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第十八話 彼女のために鐘は鳴る

「に、逃げるのか……!?」


 唐突なヴァーゲストの宣言に僕は驚いてしまった。 


《あたぼうよ。相手は超一級の異能者、極死十三(アポステル)

 おそらくは今の坊ちゃんが俺ちゃんを十全に使役したところで勝率は一割以下。

 ……だったら現時点で一番の生還率が高い選択肢は逃走一択だぜェ》


 ヴァーゲストが淡々と状況を説明する。

 

 確かにな、と納得した。

 

 思い返しても、先程の異次元のような攻防ですら、ヴァーゲストは終始一貫してジューダスに圧倒されていた。ヴァーゲストが戦闘の素人である僕に乗り移った(でいいのか?)とて状況が好転するはずもないだろうしな。


《問題は俺ちゃん一人なら逃げ切れるかもってことなんだが。おかげさまで第一前提は解消(クリア)した》


 それも当然か。

 僕のような足手まといを引き連れて逃げ切れるような甘い相手じゃない。


「けど一体どうすれば……」


《単純だぜェ、まずは自分の足を使えってなァ。──坊ちゃん、まずは思いっきりジャンプしろ!》


 ヴァーゲストが、まるでどこかの格言めいたように言った。

 僕はヴァーゲストの指示に従って──


「──うわぁっ!?」


 飛んでいた。空中を鳥のように飛んでいた。


 ただ足の力を使って飛び跳ねただけ。


 にもかかわらず、僕は三階建てのクロムバッハ邸の屋根上にいつのまにか着地していた。


「……おいおい、今何メートル飛んだんだ?」


 オリンピック選手ですら真っ青の跳躍力だった。


《オレちゃんの身体強化の異能だ。今の坊ちゃんは、常人の数倍の身体能力を発揮している》


 ……凄いな。

 まるで超人になったような気分だ。


《まあ問題は──》


「クハハッ、逃すかよ!」


 雄叫びを上げ、地面にいたジューダスが飛び跳ねた。

 僕以上の跳躍力。ジューダスは闇夜の月を背後に襲い掛かってきた。

 

「……くっ!」


 僕は全力で後方に跳躍。

 振り落とされる剛腕。

 数瞬前まで僕がいた場所が破砕音を上げる。


暗殺者(あっち)の方が身体能力(きほんスペック)が遥かに上ってことだけどなァ!》


 ヴァーゲストの思念が皮肉げに叫ぶ。


「……ちっ、どうする、ヴァーゲスト!?」


《煙幕を出す! 坊ちゃん、両手を突き出せやァ!》


 言われた通りに僕が両手を出すと手の平から、さっきヴァーゲストが出したあの黒い霧が放出されていく。


「小童、またも小細工を弄するかっ!?」


 黒い霧を出しながらも僕はクロムバッハ邸の外に走り出した。

 屋敷の外、麦畑が僕を迎える。


「虫けらがっ! つまらぬ足掻きをっ!」


「……ッ!」


 僕の真横、重戦車のような突進が身体を掠める。

 足の速さはあちらの方が圧倒的に上だ。

 煙幕で相手の視界を遮っていなければ即死していた。

 

《煙幕を出し続けるんだ、坊ちゃん! じゃなきゃ速攻でおっ死ぬゼェ!》


 ヴァーゲストの言う通りだ。

 

 身体速度で負けている以上、僕は常に暗殺者の攻撃に晒されることになる。

 

 煙幕で隠れていなければ、七面鳥撃ちと同義だっただろう。

 

 逃げる。避ける。

 逃げる。避ける。

 ただひたすらに。必死に。


《なあヴァーゲスト! これ詰みに近いんじゃないのか!?》


 僕は思念でヴァーゲストに訴えた。

 これを一体何回……いや何百回繰り返せば敵の追跡を振り切れるというのか。


《ケハッ、言ったろ! 分の悪い賭けだってよォ!》


 将棋で例えるならば常に一手毎に王手を指されているような状況。

 いつかは限界(はたん)を迎える。


 何か方法はないのか?

 考えろ、考えるんだ。

 

 僕は殺人鬼として、ありとあらゆる悪人を探し出しては、殺戮してきた。

 誰にも気付かれずに、だ。 

 

 他者の思考を想定し、殺人計画を立案し、破綻に至ることなく実行する。

 

 こと相手の思考を読むということに関しては、僕はそれなりの自信を持っている。

 

 まごう事なき死の追いかけっこを続けながら、僕は打開策を考え続けていた。

 殺し、打倒する必要はない。ただ逃げる時間を稼げれば──


「──オルド大橋?」


 黒い霧の切れ目。視界の向こうに。

 巨大で流麗な石橋──オルド大橋が見えた。

 

 クロムバッハ邸からここまで逃げてきたのか。


 流石にこの深夜の時間帯だ。

 五キロを超えるであろう長大な石橋には、人っ子ひとりいなかった。


「これはもしかして……」


 人が通れる道は一つ。導線は限られている。

 策を練るには最適の場所。


《なあヴァーゲスト、僕の言う通りに異能を展開できるか? 内容は──》


 僕は分かり易く簡潔にヴァーゲストに説明した。


《おおっ!? 良いなその作戦! でもいいのか坊ちゃん、失敗したら多分死ぬぜ!》


「どっちにしろ死ぬのは時間の問題だからね。ここで手を打つのが最善だろうさ」


 ヴァーゲストは快諾してくれた。

 さあ後は実行するだけだ。


《じゃあ後ろの暗殺者と一端距離を離す必要があるな。……坊ちゃん、身体強化の術式を足に集中させるぞ。気張れよォ!》


 霧の煙幕は止まり、僕の両足に力が集中されていくのが分かる。


「──ぐっ」


 加速する身体。

 しかし限界を超えた速さなのか、僕の両足が言い知れない痛みを訴える。


《よしッ、着いたぞ、坊ちゃん!》


 まるでレースカーに乗っているような体感速度。目まぐるしい景色の中。

 

 気付くとオルド大橋の中央、地上十階の高さはあるであろう大きな塔──鐘楼しょうろうに到着していた。


「──ッ」


 両足が痛い。

 おそらくは無理に速度を上げたせいだ。多分捻挫、あるいはひびが入ってるかもしれない。


 危なかった。


 あと三秒も走り続けていたら転倒していただろう。


「さて──細工は流々、後は仕上げを御覧じろってね。……ヴァーゲスト、頼んだぞ」


《応さ! 任せておけってなァ!》


 相も変わらず鐘楼塔は頑強そうだった。

 

 大理石のような光沢の薄緑色の石材。遥か頭上に見える黒鋼色の大鐘。そのどちらにも傷一つ付いていない。

 

 本当に四百年も立っているとは思えない出来だ。

 

 何かの異能による力なのか、この建築様式だけを考えれば、僕のいた現代世界の技術を容易く上回っているだろう。


「ほう、どうした、小童よ。逃げるのに飽きたか?」


 散歩するようにゆっくりとした歩幅で暗殺者──ジューダスが鐘楼塔に現れた。


「さて、どうだろうね。命乞いをすれば見逃してくれるとでも言うのかな?」


 余裕は一欠片もないが、余裕があるように見せ付ける。

 ジューダスは僕のその様子を見て、愉快げに笑った。


「ふん、良いだろう。強者の務めだ。乗ってやる。如何ほどの策か知らぬが、我を殺せると思うならやってみせろ」


 来た。


 やはり予想通りに誘いに乗ってきた。


 ヴァーゲストの異能を敢えて受けていたところを考えると、こいつは戦うことに意義を求めるタイプだ。いわゆる戦闘狂。


 あからさまな仕掛けなら逆に乗ってくると思った。 


「そうかい、じゃあお言葉に甘えて。──ヴァーゲストッ!」


《ああ! 坊ちゃん! 準備万端だぜェ!》


 さあて、吉と出るか凶と出るか。


「──歪なる影の独歩(シャッテン・グロウ)


 僕が言霊を呟くと、中空に魔法陣が現れた。

 

 それは二つ。

 

 ジューダスを挟み込むように前と後ろだ。

 ここは橋である以上、逃げる場所はない。 


 魔法陣からドリルのような黒槍が飛び出し、襲い掛かる。


「──あぁ?」


 それは怒りだった。


 前後から襲いかかって来た凶器をジューダスは両手で容易く受け止める。

 ジューダスは、軽蔑の視線を僕に向けた。


「……まさかこの程度が策だとでも言うのか? 何と無様で愚か。幼児の児戯にも劣る低脳さだ」


 僕の全身が総毛立つ。足が竦む。

 ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「──許さんぞ。これはもはや我に対する侮辱だ!」


 ジューダスが突進し、怒りに任せた一撃を僕に振り落とした。


《ヴァーゲスト!》


《応ッ! ありったけの硬化! 防御を両腕に集中するぜェ!》


「──ぎっ!」


 僕は致死の一撃を両腕で防ぐ。

 ありったけの身体強化で硬化したはずだが、両腕が砕ける鈍い音が聞こえた。


 僕は防御の反動で吹き飛ばされ、橋の上をごろごろと転がる。


「我を失望させた罪だ。貴様には死より無惨な恐怖を与えて──」


「ああ、今だ。──影絵の巨石(ブラト・ブラム)


 ()()()()()

 

 僕を殴りかかった位置。すなわち鐘楼塔の中。

 

 鐘楼塔の前後の入り口。

 

 盾の黒塊はまるで洞窟を閉鎖するように建物を塞いだ。


「──なんだとぉ!?」


 ジューダスの驚愕の声は途中で遮断された。

 鐘楼塔に閉じ込められたからだ。


《前と後ろ。全部で六個の術式での重ねがけの封鎖。大したもんだな、坊ちゃん。まさか防御のために術式を敵を封じ込めるために使うとなァ。思い付きもしなかったぜ》


「ああ、上手い具合に作戦が嵌まった。問題は──」


 閉じ込められたジューダスが暴れ回っているのか、鐘楼塔の中から凄まじい音が聞こえてくる。まるで中で怪獣が暴れ回っているようだ。


 だが僕の予想通り、建物が倒壊する恐れはなさそうだ。


 四百年経っても傷一つ付かない建物だ。

 かなり頑丈なのだろうと見積もっていたが、予想通りだ。


「大丈夫だな。これで時間を稼ぐことが──つぅぁ!?」


《坊ちゃん!?》


 気が緩んだのか、身体の中のあちこちが痛みを上げる。

 正直、痛みで気絶しそうになった。


《無理もねェ。さっきの両腕の防御に、足での急加速。坊ちゃんの身体は相当限界に近いぞ。意識を保っているのが不思議なぐらいだ》


 ああ、それとヴァーゲストに乗り移られる前に蹴り飛ばされたのもあったかな。

 今までアドレナリンが出ていたのか、油断したら痛みが一気に襲ってきた。 


「あいつを閉じ込めている今のうちに……」


 そうだ、一刻も早く、逃げなければ。

 

 鐘楼塔の封鎖はどれぐらい持つ?

 

 五分か?

 それとも一分か?


 どちらにしろここで奴の追跡を撒いて、安全な場所まで逃走しなければ。


「──()()()()()()()()()()()()()()()()


 思うように動かない身体を必死に動かそうとしていると、信じられない声が聞こえた。


「……ノア?」


 気付くと僕の目の前には、メイド姿の見知った少女の後ろ姿があった。


 どうして?

 どうして彼女がここにいる?


《ハァ!? なんで姫ちゃんがここにいるんだよォ!?》


 ヴァーゲストが困惑の思念を発する。


 それには僕も同意だ。

 彼女は……ノアはクロムバッハ邸の安全な場所に避難しているのではなかったのか。


 そもそもだ。

 僕たちはクロムバッハ邸から脱兎の如く逃げ出してきた。

 

 常人ではまず追い付けないような速さで。

 

 それがどうしてこうも当たり前のようにこの空間に存在しているのか。


「まさか……」


 可能性は一つある。ここにいるノアが僕たちが見ている幻ではなければ。


「──()()()()()()()()!?」


 当然といえば当然の起結。

 そう、()()()()()()()()()()()()()


「ガアアアァァァ!!」


 鐘楼塔の入り口を塞いでいた黒塊がついに粉砕された。

 ジューダスが肩を怒らせながら憮然とした表情で現れる。


「不覚だ。まさか我がこの程度の姑息な罠に易々と引っ掛かるとはな。早く彼奴らに追い付かねば……ぬ? 小童、貴様何ゆえに逃亡していないのだ?」


 僕たちはとっくに逃げ出していると思っていたのだろう。ジューダスは僕を見付けて意外そうな表情を浮かべた。


「……いや、むしろそこの小娘は誰だ?」


 ジューダスの視線が、自らの前に悠然と立ち塞がったメイドの少女に向けられる。

 

「……否、誰でも構わぬか。我に課せられた仕事は、今夜あのクロムバッハ邸に存在している関係者全てを鏖殺すること。侍女とて例外ではない」


「──ふぅん、やっぱり貴方はわたしたちの敵なんだね」


 凍えるほどの圧倒的な殺意を向けられながらも、ノアは平然と暗殺者と対峙する。


《まさか!? アレを使う気かよッ!? ()()()()()()()()()()()()!?》


 どういうことだ。

 思念で姿は見えないが。ヴァーゲストがこれ以上ないほど狼狽しているのが分かる。


 一体何を──


「ゴメンね、ゲスちゃん。わたし許せないんだ。わたしの大事な人たちをこんなに傷付ける奴なんて──絶対に」


 ノアの声音には静かな怒りがあった。いつも優しく微笑む彼女には似合わない感情が。


制御拘束術式(アイン・ソフ)──第一の門(ケテル)、開放」


 そして呪文のように何かを呟いた。


 その言葉を合図に凄まじいエネルギーの奔流、光の粒子がノアを覆い尽くす。


 まるで光の柱だ!


「……ぐっ!」


「ぬぅ……!?」


 僕はエネルギーの奔流に吹き飛ばされないように必死に地面にしがみ付く。


 そして見た。

 

 ノアの背中に──片翼の翼を生じたのを。

 

 それは直径二メートルを超える大きさ。

 美しくも神々しい光の翼だった。


 まるで神話の女神が降臨したかのような風景。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、 


 遥か頭上。

 鐘楼塔──()()()()()()()()()()()()()()()


「鐘が……鳴っている……?」


 大鐘はまるで主人の帰還を喜ぶようにその身を震わせている。

 どういうことだ?

 あの鐘は覇王が現れた時にしか鳴らないはず──


 ──さあてね、噂では覇王様の特別な異能にしか反応しない術式で……


 いつかどこかで。

 聞いた言葉が頭をよぎった。


 特別な異能。

 覇王にしか使えないはずの異能が使えるということは──


「──クッ」


 眼前の暗殺者は数秒ほど息を呑み込んだ後、


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」


 笑った。

 いや、それはもはや笑い声ですらなく、狂人の咆哮だった。

 

真逆(まさか)! 真逆(まさか)! 真逆(まさか)! ()()()()()()()()!」


 ノアが異能を使った瞬間に鐘は鳴った。

 ならば、それが意味すること事柄は明白。


 彼女──()()()()()()()()()()()


「百と四十の時を過ぎても、ついぞ出現することのなかった覇王の『継嗣』か。

 ……よもやこの様な極東の僻地で相まみえるとはな。何という偶然……否、だからこそ我が駆り出されというのか?」


 覇王の継嗣?

 

 ついぞ出現することはなかった?

 どういう意味だ?

 

 覇王には世継ぎ──後継者が沢山いたからこそ、帝国は混乱し、内乱状態に陥ったのではないのか?


 いやそもそも前提が違うのか?

 暗殺者が言う『継嗣』とは、そういった意味ではなく、覇王の異能その物を指しているのだろうか。

 

 僕の頭には数え切れないほどの疑問が錯綜する。


「…………」


 ノアは答えない。

 答える必要とないと言わんばかりに。


「面白くなってきたな。さあ幼き覇道の申し子よ、いざ尋常に我と──」


「──ううん、違うよ、わたしは貴方と戦う気なんてないんだから」


 ノアが否定の言葉を宣言し、ジューダスに右手をかざす。


「──世界よ廻れ、(エターナル)彼方の月よりも疾く(・ヴァンデルン)


「ぬぅ!? これは──」


 ジューダスの足元に魔法陣が浮かび上がる。


「強制転移術式だとぉ!? 馬鹿な!? 失われた神代の魔術だぞ!?」


 魔法陣に飲み込まれたジューダスの身体が徐々に光の粒子に変換されていく。

 

 僕はある事柄を連想した。

 

 SFドラマで見たことがある光景、いわゆる瞬間移動(テレポーテーション)だ。


「ぬっ……動けん!? だが対術式機構アンチ・アストラルザインが機能すればこの程度の術式など!」


 暗殺者は魔法陣の中で必死に足掻き続けるが、粒子化を止めることができない。

 もはや身体の半分以上が光の欠片と化していた。


「アイ君たちのおかげだよ。貴方が鐘楼塔に閉じ込められた時点で術式は完成していたんだもの。わたしの術式が発動した以上、貴方はここから消えるしかない」


「おのれおのれおのれぇ!! 我はこのような終幕を認めんぞぉ! 覇王よ! 必ずや貴様を見付け出して──」


「残念、()()()()()()()()()()。──為るつもりもない、じゃあねバイバイ」


 ノアは悪戯っ子のように無邪気に笑った。


 そうして僕の命を散々脅かした暗殺者は、オルド大橋からあっさりと消滅した。

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