなどという決断をするのは難しい。
《ヴァーゲスト! さっきの煙幕を数秒だけでもいいから展開してくれ!》
《……お、オオ! 分かった!》
ヴァーゲストがこの唐突な状況に困惑しながらも答えた。
中空に魔法陣が展開され、煙幕となる黒い霧が顕現していく。
黒い霧が、僕とマスクの大男を覆い隠していく。
もはや一メートル先の状況も分からない。
──さあ、ここからが正念場だ
「──らうらうああぁぁ!」
煙幕で視界を塞がられた大男はやたらめったらに戦斧を振り回す。
僕は両眼に魔素を集中させる。
黒い霧のわずかな乱れを捉えるために。
「──うおおおっ!」
違いは心構え。
突然に視界を塞がれたマスクの大男と、あらかじめ煙幕が発生することを知っていた僕。
無軌道に振り回される単純な戦斧の軌道は、黒い霧のわずかな乱れから容易く予想できた。当たらない。当たるわけがない。
「────!!」
不死身の怪物の驚愕。
黒い霧が消え去った後、空中には三つの魔法陣──攻性術式が展開していた。
「──さあ王手だ」
狙いは大男の頭部。大脳。
如何なる異能者とて頭部を破壊されれば、異能を発動させることは出来ない。
「歪なる影の独歩!」
魔法陣から攻性術式を顕現させる。
致死性の破壊力を持ったドリルが連続して射出された。
「──らうらうらうらうらうあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
一際大きな怪物の咆哮。
マスクの大男は亀のように身を縮めて、二つの戦斧で身を守った。
《クソが! 仕留めきれてねェ!》
ヴァーゲストが悔しそうに叫んだ。
歪なる影の独歩は大男の上半身の多くの部分を削り取っていたが、一番大事な頭部だけは完全に守り切っていた。
「──いや、これでいい」
言いつつ僕は後方に跳躍した。
距離はおよそ十メートル。
「──うらう……がぁぁぁ!?」
マスクの男は、再び僕に対して距離を詰めようとして地面に転んだ。
どうして障害物も何もないところで足がもつれたのかと疑問の叫びを上げる。
奴の視線は自身の足元に向けられた。
《《そう、いつまにかズタボロになった己の両足を》》。
《いつのまに……!? ……いや、そうか、さっきの煙幕の時か!》
その通り。
先ほどの煙幕の真の狙いはコレだ。
《ああ、煙幕の中、規模の小さな攻性術式でずっと奴の足を攻撃し続けたのさ》
痛覚が無いということは感覚がないということだ。悪いが利用させてもらった。
マスクの大男は視界が遮断された状態で、僕を狙うことに必死になり過ぎていた。
僕の断続的な小攻撃に気付かないほどに。
「──うらううらう……」
足を引きずりながら、それでも僕に向かってくる不死身の怪物。両足が煙を上げながら再生されていく。
しかし機動力は大幅に削がれていた。
「そして、これで王手詰めだ」
僕に一番必要だったのはタメの時間。
一番破壊力がある攻性術式を展開するための間だ。
《ヴァーゲスト、アレを使う。補助してくれ》
《ウケケケ! 分かったぜ、坊ちゃんよォ!》
ヴァーゲストが少女の姿で実体化。僕の傍らに立つ。
「──我、影より来たりて、影に還るモノ、大いなる源から一雫の寵愛を受けしモノ……」
僕は詠唱を唱え始めた。
眼前に展開するのは僕の身長の二倍はあろうかという巨大な魔法陣。
この攻性術式はあまりに強力過ぎて、一文言では発動することができないのだ。
「気張れよォ、坊ちゃん! ちょっとでも制御をミスったら魔素が暴発しておっ死ぬぜ!」
ヴァーゲストが魔法陣に手をかざして、術式制御を助けてくれる。
「我が求めるは虚無すら食らう影の顎門、
汝はあらゆる事象を貫く闇からの閃光、
渇かず、飢えず、奪わず、ただあるがままに、
疾く駆け抜けたまえ──」
詠唱の最中、
──殺せコロセころせ殺せコロセころせ殺せコロセころせ殺せコロセころせ殺せコロセころせ殺せコロセころせ殺せコロセころせ殺せコロセころせ!!
僕の『昏い炎』が一際燃え盛るのを感じた。
ああ、どうやら死の淵で如何に生の実感を得ようとも、この渇望は満足することを知らないらしい。
いいだろう、今回は例外だ。
存分に味わい尽くせ。
「──影より深き深淵ッ!」
僕は必殺の攻性術式を解き放った。
巨大な魔法陣から放たれるのは暗黒の閃光。
極大のエネルギー兵器のような一撃が、不死身の怪物に向かって飛んでいく。
「──があああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
必死を帯びたマスクの大男の咆哮。
戦斧を盾に防御の体勢に入る。だが戦斧程度で防げるほど容易い一撃ではない。
「……やったか!?」
ヴァーゲストが疑問の叫びを上げた。
僕は見た。
目が眩むような黒の閃光の後、マスクの大男は身体の三分の二を失った状況になっていた。
焼け焦げたような傷跡。頭部だけはどうにか無事。
だが心臓を含めた身体の大部分は欠損していた。身体が繋がっているのが不思議な状況だ。
「傷が再生していない……?」
誰がどう見ても即死の状況。
だがマスクの大男は、身体の大部分を失いながら不思議と倒れずに立っていた。さながら弁慶の立ち往生だ。
「そりゃそうだ。流石に、心臓を失った状態じゃ治癒術式もクソもねェぜ。オレちゃんの耳じゃアイツの呼吸も脈も止まってる。どう見たって死んでるよ」
聴力に優れたヴァーゲストが、安堵の息を吐きながら言った。
だが、
「──カハっ」
先ほどの攻性術式の余波。割れた白のマスクの下半分が、皮肉げな笑みを浮かべた。
「冗談だろ!? 脈も呼吸も止まってるんだぞ!? なんで動けるんだ!?」
ヴァーゲストの疑問はもっともだ。まさか本当に不死身の怪物なのか?
「──小僧、見事だ。この死合い、貴様の勝ちだ」
「なっ……!?」
今までまともに喋らなかったマスクの男が、突然言葉を発した。
決して怪物の鳴き声でも何でもなく、ごく普通の成人男性の声。
「──だが、その命だけは貰い受けるぞ」
その言葉を最後に、マスクの男は地面に倒れ込んだ。まるでそれが今際の際のセリフだったかのように力無く。
「……魔法陣だって!?」
そして、倒れ伏した男を起点に、突如魔法陣が展開された。
しかも大きい。
直径八メートルあろうかという巨大さだ。
攻性術式を問わず、あらゆる異能は魔法陣の大きさによって術式の規模を測ることができる。
先ほど僕が行使した影より深き深淵はおよそ三メートル程度。
今この目の前に展開しているのは、その倍以上の規模だ。一体どれほどの術式が──
「術者の死を切っ掛けに発動する自死式展開──マズイぞ、坊ちゃん! さっきの爆裂術式が来るぞ!」
爆裂術式?
そうか、何故その可能性に思い至らなかったのか。
そもそも敵は最初にその攻撃を、
──魔法陣がその身を震わす、異能を顕現せんと収縮し実体化しようとしている
「坊ちゃん、防御術式を今すぐ──!」
ヴァーゲストの言葉は途中で聞こえなくなる。
周囲一体が目が眩むほど強い光に包まれる。
そして僕は──




