第十二話 U.N.オーエンとは何者なのか
「……ふむ」
ゲオルグ・トゥルス・クロムバッハは悩んでいた。
場所はゲオルグの執務室。
彼が座る執務室の机の上には、何十枚ほどの紙の束が積み上げられていた。
何が納得いかないのか。ゲオルグはそれを先ほどから何度も見返していた。
その時、執務室の扉がノックされた。来訪者を告げる音だ。
「入れ」
ゲオルグが重い声を上げると、一拍して扉が開いた。
執務室に入ってきたのは、やや呆れた顔をした古風なメイド──ネフェラだった。
「旦那様、ここにいたのでございますね。寝室にいないようでしたので……もしや、と思いましたがまた徹夜で業務をこなしていたのでございますか?」
「……ああ、少し寝付けなくてな」
「無理をされては、お体に障ります。旦那様は一人しかいないのですから体調管理はしっかりいただくべきかと」
「相変わらず心配性であるな。徹夜をした程度で身体を壊すほどクロムバッハの血はヤワではないさ」
ゲオルグの言葉にネフェラはため息を付いた。
「はぁ、少なくともこの十日ほどで何度も徹夜しているところを目撃しているのでございますが──」
ネフェラはゲオルグの手元に見慣れぬ紙の束があるのに気付いた。
「旦那様、それは?」
「ああ、これか。べリヌス高原の砦襲撃の報告書だ」
「報告書? あの壊滅した砦の報告書でございますか?」
ネフェラは不審に思った。
クロムバッハ別邸襲撃の陽動に使われたと思われる砦襲撃は、ゲオルグたちの手によって事後処理が終了している。
死んだ兵士たちの葬儀と埋葬。
遺族たちの補償。
壊滅した砦の人員補充。及び二次対策を含めた砦群の連絡網の強化。
百名規模の戦闘員の穴を埋めるのは相当な苦労だったが、もう既に終わった事柄だった。
「我々、軍側ではなく探偵局の連中の報告書であるな」
「探偵局でございますか?」
大都市であるユニゼラルには国際的な犯罪捜査機関である探偵局が常駐している。
強制捜査権、逮捕権こそ持っていないが、かつての帝国法によって保障された相応の権力を持つ治安維持組織だ。
「妙でございますね。彼らは主に都市部の凶悪犯罪などを担当しているはずですが?」
本来ならば僻地の砦の壊滅事件など、探偵局の出張ってくる事件ではない。ネフェラの疑念はもっともだった。
「まして砦ともなれば、軍の管轄でございましょう? 他国の人間がほとんどの探偵局に、軍事施設である砦の内部調査をする権限は存在しません」
「内部に限ってはネフェラの言う通りであるな」
ネフェラの当然の疑問に、ゲオルグは自らの顎髭を撫でながら答えた。
「内部に限っては? 一体どういう意味でございますか、旦那様?」
「これは死んだ兵士たちの遺品に関する報告書だからだ」
「遺品……で、ございますか?」
ネフェラにとって予想もしない回答だった。壊滅した砦の実地検分はゲオルグとネフェラが主導して行ったが、死んだ兵士たちの遺品の管理は二人の範疇外だったからだ。
「どうやら探偵局が元老院を通して捜査協力を願ったようであるな。元老院も遺品の調査程度なら、と快く許諾したようだ。……我々、軍部側の許可を得ずにな」
本来ならば兵士たちの遺品は葬儀が済み次第速やかに遺族に返却されるのだが、砦の死体たちは原型を留めていない者ばかりだった。そのため、ほとんどが持ち主不明のまま衛兵隊が保管していた。
ちなみに埋葬された棺も、兵士たちの六割近くが身元判別が不可能な死体だったため、空のまま納棺されている。
「……遺品の調査とは変わった要求でございますね」
「で、あるな。探偵局が行う捜査というのは吾輩たちの理解出来ないようなことばかりだ。指紋や検死という概念にしろ意味不明なことばかり言う」
彼ら探偵局は、長年培われてきた独自の犯罪調査のノウハウを持っている。それらはゲオルグたちにとっては理解しにくい事柄ばかりだった。
「有用なのは誰しもが認めるのが厄介なところだがな……」
「それで、その報告書には何と書かれているのでございますか?」
「ああ、この報告書には二つの事柄が示唆されている」
ゲオルグの持って回った言い回しにネフェラは首を傾げる。
「示唆? 直接的に書かれているわけではないのですか?」
「そうだ、探偵局にとっても遺品からの推察だからな。明言は避けたのであろう。……まあ、それを差し引いても、これを書いた人物は相当に性格が悪い」
「性格が悪い? ただの報告書でございましょう?」
己が主人は何を言っているのだとネフェラは思った。
「まるで出来の悪い探偵小説なのだよ。安楽椅子探偵物のな。お前が馬鹿ではなければ分かって当然……という書き手の自負が見え隠れするのだ」
「はぁ、何とも面妖なお話でございますね。して、その内容は?」
その報告書の内容が気になったネフェラは、少し急かしたように問いただす。
だがゲオルグは意地悪げに口元を歪める。
「多少は吾輩にも同じ気分を味合わせても良いであろう? おかげさまで徹夜をしたのだ。順を追って話させてくれ」
「殴るでございますよ」
自らの主人に対してあまりに直接的な物言いに、ゲオルグは破顔した。
「はははっ、では一つ目だ。ネフェラよ、我々が壊滅した砦に到着した時の状況を覚えているか?」
「ええ、勿論ですとも。ワタクシたちが砦に到着した時、砦はもぬけの殻でございました。砦内部には争った形跡はなく、兵士たちの訓練場にはおびただしいほどの数の破壊された死体がありました」
ネフェラは思い出す。
あの山積みにされた死体の山。
そして血で彩られた闇の顎門の紋章を。
兵士たちの死体のほとんどは大型の馬車で轢かれるよりも無残に破壊されており、ほぼ原型を留めていなかった。
「では、ここで一つ疑問だ。兵士たちの死体は凄惨を極める状況だったわけだが、彼らは外部の敵と戦った結果そうなったのか?」
何を言っているだとネフェラは思った。
「他に何か要因があるのでございますか? 兵士たちの死体が破壊されていた以上、戦闘があったのは間違いないのでは?」
「普通に考えればそうだな。だが、砦の状況を考えてみろ。砦には外部も内部も戦闘をした形跡がなかった」
たしかにそれはネフェラも疑問だった。侵入されたにしろ、中で迎え撃ったにしろ、砦には傷一つ存在しなかった。
「クロムバッハ別邸を襲撃した暗殺者は、鉄扉を吹き飛ばし屋敷を半壊させました。彼女の異能を考えれば死体の損壊は自然に思えたのでございますが……」
後に聞いたジューダスと名乗る暗殺者の凶悪さはクロムバッハ家の知るところになった。多少の不自然さはあっても死体の状況を考えれば納得せざるを得なかった。
「おそらくは砦の襲撃は彼奴の仕業ではないな。あれが吾輩たちを別邸から離す策なのは間違いないがな」
「あの暗殺者が砦襲撃の犯人でないと? ほほう、その根拠はどのようなものでございましょう?」
「第一に、距離が遠すぎる。あの場所はクロムバッハ別邸から数日掛かる距離であるからな。異能による優れた身体強化があれば半日ほどで到着するだろうが、それでは魔素の消耗は免れない。陽動だと気付かれた場合はすぐ追い付かれる可能性もあろう」
「……次の根拠は?」
「彼奴の性質であるな。おそらく、あの女は闇の顎門でも《《表側》》の暗殺者だ。別邸襲撃時も正面から堂々と侵入し破壊の限りを尽くした。
そんな人物が砦を傷一つも付けずに制圧するか?
まして正面から堂々と攻め入ったのであれば、いくら腕利きの異能者とて百人以上の戦闘員を全て逃さずに殺すことは不可能だ。
形勢の不利を理解したならば、すぐさま援軍を要請するために別働隊を編成するだろうさ。……これが、探偵局の出してきた報告書の趣旨の半分だな」
「……なるほど、聞いてみれば理に適った説明でございますね。では砦を壊滅させた犯人は誰なのでございますか? まさか闇の顎門に見せかけた偽装だったとでも?」
言われてみればその通りだった。
事後対処が主だったクロムバッハ家には考えも付かない発想だった。
「その可能性は低い。実際に闇の顎門が襲撃した以上、奴らが関与しているのは間違いないだろうな。……では、次は二つ目だ。探偵局は遺品を精査した結果、とある情報を入手したそうだ」
「とある情報?」
「ああ、それは死んだ兵士の胸元にあった個人的な日記だったそうだ」
「日記……でございますか? はて一体それに何が?」
兵士たちとて人間だ。故郷を離れた者が寂しさを紛らわすために日記を書くことぐらいあるだろう。上官も軍機密に関わることでなければ口うるさく言うこともない。
「その兵士の日記は書き付け程度の小さな物。しかも大部分が血で汚れていて、ほとんど解読不能だったそうだ。だがその書き付けには、難民の小さな少女を一人保護したと書かれていたらしい。故郷の妹を思い出して可哀想だと述懐している」
「難民の少女?」
ベリヌス高原より北は小国が乱立する激しい紛争地帯だ。戦争によって国を失った人々が安全を求めてユニゼラルに逃げ込むのは、ままあることだった。
「別に珍しいことではないのでございますか? リラヘールや海側を使わず、危険なベリヌス高原側を越境して難民が来るのは稀ですが、まったく存在しないという事柄でもない。通常の手引きなら難民を一時的に保護してユニゼラルに送る手筈でございましょう?」
世界有数の経済都市でありながら、同時に世界でも類を見ない法治国家を標榜するユニゼラルは各国の難民たちを積極的に受け入れている。
それは難民たちを体の良い安い労働力として使っているという問題も発生しているのだが、今は別の話だった。
「──あったか?」
「は?」
「吾輩たちが事後処理で行った時、砦内の公的文書は粗方精査した。難民を保護したのであれば、日誌だろうが兵士たちの報告書だろうが必ず記載しているはずであろう?」
ネフェラも思い出す。優先度こそ低かったが、そもそもゲオルグたちも最初は砦の襲撃が何者の仕業だったかを解き明かすため公的文書の類は一通り目を通していた。
「……なかった、でございますね。そんな記述は一切も」
そうなのだ。
だからこそジューダスと呼ばれる暗殺者が消去法で犯人なのだと断定された。
「砦は軍事施設だ。外部の人間を招き入れたのであれば必ず記載する。軍規以前の常識だ。さて、これは何を意味するのであろうな」
ゲオルグはニヤニヤと笑いながらネフェラの反応を楽しんでいる。
ネフェラは主人の意地悪な態度に歯噛みしながら睨み付ける。
「難民の少女を保護した直後に砦が襲撃されたのでは? それなら筋が通ります。あるいはバラバラになった死体の中に紛れ込んでしまったのではございませんか?」
それならばどちらも理屈は通るのではネフェラは思った。
「残念ながら違うな。兵士の日記から推測して、襲撃があったと思われる少なくとも一日前には難民の少女を保護している。そしてバラバラになった死体の中に少女の身体があれば流石に我々も気付くだろうさ」
いい加減ネフェラは腹立たしくなってきた。
「もう! では一体どういうことでございますか!? まさかその少女が犯人で、百人以上の戦闘員を皆殺しにしたとでも!?」
「吾輩はその可能性が一番高いと思っているがな」
ネフェラは主人が仕事をし過ぎて本格的におかしくなったのではと本気で心配した。
「砦に戦闘の痕跡がなかったということは、その難民の少女は気付かれずに百人以上を殺したということです。お言葉でございますが、まさか子供にそんな芸当が出来るとは──」
「だが我々は一つの可能性を知っている。それを考慮するならば……」
そこでネフェラは何かに気付いたように「あっ」と声を上げた。
「ええ、不覚でございました。ありえる可能性が一つだけございます。闇の顎門の尾側ですね」
その言葉が何を意味するのか、ゲオルグとネフェラは少しの間、重く黙り込んだ。
「……ごほん、とりあえず今はその少女の問題は置いておこう」
一つ咳をしてゲオルグは再び話し始めた。
「まだあるのでございますか……」
ややうんざりとしながらネフェラが答える。
「心配するな。今から話す内容で終わりだ。……最後はあの山積みになったバラバラの死体だ」
「……今度はなんでございますか」
もはや返答がおざなりになりつつあるネフェラを放って、ゲオルグは話しを続ける。
「先に話した通り、あの身元不明の死体の山は戦闘の結果ではない。……では、何故わざわざ死体を入念に破壊する必要があったと思う?」
「む、言われてみれば……」
砦の人間が暗殺者に音も無く殺されたのだとしたら、犯人はあえて死体を破壊したということになる。
暗殺者の恐ろしさを知らしめる示威行為にしては、手間がかかり過ぎているように思えた。
「砦には難民の少女を保護したという記録が残っていなかった。つまり該当する記録は破棄された考えるのが妥当だ。ならば何故それらが破棄されたのか?」
「……その記録があると都合が悪い、ということございますか?」
どうして都合が悪いのか?
必要以上に破壊され、身元の判別な困難な死体たち。
それらが意味することは?
ネフェラの中で、とある思考が一本の線を結んだ。
「暗殺者を手引きした内通者がいる……?」
ネフェラの言葉を聞き、ゲオルグがほくそ笑む。
「その通り、正解だ」
大量の身元不明の死体たち。
木を隠すには森の中。死を捏造したいならば、身元が分からない死体をたくさん作ればいい。
「兵士の内通者……裏切り者が、件の難民の少女を保護という名目で引き入れたのでございますね」
そして裏切り者が身元不明の大量の死体を作り出し、それを利用して行方をくらます。そう考えれば全ての辻褄が合う。
「記録を消去したのは自らが疑われる理由を嫌ったのであろうな」
「しかし、もしもの可能性としてその暗殺者が公的文書を処分したということは……む、いえ、その可能性は低いでございますね」
喋っている途中で、思い直したネフェラは自らの言葉を否定した。
どこに保管しているかも分からない大量の資料だ。丸ごと処分したならともかく、一部分だけを改竄するのは部外者には到底無理な行為だ。
「内通者はおそらく天涯孤独、何も身寄りも無い人間だ」
「天涯孤独? なぜそう言い切れるのでございますか?」
「もしも、あの砦を壊滅させたいと思っている黒幕がいたとしら、内通者として相応しいのは身内が一人もいない人間が適切だと考えただろうさ。なにせ死を偽装するのだからな。遺族が騒ぎ出す可能性が低い」
「では、今からあの砦で死亡し、なおかつ親戚縁者のいない兵士を探し出せば──」
「その必要はない」
「は? 何故でございますか?」
ゲオルグの静止の言葉にネフェラは首を傾げた。
「ここに書いてあるからだ」
ゲオルグは手元にある紙の束を指し示した。
「吾輩も最初はどうして報告書に、死亡した兵士たちの血縁目録が入っているか分からなかった。しかし何度も報告書を読み直している内に理解出来たのさ。……まったく、これを書いた奴は本当に性格が悪い」
やはりこれは出来の悪い推理小説のような物だとゲオルグは再認識する。
推理させる要素を多数記述しながらも、仄めかし、断言はしない。挑発的で迂遠。
これは紙の上での出来事ではなく、実際に多くの人間が死亡した凄惨な事件だというのに。
「この報告書によると、あの砦で死亡した兵士の中で天涯孤独の人間は三人。その内、死亡が確認出来たのは二人だ。つまりは我々はその残った一人を調べ上げればいい。ネフェラよ、今すぐにこの者の交友関係、入隊記録などの一切合切を調査するのだ」
「はっ、かしこまりました、旦那様」
ゲオルグの命令にネフェラが武門式の敬礼で答え、執務室を出ていく。
「……さて、如何様な結果になるのやら」
ゲオルグはひとりごちて、すっかり冷め切った机の上の紅茶を啜った。
そして、今一度探偵局の報告書に目を通す。末尾、この報告書を書いた人物の署名だ。
「──ユナ・ナンシー・オーエン。噂になっている探偵局の名探偵か」
世界中に支部を持つ探偵局。その彼らの中でも最高峰の称号である名探偵。その称号に値する人間は世界中で七人しか存在しないという。
「その一人が、数年前にユニゼラルにやってきたとは聞いてはいたが……ふん、名探偵様が直々に報告書を寄越してくるとはな。我々に借りでも作ったつもりであるか」
ゲオルグの声音は皮肉と愉快が混ぜ合わさった物だった。
しかしゲオルグは知らない。
ユナ・ナンシー・オーエンの意味を。
それらはここではない異世界。
つまりは『地球』と呼ばれる世界、古典ミステリーの犯人の名前だった。
ユナ・ナンシー・オーエン。
すなわち何者とも分からぬ者。
それが意味することは──
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