第二十六話 不死身のモンスター
「アインス坊ちゃん、こっちだ!」
シンゲンとバルドスとの戦闘の場から離れた僕たちは、再び路地裏を駆けていた。一刻も早く援軍を呼ぶために。
「モンドさん、目抜き通りはまだなんですか!?」
「次の角を曲がった先だ! そうすりゃ目抜き通りに出る!」
まったく、最初は何の危険もない逃避行だと思っていたのに。こんな事態に発展するなんて。
難民の暴動から発展したこの状況。シンゲンの言葉通り、全ては仕組まれていたのだ。
カサキヤ村の時もそうだが、どうにも僕は狙われ過ぎている。
僕をクロムバッハ家の後継者と公表したのはゲオルグの方針だ。それはノアのことを隠すための隠れ蓑だと思っていたが、実は暗殺を引き受ける囮の役割もあったのではないだろうか。
本当の目的を達成するためのデコイだ。
急遽ユニゼラルに舞い戻ってきたクロムバッハ家の次代当主。そんな目立つ存在がいれば政敵は対応に追われ、クロムバッハ陣営に覇王の子孫がいるなどとは考えもしないだろう。
「……別にその扱いに文句はないけれど」
僕のような殺人鬼がノアの役に立てるならむしろ光栄だ。しかしそういう計画だったなら、事前に一言ぐらいあってもいいはずだ。
「なんだ!? なんか言ったか、坊ちゃん!? ……っと、ようやく見えたぞ!」
前を走るモンドの向こう側に大きな道路が見えた。
目抜き通りだ。
「……や、……やっと、……辿り着きましたね……」
「……おう、鎧着て走るもんじゃねぇわ、マジで……」
ユニゼラルの主要道路である目抜き通りに到着した僕たちは肩で息をする。
夜ということもあって、目抜き通りを通る馬車の数はほとんどいない。
「モンドさん、衛兵隊の詰所はどこにあるか分かりますか?」
「ええっとたしか……」
とにもかくにも助けを呼ばなければいけないだろう。
あ、でも一般の兵士ではなく異能者を呼ばなければ、かえってシンゲンの足手まといになってしまうか。
たしかシュタール騎士団は全員異能者だったはずだ。彼らを呼ぶことが出来れば──
「──ッ!? 坊ちゃん、あぶねぇ!?」
唐突にモンドが僕に向かって体当たりをしてきた。
モンドは視線は何故か上空に向けられており──
「……がっ!?」
炸裂音。
突然、眼前で何かが爆発し僕は吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
視界が回る。ぐるぐると。
僕はゴム毬のように地面を転がった。
なんだ?
一体何が起きたんだ!?
「モンドさん! 何があったんですか!?」
辺り一面が煙に包まれている。
視界がはっきりしない。どうしてか耳鳴りも凄い。
僕の叫びにモンドは反応してくれない。
「──え?」
いつのまにか僕の身体に何かが、べったりと張り付いていた。
水よりもやや粘着質のある赤い液体。
その存在を僕は嫌というほど知っていた。
「……血?」
そう血液だ。命の源。
なぜ、どうして、僕はバケツでぶち撒けられたように血を浴びなけれならないのか。
これではまるで──
「──腕だ」
気付くと、僕はボソリと呟いていた。
僕の眼前に右腕があった。その部品だけが落ちていた。
それは鎧を着ていた形跡があり、おそらくは成人男性と思われる代物だった。
「……モンドさん?」
考えらえれる状況は一つ。
モンドは僕を庇って死んだ。
「──ちゃん! 坊ちゃん! 聞こえてるか!」
「……ヴァーゲスト?」
いつのまにかヴァーゲストが黒妖犬の姿のまま実体化しており、僕の傍らに立っていた。
どうやらさっきからずっと叫んでいたらしい。どうしてか分からないが、さっきから耳鳴りが酷くてまったく気づかなかった。
「敵の爆裂術式だ! 今すぐここから離れるぞ!」
耳鳴りが収まってきて、ヴァーゲストが何を言っているのかようやく分かってきた。
「……爆裂術式?」
それはたしか爆風と衝撃波を顕現させる攻性術式だったはずだ。ダイナマイトに匹敵するような爆発を任意で引き起こすことができる凶悪な術式。実際に鉱山などで発破としても使われているらしい。
「そうだっての! あの衛兵のオッサンが坊ちゃんの盾になってくれたおかげで、ほとんど無傷で済んだんだよ! だから今のうちに逃げんぞ!」
そうか、この耳鳴りは至近距離で爆発を受けたせいで、鼓膜が一時的にやられたのか。
「……っ! その敵は一体どこに……!」
「知らねェよ! さっきの爆裂術式の煙で全然見えな──って、うぉぉぉ!?」
言いながらヴァーゲストが突然叫んだ。そしてヴァーゲストの身体から黒い触手のようなモノを伸ばし、僕を抱えて飛んだ。
数瞬後、僕の立っていた場所──道路が破砕された。
「斧?」
ヴァーゲストに抱えられたまま空中で僕は見た。
先ほどまで僕がいた足元に、巨大な斧が突き刺さっていた。どうしてか斧の握りには鉄鎖が巻き付けられており、その鎖は煙の向こう側から伸びていた。
「──回収」
どこからか魔素の響きを持った言霊が聞こえた。
その言葉を切っ掛けに、道路に突き刺さった斧が、まるで動画を逆再生したかのように戻っていった。戦斧は再び視界の見えない向こう側に消える。
「……いま斧を投げ付けてきたのが敵なのか」
ヴァーゲストに抱えられて地面に着地した僕はようやく状況を理解しつつあった。
「間違いねェぜ。今日がたまたま斧が降ってくる天気じゃなければな。……オイ、爆発で起きた煙が消えていくぜ。坊ちゃん、用心しろよ」
ヴァーゲストの言う通り、爆発で巻き起こされた土埃と煙が晴れていく。
そうして僕は見た。
敵の正体を。
「……マスクの大男?」
そこにいたのは優に二メートルを超えるだろう長身巨躯の人間だった。
男はまるでホッケーマスクのような仮面を付けており、右手と左手には僕の身長ぐらいの巨大な戦斧が二つあった。
そして二つの戦斧の柄頭には鉄鎖が巻き付けられていた。さっき投げ付けた斧はこれで回収したのか。
「…………」
大男は無言だった。
まるで人形のように棒立ちになりながら、僕をじっと見ていた。
とても一般市民には見えない異質の風貌。やはりこいつも毒蛇とかいう連中の一人なのか?
「ハッ、まるで坊ちゃんの世界に出てくる映画のモンスターみてェだな」
ホッケーマスクに似た白い仮面を被った大男。
タイトルは思い出せないが、義妹に昔見せられたホラー映画でそんな殺人鬼の怪物がいたような気がする。
まったく、殺人鬼が殺人鬼モドキに襲われるなんて悪い冗談だ。
「オ──オオオオおおお!」
「来るぞ、坊ちゃん!」
叫びというよりは獣の咆哮。
様子を伺っていたマスクの男が、いきなり突喊してきた。眼帯の老人とは違い、会話なんて行為をするつもりは一切ないようだ。
そういえばホラー映画の怪物たちは無言で登場人物たちに襲い掛かっていることが多いが、そんなところもそっくりだ。
「──うらううらうううぁぁぁ!」
意味を為していない言語の羅列を吐き出しながら、二つの戦斧が僕に振り落とされる。
僕は両足に魔素を集中。後方に跳躍した。
さっきと同じように僕の立っていた場所が跡形もなく粉砕された。
僕の身体強化術式の魔素使用率は、ヴァーゲストの魔素総量のおよそ三割。
一般人として超人レベルだが、異能者としては並基準の身体能力だ。
だから身体強化術式に上乗せしてさらに魔素を使うことで、一瞬だけだが強化された身体能力を発揮することができる。
もっとも能力値では、接近戦特化型に比べれば圧倒的に劣るし燃費も悪い。しかも僕の構成比率は単独よりの遠距離型。使い過ぎれば攻性術式に回す魔素が枯渇してしまう。あくまでも緊急時の回避手段だ。
「坊ちゃん、まだ来るぞ!」
「──オオオォ!」
マスクの男が鎖付きの戦斧を投擲してきた。
「……くっ、影絵の巨岩!」
僕は防御術式を正面に展開して身を守る。
黒銅色の盾が戦斧と衝突。盛大な音を撒き散らす。
身体強化術式を使って物理耐久性が増している僕ですら、おそらくまともに直撃すれば即死確定の一撃だ。
「──回収」
マスクの男が、ようやく人間らしい単語を発した。それはさっきも煙の向こう側で聞こえてきた文言だった。
戦斧に巻き付けられた鉄鎖が反応し、マスクの男の手元に帰還していく。投げた斧を鎖で回収するだけの単純な術式のようだ。
「あの様子じゃ敵さんは接近戦特化型か。オレちゃんの出番はねェな。坊ちゃんの中に戻るぜ」
言いつつヴァーゲストが粒子化して、僕に吸い込まれていく。
《たしかヴァーゲストが外でやられてしまった場合は僕との一体化をコントロールできなくなってしまうんだよな?》
《ああ、もしオレちゃんが死んじまったら、坊ちゃんの中の魔素が制御を失って暴発しちまう》
僕が異能を行使できているのはヴァーゲストと一体化したおかげだが、もしもヴァーゲストが失うような事態が発生してしまったら僕の中にある魔素が暴走してしまうらしい。
つまりヴァーゲストの死は、すなわち僕の死でもある。一連托生なのだ。
もしもヴァーゲストがジューダスと戦った時のような戦闘力を発揮することが出来るのならば戦術の幅は圧倒的に広がるのだが。もっともヴァーゲストの魔素の大半は僕に割り振れているから、リスクが無かったとしても無理な話しだけれど。
《オレちゃんは坊ちゃんの術式のサポートに回って……クッ! また来たぞ!》
ヴァーゲストが警戒の思念を上げる。
距離を取った僕に対して再びホラーの怪物が突進してくる。
「歪なる影の独歩っ!」
攻性術式を前面に高速三重展開。
ハンネとの訓練のおかげもあって歪なる影の独歩ならば、複数を同時に展開できるようになっている。
三つの魔法陣から殺傷性を持った影のドリルが、砲弾のように射出される。
マスクの男は両手の戦斧を使って、攻性術式を防御しようとする。
《ヨッシャ! いまのは致命傷だぜ!》
ヴァーゲストの核心に満ちた思念。
射出した歪なる影の独歩の三つのうちの一つが、大男の右肩を抉った。
空中におびただしいほどの鮮血が舞う。
男の右肩が、今にもちぎれ落ちてしまいそうな状態になった。
《──ハァァァ!?》
今度はヴァーゲストが驚きの声を上げた。
「……冗談だろ?」
マスクの男は右肩の負傷などまったく存在しないかのように、そのまま僕に突進してきた。躊躇も戸惑いも一切無し。
「──らうらうらぁぁぁぁぁ!」
僕に肉薄したマスクの男は、残った左腕を使って戦斧を振り下ろしてきた。
「……っ!」
紙一重。
振り落とされた戦斧が僕の真横を掠める。
再び魔素を両足に集中。僕は慌ててマスクの男と距離を取った。
《……オイオイ、坊ちゃん、見てみろよ》
ヴァーゲストの思念がまるで幽霊を見たかのように戸惑っていた。
「……蒸気?」
負傷した男の右肩から、薄い蒸気のようなモノが吹き出していた。
それは先ほどの歪なる影の独歩の攻撃で負傷した箇所だ。
「……なんだってっ!?」
抉られたはずの部分が、蒸気を上げながら治癒されていくのが見えた。まるで植物が自生するように肉体が修復されていく。
もはやこれは治癒どころか《《再生》》だ。
《欠損部位の完全治癒かよ!? 治癒術式の過剰行使もいいとこだぞ!? 早死にしてェのか、コイツ!? 》
ハンネとの座学で聞いた話。
治癒術式とは元来身体に備わっている自然治癒力を魔素によって強化して引き出す行為らしい。
休息と栄養摂取。適切なインターバルさえ心掛けていれば被術者に対して悪影響はほとんどない術式だと言われている。
しかし身体の治癒力を由来にした術式ゆえに、短期間過剰に行使してしまえば、当然のように反動が襲ってくるのだ。
それは老化現象や運動障害など多岐に渡るとされるそうだ。
そういえば僕の世界でも細胞の分裂回数は決まっているとされていた。ヘイフリック限界だったか?
治癒術式とはすなわち細胞分裂の前借りに近いのではないだろうか。
「……けど問題点はそこじゃない」
《ハァ? どういう意味だよ?》
ヴァーゲストが疑問の声を上げる。
あの大男が副作用度外視で治癒術式を行使しているのは間違いないが、特筆すべき点は別にある。
「アイツは痛みを感じていないんだ」
たとえ傷がすぐさま治ったとしても、与えられた痛覚自体は決して消えることはない。
《……たしかに》
奴は欠損に近いようなダメージを受けてながらも、一瞬も怯まずに僕に向かってきた。
「おそらくは麻薬を使って痛覚を麻痺させているんだ」
僕の世界でもモルヒネといった医療用の麻薬が数多く存在していた。奴が犯罪組織の一員ならば、痛覚を感じなくさせるほどの強力な薬物を使用してもおかしくない。これもまた中毒などの副作用を考慮しない危険な行為だが。
「──オオオぉぉぉ!」
斧男の三度の投擲。
「影絵の巨岩!」
僕は再び防御術式を展開。飛来する戦斧を防いだ。
「歪なる影の独歩!」
そしてすぐさま攻性術式を放つ。
今度の狙いは頭と心臓を中心に。いくら強大な治癒術式とはいえ、即死するようなダメージを負ってしまえば発動することは不可能だからだ。
「……糞っ」
しかし僕の予想通り、マスクの男は頭部と心臓だけは徹底的に守っていた。
他の箇所は一切無視。投擲せずに残った戦斧を盾に、その部分だけは鉄壁の防御を実践する。
《二つ内の一つは投擲用、もう一つは防御用ってとかよ》
大男の戦術はシンプルだ。
突進から肉薄して戦斧を振り回す。距離を離されたら戦斧を投げる。ただそれだけ。
《救いはハンネのネェちゃんみてェな機動力がないことだな》
巨大な斧を二つ持っているせいなのか、大男の速度は大したことがない。接近戦特化型ではない僕が魔素を両足に集中すれば、ぎりぎり逃げ切れる程度。
もしもマスクの男が僕よりも早く動けたならば、今頃無惨にも挽き肉と化していただろう。
「けれど、問題は……」
僕が使える攻性術式で十分な殺傷力を持ちながら、即時展開できるのは歪なる影の独歩しかない。
他に強力な威力を持つ攻性術式があるにはあるが、タメに時間が掛かってしまう。
つまり、状況が拮抗しているのだ。
《なら、いっそのこと逃げちまえよ。坊ちゃんの方が早く動けるなら馬鹿正直に付き合う必要はねェ》
「それは駄目だ」
《ハァ!? なんでだよ!? いくら殺人鬼だからってわざわざ殺し合いをする必要はねェんだぞ!》
当たり前だ。
僕はジューダスのような戦闘狂じゃない。僕の目的は殺人であって、戦闘行為ではないのだ。
「このまま逃げれば他の人間を巻きこむ可能性がある」
僕は自身にこびり付いた血の跡──モンドの片腕を思い出した。
モンドは僕を庇って死んだ。
別段特に親しかったワケではない。
貴族地区を出る時に世間話をする程度の顔見知りだ。
けれど善良な人間。気の良い男だった。
勿論家族もいただろう。
決してあんな死に方するべき人間ではなかった。
《……オイオイ、仇討ちのつもりかよ》
「はっ、まさか」
僕は殺人鬼だ。そんな人間が怒りや義憤などの感情を持つべきではない。いや持ってはいけないのだ。
「僕がこのまま逃走すれば、モンドのように他の衛兵隊の人間を巻きこむ可能性があるんだ」
たとえ僕がこのまま衛兵隊の詰所に逃げ込めことが出来たとしても、数多くの人間を巻き込むだけ。
あの不死身のモンスターは、標的の僕だけではなくモンドも容赦なく巻き添えにした。障害になれば躊躇なく排除するだろう。結果増えるのは死体の山だ。
「──らうらうらぁぁぁぁぁ!」
何度目かの大男の突進。
僕は防御行動を取るために身構えた。
《アホか! 殺人鬼なのに人のこと気にしてる場合かよっ!?》
「殺人鬼だからだ!」
マスクの男の攻撃を回避しつつ僕は叫んだ。
これも殺人鬼が人でいるための足掻き。
単なる偽善。独善。自己満足だ。
しかし僕が僕でいるために。
そしてこれからもノアの隣を歩き続けるために。
──僕は眼前の怪物を打倒しなければならい。




