第十五話 罪のありか、罰のありか
「…………」
「…………」
無言だった。
静寂がこの部屋を支配していた。
ノアがヴァーゲストと一緒に僕の私室を訪れてから、三分ほど経過しただろうか。
僕は一言も喋ることが出来ず、カカシのように立ち尽くしていた。
どうすればいいのだろう。
何と言えばいいのだろう。
「……っ」
しかし、薄汚れた殺人鬼が何を言えようか。
誰かを殺さずにはいられない性を背負った僕は、今まで他者と表面的な付き合いしかしてこなかった。
そう、実の義妹でさえも。
取り繕いの言葉は僕の人生でいくらでも言ってきた。なのに……いやだからなのか、こんな時に出てくる言葉が見つからない。
「……はぁ、それじゃあオレちゃんは用が済んだから帰るぜェ」
しばらくの間、僕たちの沈黙を見守っていたヴァーゲストが呆れたように口を開いた。
「ちょ、ちょっと!? ゲスちゃん!? なんで!?」
部屋を出ようとしたヴァーゲストをノアが必死に止める。
「えー、姫ちゃんよォ、部屋までは付き合うって言ったけど、それ以外は約束してないぜ」
「でも、だって心細いじゃん!」
「やだよーっと、オレちゃん馬に蹴られて死にたくねェもん、ばいびー」
ヴァーゲストが「きひひ」と笑いながら退出していく。
どういう意味だ?
「……うぅー、ゲスちゃんの薄情者」
ノアが恨めしそうに、ヴァーゲストが去ったドアの向こうを睨み付ける。
だがそれで何かの決心が付いたのか、覚悟を決めたような表情で僕に向き直った。
「ごめんなさい」
「え?」
ノアが僕に向かって頭を深く下げた。
一瞬何をしているんだろうと思った。けれど意味は明白だ。なにしろ謝罪の言葉を口にしているのだから。
「……どうしてノアが謝る必要が?」
だが意味は分かっても、理解は出来なかった。
彼女が謝る必要は一欠片も存在しない。
「わたしあの時からずっと……アイ君のことを避けるみたいになっちゃってたでしょ……うん、だからアイ君のこと傷付けたかなって……」
なぜこの少女は目の前で殺人を目撃しながら、その相手を気遣うのだろう。
「わたし、ずっとずっと、なんて言っていいのか分からなくて……」
なんて言っていいのかだって?
そんなのは簡単だ。この人殺しと罵ればいい。
「──あのクインドって人、悪い人だったんだよね」
唐突にノアはそんなことを言った。
僕は困惑した。
確かにクインドは悪人だった。
これが異世界ではなく、日本で暮らしていた普段の僕ならばもう少し裏を取っていたところだったが、縄が解かれた状態で子供に襲いかかってくるような人間だ。
どちらにしろ他者を食い物にするような外道だったのは間違いない。
「どうしてノアがその事を知っているんだ?」
「わたし、実は他人の感情が見えるんだ。……ううん、正確には違うんだけど、それに近いモノが見えるの。だからあのクインドって人がすっごい悪い人なんだっていうのはすぐに分かった」
他人の感情が見えるだって?
信じられないことだが……今更この世界を僕の常識の物差しで計ろうとは思っていない。
そういえばオルド大橋の待ち合わせの時に、ノアが険しい表情でクインドを見ていたことがあった。あれはそういうことだったのか。
「わたしの見え方が完全に正しいとは思わないけどね。それでもあんな思念で正しい心を持っている人を見たことがないかな」
ノアはこちらを伺うような視線を向ける。
「……えっと、わたしのこと気味が悪いと思っちゃったりしない?」
「気味が悪い? なぜだ?」
僕がそう聞き返すと、どうしてかノアはほっとしたように安堵の息を吐いた。
「……そっか、うん、なら良かった」
良かった?
何が良かったというのか。
彼女の目の前には殺人鬼がいるというのに。
「うひゃっ!?」
知らず知らず僕はノアに近づいていた。
壁際に追い詰めるような形になってしまう。
「ノア、君は状況を理解していないのか? 君のすぐ目の前にいるのは人殺しなんだぞ」
いつの間にか僕の右手は壁に付いていた。
まるで逃げられないように壁際で囲っているようだ。
「……あ、あの、アイ君? ……顔が近いんだけど……」
しかしこれほど近づいてなお、彼女は怯える様子を見せない。
「──僕は人殺しだ。沢山の人間を殺してきた」
だからだろうか。
僕はありえない告白をしていた。
「……そっか、そうなんだ」
にも関わらず。
まるで明日の天気を聞かされたようにノアは笑って返しただけだった。
「信じていないのか、君は!?」
自分でも信じられないほど大きな声が出ていた。
分からない。
僕は一体何を言っているのだ。
「信じてるよ。アイ君が言うんだったらその通りなんだろうね」
「……だったらどうして!」
何が言いたいのだ、僕は。
彼女が殺人を黙認してくれるなら、ただ黙っているだけでいい。今まで通り生活すればいい。
だがどうしてこんなにも感情が乱れるのか。
僕は憤っているのか?
「そっか、アイ君は誰かに自分を罰して欲しいんだ。……それはとってもつらくて悲しいことだけれど……アイ君は優しいんだね」
優しい?
殺人鬼である、この僕が?
世迷言だ!
「──僕は今この瞬間だって君を殺したい」
それは僕の根源的な感情だ。
人の世では許されない感情だ。
この殺人衝動は他者に近づけば近づくほど強くなる。だからこそ、僕はただ一人の家族である義妹でさえ、まともに向き合うことが出来なかった。
近くで接すれば接するほどこの衝動は強くなる。抑えられなくなる。
親しくなった誰かを、いつか無差別に殺してしまうのではないか。それが恐ろしくて堪らなかった。
ああ、そうか。
僕がどうしてノアと義妹を重ねてしまうのか分かった。
僕は彼女と親しくなるのが怖いのだ。
殺したくないからこそ近づきたくないのだ。
「うん、いいよ。殺したって」
「──え?」
いつのまにか僕はノアに抱きしめられていた。
「でもアイ君はそうしたくないんでしょう? だからあの時──人を殺すような時だって泣いていたんだよ」
「……泣いていた? この僕が?」
クインドを殺した時のことを言っているのか?
殺人衝動。
昏い炎が、この身を歓喜に震わせていた、あの時か?
「それは君の勘違いだ。思い違いだ。あんな瞬間に僕が泣いていたわけがない」
「ううん、泣いていたよ。心が。こんなことしたくないって」
彼女は。
一体彼女は何を言っているのだろうか。
「だからわたしはアイ君になんて言ったらいいか分からなかったの。わたしにはたぶん理解出来ないことだと思うから。きっと何を言っても嘘っぱちになってしまうから」
僕を抱きしめる彼女の両腕は優しく、まるでゆりかごのようでもあった。
「わたしに出来るのはアイ君を認めることだけ。貴方はここにいていいんだよって」
ああ、そうか。
そうだったのか。
「──僕は誰も殺したくなかった」
それはきっと心の奥底で封じていた想い。
なんて都合の良い自己欺瞞。沢山の人を殺した人間が決して口にしてはいけない禁断の言葉だった。
僕を抱きしめた彼女はまるで悪戯っ子のように楽しげに笑った。
「うひひ、やっと見えたね。アイ君の奥底が。……うん、とっても綺麗な思念」




