第十七話 死を纏う者 後編
《……本気かよ、極死十三だと!? 冗談じゃねェぞ!》
ヴァーゲストが思念で悲痛の声を上げる。
《ヴァーゲスト、極死十三っていうのは一体何なんだ?》
《闇の顎門の最高戦力の一角だ。連中の中でも最強最悪の戦闘集団。超一級の異能者共。噂じゃあ単騎で小国を滅ぼしたこともあるって話らしいが……》
小国を滅ぼしただって?
まさか、人間一人にそんなことが可能なのか?
「ハッ、まさか極死十三様が直々にいらっしゃるとはなァ、言っとくけどゲオルグの大将は今不在だぜ。出直してくれねェかな」
「存知だ。かの『無刀流』と立ち合ってみたくはあったのだが、生憎と我の此度の目的はソレではない」
言いつつも拘束衣の女──ジューダスは僕を見た。
「……っ」
背筋が逆立った。
まるで蛇に睨まれた蛙のような感覚だ。
確信出来る。ヴァーゲストがいなければ僕は二秒後には死んでいる。
「下らぬ仕事だが、依頼は依頼だ。クハハハッ、なに殺しに貴賤ないからな!」
今、依頼と言ったな。
誰かが僕を殺すように依頼したのか?
でもどうして僕を殺す必要が? 転生者だからか?
頭の中で答えの出ない疑問が溢れる。
「はぁ……坊ちゃんを殺したいんだったら、まずはオレちゃんを殺すこったな」
「ほう、囀るか、使い魔風情が。キャンキャンと威勢が良い犬は好みだぞ。駄犬であろう嬲りがいがあるからな」
再び両者がじりじりと間合いを詰め始める。
「──で、いつになったら仕掛けるつもりだ?
一手譲ってやろう。我の寛大な慈悲に泣き喚け」
ジューダスが何事かは知らないが、ヴァーゲストを挑発した。
「ケッ、上等だ。さっきから溜めに溜めた術式、食いやがれェ!」
中庭の空中に。突然。
五つの魔法陣のようなモノが現れて、ジューダスを取り囲む。
「──歪なる影の独歩ッ! 臓腑ぶち撒けろやァ!」
魔法陣からドリルのような螺旋状の黒の塊が飛び出した!?
しかも五つ全てがほぼ同時に。弾丸のような速度で。
「対物要塞──天上天下唯我独尊」
ジューダスの呪文のように何かを呟き、拘束衣が何倍にも膨れ上がった。
「──なん……だとォ!?」
ヴァーゲストが驚愕の声を上げた。
一つ一つが軽自動車ほどの大きさの黒塊が、ジューダスに触れる直前に瞬間粉々に消え去ったのだ。まるで砂のように。
「──所詮は犬畜生か、つまらないに程がある」
「……ッ!」
ジューダスは倍化した身体のままヴァーゲストに肉薄。
横薙ぎで両腕を振り払った。
「ヴァーゲストっ!?」
黒犬がゴム毬のように吹っ飛び、屋敷に直撃する。
まるで砲弾が打ち込まれたような惨状だ。
糞、さっきの門扉はこうやって吹き飛んだのか。
《おいヴァーゲスト、無事か!? 聞こえているのか!?》
ヴァーゲストに念話で必死に呼び掛けるが返事はない。
糞、糞、糞。
まさか死ん──
「──おい、小童、他者を気にするとは随分余裕だな」
いつの間にかジューダスが僕のすぐそばに。
軽く小突くような蹴り。
それだけで僕は木の葉のように空中を舞って、クロムバッハ邸の壁面に激突した。
「が……ぎっ!?」
息が、息が出来ない。
全身が痛みを訴えている。これは確実にどこかの骨が折れた。
「ふむ? 魔素の気配無いとは思っていたが、やはりただの小童か」
僕が痛みに悶える中、失望と落胆の声が聞こえた。
僕は見た。
こちらにゆっくりと近づくジューダスの身体から、蒸気のような物が噴き出していた。
ジューダスの大きくなった身体が元に戻っていく。
「しかし解せぬな。なぜこの程度の小童を暗殺するのに、どうして我が出張る必要があるのだ? この程度の瑣事、他の三下にやらせればよかろうに」
暗殺者はまるで面倒な宿題を押し付けられた学生のように自らを嘆いていた。
「ふん、どちらにしろつまらん仕事だ。しかし仕事は仕事だ。クハッ、我はなんと勤勉なことであろうな」
僕は壁面に寄り掛かり、何とか体勢を立て直そうとしていた。
しかし出来るのは壁を背に尻餅を付くことぐらい。
「さぁ小童よ、最後に何か言い残すことはあるか?」
気付くとすぐ目の前に拘束衣の暗殺者が。
ジューダスの右手はまるで断頭台のギロチンのように高々と掲げられていた。
圧倒的な死の気配。
身体がどうしようもないほど身震いしている。
──そうか、ついに僕の番が来たのか。
僕は百人以上の悪人を殺してきた。
計画し、実行し、惨殺した。殺人という名の暴力で人生を終わらせ続けた。
だからだろう。
いつの日か、こんな風になるのではないかと思っていた。
僕以上の暴力が。
抗えないほどの圧倒的な存在によって終焉を迎えるのだ。
なんてことはない。ただ他人にやったことが自分に返ってくるだけ。
ごく単純な因果応報だ。
「ふむ、諦念か、最後までつまらん仕事であったな」
抵抗も逃げる様子もない僕を見て、暗殺者は心底退屈そうに呟いた。
暗殺者の右腕がゆっくりと振り落とされる。
ああ、これが二度目の死か。
死ねば、また僕は転生するのだろうか?
あるいは今度こそ地獄に落ちるのか。
分からない。
分かるはずがない。
やはりこんな瞬間でも、僕の中に走馬灯なんて物がよぎることはなかった。
ただ頭をよぎったのはあの少女、ノアの笑顔が──
「──貴様、正気か」
「え?」
振り落とされなかった。
死の断頭台は僕の直前で静止していた。
暗殺者が信じられないモノを見たかのように驚愕していた。僕の顔を見て。
「何故この状況で笑っている」
笑っている?
僕は自分の口元に手を当てた。
確かにそれは笑みのカタチを作っていた。
「小童、貴様は一体何者──」
《──坊ちゃん、地面に全力で伏せろ》
瞬間、僕の頭に念話が響いた。
「──ぬぅ?」
空気が震えていた。
まるで何かに怯えるように。
その発生源は先程ヴァーゲストが激突した屋敷の奥深く。
倒壊した建物の中から眩い光が見えた。
それは直径三メートルを超える魔法陣。
漆黒の巨獣が獲物を喰らわんと大きく口を開けていた。
「──影より深き深淵」
黒い閃光。
指向性のエネルギー兵器のような一撃が魔法陣から放たれる。
「なにぃ!?」
漆黒のビームのような一撃は地面に伏せていた僕を避けて、正確に暗殺者だけを撃ち抜いた。
ジューダスは屋敷の敷地外に吹っ飛んだ。
「悪りィ坊ちゃん、身体の修復に手間取った。無事か!?」
「あ、ああ……」
屋敷に吹き飛ばされたヴァーゲストが僕の隣に戻ってきた。
だが陽炎のような身体の所々が欠けている。
「クハッ! クハハハハハハハハハハハ!」
突然、絶叫のような高らかな狂笑が聞こえた。
「まあ、だよなァ。効くとは思っちゃいねェが、欠片も効いた様子がないのはヘコむぜ」
ヴァーゲストは悠然と敷地内に戻ってきたジューダスを見て、溜め息を付いた。
「面白い! 面白いぞ、犬畜生! 多少は楽しませてくれるようだな! さぁ、第二回戦だ!」
あんなビーム兵器のような一撃の受けてなお、ジューダスの身体は万全だった。
精々服の一部分が焼き切れているだけだ。
ジューダスが突進し、ヴァーゲストが触手の鞭で応戦する。
さっきの焼き直しのような状況だ。
《坊ちゃん、あまり言いたくねェが……たぶんこのままじゃジリ貧で負ける》
「なっ……!?」
念話で苦渋を滲ませながらヴァーゲストは宣言した。
《さっきのはオレちゃんの現状の最大級火力。……んでも、あの調子だ。このままじゃオレちゃんの魔素切れでいずれ詰む》
魔素……それは異能を成立させるガソリンのようなものだったか。
確かにヴァーゲストが如何に凄まじい異能で相手を攻撃しようと、あの暗殺者には一向に効いている様子がない。ならば長期戦でヴァーゲスト側の燃料が切れてしまうのは必然か。
《それじゃあ一体どうすれば……》
《せめて坊ちゃんだけでも逃してェが……まあオレちゃんから離れれば速攻でおっ死ぬだろうな》
それはそうだ。
今僕が辛うじて生きていられるのはヴァーゲストが近くで守ってくれているおかげだ。
《……分の悪い賭けだが方法がないわけじゃねェ》
覚悟決めたような様子でヴァーゲストは言った。
部の悪い賭けだって?
《成功率は良くて五分。悪けりゃ三分の一ぐらいだ。伸るか反るか。坊ちゃん、それでもやるか?》
ヴァーゲストはいつのものふざけた調子ではなく、真剣な様子で念話を飛ばしてくる。
《それは失敗すればどうなるんだ?》
《まあ……たぶん全身の穴という穴から血を流しながら、悶えて苦しんで死ぬ》
ヴァーゲストがまるで拷問死のような状況を淡々と説明する。
《勿論、無理強いはしないぜ。しなきゃしないでもオレちゃんは最善を尽くす。……だが生存率は格段に落ち──》
「──構わない、やってくれ」
ヴァーゲストの念話を遮って、僕は言った。
《……オイオイ、本当にいいのか?》
《なんだ、やろうって言ったのは君だろう》
どの道このままでは死は免れない。
ならば少しでも成功率の高い方に賭けるべきだろう。
「──ケハッ、良い覚悟だ、坊ちゃん」
影絵の犬の口元が心底愉快そうに歪む。
「なに、煙幕か!?」
ヴァーゲストの身体から黒い霧のようなモノが吹き出す。
そして五秒もしない内に周辺を覆った。
「しょうもない時間稼ぎだけどなァ、さあ坊ちゃん、準備はいいか」
「……ああ」
ジューダスと戦っていたヴァーゲストが僕に近付いてくる。
「……んじゃまっと」
どうしてかヴァーゲストは黒妖犬の状態から、人間の少女の姿に変身した。
「坊ちゃん、手出してくれやァ」
ヴァーゲストの真剣な面持ち。
僕の友愛を示すように右手を差し出した。
ヴァーゲストは僕の右手を両手で包むように握り締めた。
そして、まるで神に祈りを捧げる修道女のように眼を閉じた。
「──我、影より来たりて影に還るモノ、
大いなる源から一雫の寵愛を受けしモノ、
この身は全能、されど無知の叡智を識る、
其は無限の光、全ての始まり、全ての終わり……」
これは祝詞か?
ヴァーゲストが話している一つ一つの言葉が、まるで巫女の神託のように力を帯びている。
「なれど我らは矮小である故に全き人にはなれず、
しからば一切法は因縁也、
色すなわち空、
ならば我求めるは影の歩み……」
僕とヴァーゲストの周りに光の粒子のような物が現れる。
いや違う!
ヴァーゲスト自体が、徐々に光の粒子に変換されているのだ!
「それは虚の影法師、
一切合切を呑み込み只流れ去る、
生は死、死は生、万物流転の理……」
ヴァーゲストの口調が変わる。
まるで何かを恋焦がれるように切実に。
「さあ我々は歩み続ける、
登れ登れ登れ、果ての無いあの塔を!
嗚呼、然り然り!
かくあれかし!
汝は死を纏う者である!」
もはやヴァーゲストの身体のほとんどが光の粒子となっている。
光の粒子が僕に流れ込んでいる。
僕の右手を通じて吸い込まれていく。
なんだこれは。
一体なんなんだ。
「ああああぁぁぁぁ!?」
凄まじいほどの情報が。
身体をマグマにぶち込まれたような感覚。
思念が、想いが、僕を貫く。
気付くと僕は地面に膝を付いていた。
まともに立つことすら出来なくなった。
《──ちゃん、……聞こえるか、坊ちゃん!?》
頭の中で誰かの声が響く。
いやこれは念話だ。
「ああ、聞こえてるよ、ヴァーゲスト」
よろめきながらも何とか立ち上がる。
さっきのは何だったんだ?
《ヨォシ! 契約成功だァ!》
飛び上がりそうなほどの嬉しそうな声音だった。
だがヴァーゲストの姿はどこにも見えない。
「ヴァーゲスト、一体君はどこにいるんだ?」
《ああ、オレちゃん? オレちゃんは坊ちゃんの中にいるぜェ》
僕の中に?
にわかには信じられないような言葉だ。
僕はヴァーゲストを取り込んだのか?
さっきの祝詞にはそんな効果があったのか?
《つまりは、オレちゃんと坊ちゃんは契約を結んだのさ。ケケケッ、いやはや仮契約じゃなくて本契約出来た人間は百年ぶりだなァ、おい》
訳が分からない。理解が追い付かない。
だがヴァーゲストの思念は、まるで宝くじが当たったかのように上機嫌だった。
《命の繋ぎ。存在の直結。ケハハッ、今、オレちゃんと坊ちゃんは一体化している。魔道の極みたる、このオレちゃんとなッ!》
魔道の極み?
《まァ細かい説明は今は省く! 今の坊ちゃんは理論上、オレちゃんが使える全ての異能使えるのさ!》
僕は気付いた。
徐々に黒い霧が晴れていく。
視界が明瞭になってきた。
「何をするのかと警戒したが、何と期待外れなことか! 死にたくない一心でこのような時間稼ぎをするとはなぁ!」
霧が晴れた後、ジューダスは僕を見付けて高笑いを上げた。
そして右腕を天空に掲げた。
突如、暗殺者の右腕が膨れ上がり、十メートルを超えるであろう超巨大なサイズに変貌する。拘束衣の裾から見える腕は、まるで化け物のように醜く変形していた。
「これにて終幕! さあ圧壊せよ!」
圧倒的な速度で僕に向けて振り落とされる異形の戦鎚。
避ける術はない。
《急げ坊ちゃん! 補助は全部こっちでやる! オレちゃんの言った通りに叫べッ!》
ヴァーゲストの指示に従い、僕は口を大きく開け──
「──影絵の巨岩!」
と、叫んだ。
同時に中空に魔法陣が浮かぶ。
魔法陣から黒鋼のような塊が現れ、盾のように僕の前面を覆った。
「なんだとぉ!?」
絶叫の如き衝突音。
魔法陣からは発生した黒の盾は、倒壊するビルのような一撃を完璧に防いだ。
僕の背後にあった屋敷が余波で倒壊していく。
「小童、貴様は異能者だったのか!? ……否、この魔素形成は先程の使い魔か! 解せんぞ、どういうことだ!?」
突然な異能の発現。
眼前の暗殺者は心底驚愕していた。
《ヨッシャァ! オレちゃんの異能が上手く顕現してるッ! これなら状況を対等に持ち込めるぜェ!》
相変わらずヴァーゲストの姿はどこにも見えないが、喜色満面な雰囲気は思念で伝わってくる。
しかし自分でも信じられない。
まるで魔法使いにでもなった気分だな。
「……ヴァーゲスト、僕は一体これからどうすれば良いんだ?」
《ケケケッ……そんなの決まっているぜ、坊ちゃん》
僕が聞くと、ヴァーゲストは自信満々の思念で答えてくる。
《──逃げるんだよォ!》
「はぁっ!?」
それは、この上ないほどに正々堂々とした逃亡宣言だった。




