第十四話 彼女の第一印象
わたしことクロムバッハ家見習い侍女ゼノアは人の感情が読める。
いや読めるというのはおこがましいかな。
わたしには他人が発した思念のようなものを、わずかにだが感じ取れるのだ。
怒りを持った人は赤い思念。
悲しみにくれる人は青い思念。
喜びに満ちている人は黄色の思念。
みたいな感じだ。
実際はもっと複雑で色々な思念が重なっていることがほとんどだけどね。どっちにしろ読み取るのは簡単ではない。
わたしは薄ぼんやりとそれを感じ取ることができるのだ。
この能力に気付いたのは物心が付いた頃だったと思う。
気付いたら何となく使えるようになっていた。
以前、侍女長……ネフェラさんにわたしがこの異能を使えるようになった理由を聞いてみたことがあった。
その時は、
「それはゼノアさんがそう望んだからでありましょう」
そう言われた。
むむ、よくわからない話だ。
別にわたしは人の感情を知りたいと思ったことはないはずだ。第一この異能が役に立ったことってあんまりないし。
うーん、露天とかのお店で買い物してぼったくりに合わないぐらいかな。こちらを騙そうとしている露天商なんかは露骨に黒い思念を出してくる。経験上、黒い思念は詐欺や恐喝をするような人たちが多く出している。
そういえばアインス・トゥルス・クロムバッハ──アイ君に初めて会った時は驚いた。
オルド大橋で初めて見かけた時、事前に聞いていた年齢と、クロムバッハ家御用達のキニア生地を惜しみなく使った上等な服を着ていたおかげですぐに判別出来た。この子がわたしの仕えるべき主人なのだと。
まあ最初は下心満載で近づいたわけなんだけど……。
色々あってカサキヤ村に到着するのが遅れたから、今後のために(ネフェラさんに怒られないために)先にアインスお坊ちゃんと仲良くなっておけば良いと考えたのだ。うへへ、わたし天才。
「──それは失礼、僕の名前はアインス。何か用かな?」
わたしよりも二つ年下、十歳の子供とは思えないほど冷静で礼儀正しい口調。
そして将来は相当な美形に育つであろう少年の、人当たりの良い完璧な笑顔だった。
わたしは完璧すぎて逆に不審に思った。言葉には出来ないが何か変だな、と。
本来は初対面の人間に使うべきではないのだが、わたしは彼の思念を読んだ。
警戒、疑念、用心。
思念からはそんな物が読み取れた。
人の良さそうな朗らかな笑顔からは正反対の感情たち。
わたしは混乱した。
今まで表情と思念が一致していない人間は何人も見てきたが、それはいつも大人たちだった。例えば社交会の貴族や敏腕の商人のような。
子供にはあまりにも似つかわしくない齟齬。
……違和感、だろうか。
外から見える思念以外に、彼はもっと深い部分で感情を押し殺しているように見えたのだ。まるで底の見えない井戸を覗いている気分だ。
リラヘール川で溺れた小さな子供を助けようとして、わたしごと溺れてしまった時もそうだ。
助けてくれたことに関して礼を言っても、彼の思念はほとんど変わらなかった。
相変わらずの警戒、疑念、用心。……ああ、そうだ、それとちょっぴりの呆れがあったかな。
でも、礼を言った瞬間に、ほんの少しだけ感情が動いた気がする。灰色のような、あるいは無色透明みたいな感じの、漠然だったからわたしには理解出来なかったけど。
事前に聞いた話ではアイ君は長い間、遠い土地で闘病生活を強いられていたらしい。
それのせいかな、と思った。
長い期間、ずっとベットで生活していれば誰だって人間不信になる。他人に気を遣わせないよう外ヅラを作るようになっても変じゃない。
そうだ。
なら年上のわたしがお姉さんとして引っ張るべきなのだ。
──わたしは、そう思った。
*****
「ノア、少し外出しようと思っているんだけど大丈夫かな」
ある日の早朝。
わたしが眠い目を擦りながら玄関ホールを掃除していると、まだ日が上ったばかりのような時間にも関わらずアイ君が現れた。
「外出? どこに行くつもりなのアイ君?」
「ちょっとユニゼラルの城壁でも見学しようと思ってね。たしか駅馬車を使えば一時間ぐらいで行けたはずだろう?」
「う、うん、そうだけど……」
ユニゼラルの城壁の見学? なんでそんなことを?
わたしは不思議に思った。
そりゃオルド大橋からの駅馬車を使えば、ユニゼラルには数時間で到着するけれど……。
「ああ、ちょっとした物見遊山でね。城壁の中に入るつもりはないんだ。長い間帰ってなかったから、せめて故郷を少しでも早く近くで見たくてね」
わたしが不審そうな顔をしているのが分かったのか、アイ君がまるであらかじめ用意していたかのように言ってきた。
むむ、やっぱり変だな。
わたしはアイ君の思念を読もうとした。だが相変わらず上手くいかない。
いつものように警戒色満載の思念。それしか読み取れない。
うーん、嘘を付いてる感じはしないけどなぁ。
「それじゃあ出掛けてくるよ。ああ、ネフェラには夕方までには戻ると伝えておいてくれないかな」
「あ……」
わたしがどう声をかけて良いものかと迷っていると、アイ君は早々に屋敷から出て行ってしまった。
「……うむむ、どうしようかな」
おざなりに玄関広間の掃除を続けながら、わたしは悩んだ。
やっぱり気になる。どうしても気になる。わたしの直感が何事か訴えているのだ。
「……って、そうだぁ!」
大事なことを言うのを忘れていた。
今アイ君は狙われている可能性がある。
あのオルド大橋の露天商──クインドっていう名前の商人だったかな。アイツがアイ君を見る眼がヤヴァイのだ。
わたしが思念を読み取るまでもなく、はっきりと感じ取れた。
アイツはアイ君に対してヘドロのような真っ黒い思念を常に向けているのだ。
黒い思念というのはおおよそロクでもないと、わたしが経験が物語っている。
大方クロムバッハ家という家名を利用して詐欺を働こうと思っているのか、あるいは最悪奴隷商人の一味かもしれない。
悪人だと言うのはほとんど確定してはいたけれど、確証がなかったのでゲオルグさんやネフェラさんにはまだ報告していなかった。
その事を知っているのはわたしだけ。
今アイ君を一人にさせたら危険かもしれないのだ。
でもアイ君はわたしの言葉を信じてくれるだろうか?
わたしは他者の思念を読み取れるということを、人に話したことがほとんどない。気味が悪い奴だと思われたくないからだ。でも今はそんなことを言っている場合じゃないと思う。
「ゲスちゃんいる!? ちょっとお願いがあるの!」
わたしが大声で呼び掛けてから五秒ほど経過した後、天井から大きな黒い犬が落ちてきた。
「おん? どうした姫ちゃんよォ? ……くぁー眠いぜェ」
夜勤シフトが終わってから寝ていたのか、眠そうな様子でゲスちゃんが現れた。まあ犬の状態だとイマイチ顔色が分からないけど。
「ちょっと掃除してて!」
「ハァ!?」
説明する間も惜しい。
わたしはゲスちゃんに掃除を押し付けて屋敷を飛び出した。
……ごめんね、ゲスちゃん。今度埋め合わせするから。
*****
オルド大橋のすぐ近く、駅馬車広場は早朝にも関わらず沢山の乗合馬車が待機していた。
間に合うかと思ったけど、アイ君の姿はどこにも見えない。
「あの! ここに身なりの良い格好をした男の子は来ませんでしたか!?」
わたしはすぐ近くを歩いていた馬上従者に聞いた。年齢は四十代ぐらい。動くたびに腹が揺れる、でっぷりとした男の人だ。
「ああ、クロムバッハ家のお坊ちゃんかい? それならさっきキリーヴ方面の乗合馬車に乗って行ったよ」
わたしのメイド姿を見てすぐに察しが付いたのか、馬上従者の人が親切に教えてくれた。
でもキリーヴ方面ってどういうこと?
ユニゼラルとは真逆の方向だ。
まさか間違えて乗っちゃったとか?
「……そういえば昨日はキーリヴの森に探検に行こうって話してたっけ」
でもそれはアイ君が急に用事があると言い出して、後日に延期になったはずだ。
やっぱり変だ。
わたしは偶然の一致にしてはおかしいと思った。
ユニゼラルの行くと嘘を付いて、今日本当だったなら行く予定のキリーヴの森に行くなんて。しかもこんな朝早く。
「あの、今からキリーヴ方面に向かう馬車はありますか?」
「うーん、キリーヴ行きの馬車が次来るのは三時間後かなぁ。なにせ人があまり住んでいない場所だから馬車の本数も少ないんだよ」
うーん、どうしよ。
やっぱり気になる。今から追いかけて間に合うか分からないけれど、アイ君を追った方が良いような気がする。
「そうだ、キリーヴまで行かないけど近くまでは寄るから、そこで下ろしてあげようか?」
「え、ほんと!? おじさんありがとう!」
やた、ツイてる。
わたしは馬上従者のおじさんの好意に甘えることにした。
……何だろう。
妙な胸騒ぎがずっとする。
*****
わたしはキリーヴの森から徒歩四十分というところで下ろしてもらった。
馬上従者のおじさんに礼を言って、駆け足で走り出す。
「……いけるかな」
思念読みの応用。
微かに残った思念の残り香を追って、アイ君を探し出す。
他者の思念というのは、人それぞれ固有のカタチをしている。
だから集中すれば、わたしは該当の人間がどこを通ったかを特定することが出来るのだ。
「……まあ凄い疲れるし、頭が痛くなるから出来ればしたくないんだけど」
幸運なことにキリーヴの森に通じる街道は人が通ることがほとんどない。他にあるのは精々この辺りに住んでいる木こりや狩人ぐらい。
アイ君の思念を探し出すのもそれほど苦労しないと思う。
それにアイ君の思念は特徴的だ。丸みを帯びた刃物のような思念波。この数週間ずっと付きっきりだったのだ。すぐに見つけ出せるはず。
「……あった! 見付けた!」
街道を歩きながら探すこと一時間ほど。
アイ君の思念に該当するモノを見付けた。
思念というのは時間が経てば風化する物だが、これは残り方からして時間はまだあまり立っていない。
やっぱりアイ君はここに来ていたのだ。
でもどうしてこんなところに?
「……ん?」
街道のだいぶ先。
遠くから走ってくる複数の人間が見えた。
わたしはすぐに街道の茂みに隠れた。
どうしてか?
それは走ってくる人間たちの風体が一般人には到底見えなかったからだ。
「……はぁはぁ、クインドのクソ野郎が! 何が簡単な仕事だよ! 危うく死ぬとこだったじゃねぇか!」
「なぁ兄貴! クインドの奴を置いてきちまったけどいいのかっ!?」
「知るか! あんな守銭奴なんざほっとけ!」
貧民街のチンピラのようなガラの悪い連中。
その五、六人のチンピラたちが喚き散らしながら凄い勢いで走り去っていった。
「……うーん、今クインドって言ってたよね?」
茂みから顔を出して、チンピラが消え去ったのを確認してからわたしは言った。
わたしの聞き間違いじゃなければ、間違いなくクインドの名前を叫んでいた。
ここに来てどうしてその名前が出てくるの?
わたしはアイ君を探しに来たはずなのに。
「……この先で何かあったのかな?」
チンピラがクインドの名前を口にしたということは、アイツらはクインドの手下か何かだったのだろう。
でも細切れの会話からは、不慮の出来事があって逃げ出したようにも聞こえた。
「……アイ君、心配だな」
どうやら何か良くないことが起きているらしい。
わたしはチンピラたちが来た方向、街道の先に向かって急いで走り出した。
「うひゃぁ!?」
そして驚いた。
走り出してから数分もしない内に、わたしは横転した荷馬車と頭の一部が欠けた馬の死体を発見したのだ。
なに?
どういうことなの?
「……事故じゃないよね、これ?」
お馬さんのアタマが吹き飛ぶなんて事故は見たことがない。
異能による攻撃か何かだろうか?
にしては魔素の残滓を感じ取れないけど。
「……アイ君、こっちに行ってる」
街道から外れて森の中に思念が続いてる。
やっぱり意味が分からない。
どうして街道から外れて森に入る必要があるのか。
街道を馬車で進んでいる最中に誰かに攫われたの?
「ゴメンね。ほんとは弔ってあげたいんだけど」
お馬さんの亡骸に謝罪を告げながら、わたしは森の中に進んでいく。
アイ君の思念はかなりの森の奥深くまで続いていた。
「……思念は一つだけ? ……アイ君、一人で動いているの?」
わたしが読み取れる思念は一つだけだった。
仮定だけどアイ君が奴隷商人に誘拐されていたならば、もっと複数の人間の思念が残っているはずだ。
まるでアイ君は自分の意思でわざわざ森の奥深くに進んでいるように思える。
「た、たのむよぉ……もう奴隷稼業には手を染めない……こ、心を入れ替え……ぎゃああ!」
すぐ近く。
誰かの恐怖に怯える声と悲鳴が聞こえた。
でもアイ君の声じゃない? 誰?
どうしてか、わたしは自然と足音を消して近づいていた。
そしてわたしは見てしまった。
「──いいや、違うさ。ただの殺人鬼だ」
見知った少年が手慣れた手付きで人を殺す瞬間を。




