第十三話 闇の顎門
ゲオルグとネフェラがクロムバッハ邸からいなくなって三日が過ぎた。
殺人の犯行を目撃されたにも関わらず、僕は変わらぬ日常を過ごしていた。
「キャッハー! オレちゃんは自由だァ! イェーイ、アイムフリーダムゥ!」
……いや違うな。
変わらぬ日常に一つ大きな変化があった。
今まで外に出ること禁止されていたらしいヴァーゲストが大手を振って屋敷の中を闊歩するようになったのだ。
散歩を禁止されていた飼い犬が、久しぶりに外に出たようなはしゃぎ方だった。真っ昼間から屋敷の廊下を縦横無尽に走り回る。
ドッグランかここは。
「……なあ昼間から騒ぎ回るのは良い加減やめてくれないか、ヴァーゲスト」
今日も今日とて無駄に屋敷の廊下を走り回るヴァーゲストに僕は言った。
「えー、いいじゃんよー、数ヶ月ぶりに人の目を気にせず動け回れるんだぜェ。オレちゃんフラストレーション溜まりまくってしょうがなかったのよ。えーとなんつーの、ぴえん? ……みたいな感じ?」
前から思っていたのだが、コイツたまに僕の世界の言葉を喋っていないか?
こちらの世界では通じないような冗談をよく言っているような気がする。
まあ常識の埒外のような存在の言動を、逐一気にしてもしょうがないのだが。
「そういやさァー、坊ちゃんよォ。聞きたいことがあんだけど」
走り回るのに飽きたのか、ヴァーゲストが黒犬状態から黒髪の少女に変身して僕に言ってきた。
「なんだい?」
「姫ちゃんと喧嘩でもしてんのか?」
直球な物言いだった。
ヴァーゲストの言う姫ちゃんとは、ノアのことだ。
「喧嘩か。……喧嘩だったら幾分か分かりやすい話なんだがね」
ゲオルグがネフェラがいなくなってからも、ノアは引き続き屋敷に待機している。
しかし、この三日間、僕は彼女とまともに話せていない。
朝、昼、夕の三食はきっちりと食堂に用意してあるのだが、肝心の彼女の姿がいつもない。たまに屋敷内で遠目で見掛けても、こちらの姿を確認するとすぐ逃げてしまう。
当然ではあるが、僕に対して恐怖心を抱いてしまったのだろう。コミュニケーションを取ることすら叶わない。
だがどうしてノアは、僕の殺人行為をゲオルグたちに報告しなかったのか。
その理由は分からない。
「……はあ、どちらにしろノアには借りが出来てしまったな」
「なんだなんだ、青春かよ甘酸っぱいかよ。オイオイオイ、死ぬわ、オレちゃん」
僕が物憂げに呟くと、ヴァーゲストは何を勘違いしたのかきゃーきゃーと楽しそうに騒ぎ始めた。
面倒だから否定はしないで置こう。
*****
一方、その頃。
クロムバッハ邸を離れたゲオルグとネフェラはとある地域を行軍していた。
「旦那様、もう少しで砦が見えてくる頃合いでございます」
「そう急くな、ネフェラよ。急がなくても砦は逃げんぞ」
ゲオルグとネフェラは馬を駆使して獣道のような険しい道を進んでいた。
──ベリヌス高原。
ユニゼラルより北西。
キリーヴ森林地帯を超えて、さらに北上した先にある緩衝地帯だった。
名目上はユニゼラル公国の領土になるが、多数の魔獣と、戦争によって国を失った周辺国の兵士たちが、盗賊団となって潜伏している危険な場所でもあった。
ユニゼラルはベリヌス高原に四ヶ所ほどの中規模の砦を構えていた。
ゲオルグたちの目的はその内の一つの視察だった。
「国境線から一番近い砦。その砦からの定期連絡が途絶してから、すでに五日ほど経過しております。一刻も早く到着するのが賢明な判断かと」
「ふん、お前はただ早く屋敷に戻りたいだけであろう。屋敷にいるアインスがそんなに心配か? 警護に関しては抜かりはあるまいに」
「ワタクシが心配しているのはむしろヴァーゲストの方でございます。……はぁ、今頃旦那様秘蔵の葡萄酒が開けられていなければよろしいのですが」
ネフェラの言葉に「ぐぬっ」と言葉を詰まらせるゲオルグ。
「……少し急ぐか。砦の様子も心配だ」
そう言ってゲオルグは馬の歩を早めた。
そもそも発端。今回の遠征の理由。
それは四ヶ所の内の一つの砦が音信不通となったことだ。
軍事拠点としてはありえない異常状態。
通常ベリヌス高原の砦群は、使い魔による相互連絡網が形成されている。だが五日ほど前から北側の国境地帯に近い砦が、突然音信不通になったのだ。
当然、各砦の守備隊はそれぞれ調査部隊を派遣したが、その全てが帰還することはなかった。
「……考えられる可能性は、盗賊団か魔獣による襲撃であるが」
「少し考えにくいことではございますね。あの砦の戦闘員は異能者も含めて百名近く。非戦闘員も含めると二百人にも及びます。その規模の戦力がそう易々と占拠されるとは……」
そうなのだ。
例え如何なる脅威であろうと逃亡者を一人も出さずに、砦一つを制圧したとは考えにくい。
兵士とて素人ではない。何者かの襲撃であれ形勢の不利を悟れば、援軍を使いに出すはずだろう。にも関わらず連絡が途絶したということは、援軍を要請する間もなく砦は機能不全に陥ったという意味でもある。
「……さて調査隊が砦に帰ってこないというのも気になるが」
どちらにしろ状況は混迷を極めていた。
報告を受けたゲオルグは自らその状況を確かめることに決めた。半端な戦力では調査隊の二の舞になる可能性が高かったからだ。
ユニゼラルの最高戦力の一角であるゲオルグとネフェラ。
たったの二名ではあるが現状での最適解だと判断したのだ。
「旦那様、砦が見えてきました」
「ああ」
傾斜のある丘を登り切ると件の砦が見えてきた。
砦の外観に異常はなかった。
損傷しているわけでも火の手が上がっているわけでもない。
しかし徐々に砦に近づくにつれ──
「これは……」
「ああ、ネフェラよ。お前も気が付いたか」
死臭だった。
それも凄まじいほどの。
「これは戦場……いや虐殺の匂いでございますね」
ネフェラはかつて従軍した戦争での光景を思い出した。
それは強軍が弱軍を一方的に屠った、とある戦場の跡地だった。
弱軍は見るも無惨に殲滅され、戦場には大量の死体が野晒しになっていた。
血と臓物はぶちまけられ、死体には蛆が湧き、屍肉を喰らう烏と狼がうろつき回る。
混じり合った様々な腐敗臭は、まるで鼻を刺激する腐った油のような臭いだった
「ネフェラ、警戒を緩めるな」
「はい、かしこまりました」
予想していたことではあったが、おそらく砦の兵士たちは生きてはいまい。
ゲオルグとネフェラは絶えず周囲を警戒しながら、さらに砦に近付いていく。
「……妙だな。戦闘の痕跡がない」
砦の門扉が見えるところまで近づいたところで、ゲオルグは気付いた。
砦の外観に異常がないのは遠目からも判断できたが、そもそも戦闘が起こった形跡すらないのだ。
しかし通常であれば門扉で待機している兵士の姿はない。
壁上で周囲を警戒する兵士の姿もだ。
まるで、もぬけの殻のようだった。
「……トリニティ家の怪談話を思い出すな」
「あれでございますか。子爵一家が一夜にして消えたという……」
ゲオルグはネフェラの言葉に頷くと、恐怖物語を語る吟遊詩人のように重々しく呟いていく。
「……そう、家人が家を訪ねた時、スープはまだ湯気を上げていた。洗面所には髭を剃った後があり、まるで一家は一瞬にして忽然と姿を──」
「ああ、もう! こんな状況で怪談話はやめて下さいまし、旦那様!」
「なんだ、相変わらず怖い話は苦手か、ネフェラよ。幽霊などより余程恐ろしいモノを使役しておいて」
「まったくもう……もうすぐ砦に到着でございますよ、旦那様」
付き合いの長いネフェラは知っているが、ゲオルグは緊急時にこそ口が軽くなる。周囲の人間の緊張を解きほぐそうとしているのだ。
砦の門扉──大門はわずかに開かれていた。人間一人が通れるほどの隙間だ。
「いつも通り吾輩が先行する。お前は全周警戒を」
「御意」
馬を降りた二人は、手慣れた連携で砦に侵入していく。
まずはこの死臭の大元を探る。
「なん、だと……」
そしてすぐにその大元に辿り着いた。
二人が眼にしたのは──
死体、死体、死体。
数え切れないほどの死体の山。
「これは……何という……有り様でございますか……」
ネフェラが絶句する。
その場所は兵士たちの訓練場と思われる広場だった。
死体はまるで雑に扱われた荷物のように高々と積み上げられていた。死体の数は優に百を越えている。屍山血河の惨状だった。
「……まるで人形遊びに飽きた子供が、鬱憤ついでに暴れたような有り様でございますね」
加えて死体の状況は特に酷かった。
死体というよりは肉塊に近い状況。人としての原型を留めている方が少ないのだ。
大型の馬車に三度轢かれてもこうなるまい。
「ネフェラ、あそこだ」
ゲオルグが何かに気付いたのか、ある場所を指差した。
ネフェラが視線を追うとそこは広場の石壁だった。
何を、とネフェラは思ったがすぐに気付いた。
ネフェラの位置からは死体の山で見えなかったか、壁にナニカが描かれていたのだ。
「こ、これは──」
ネフェラは見た。
それは死体の血で描かれた紋章、死神の鎌を模した象徴記号だった。
紋章の上には──『汝、他が痛みを知れ』と古代大陸語で書かれている。
ゲオルグとネフェラはその言葉と紋章を嫌というほど知っていた。
「……旦那様」
「ああ、暗殺結社──闇の顎門だ」
ゲオルグは憎しみと怒りを込めながら静かに呟いた。
「だ、旦那様、どこに!?」
ゲオルグは唐突に踵を返して来た道を戻っていく。
ネフェラが驚きながら主人について行く。
「ネフェラ、急ぐぞ。これは陽動だ」
*****
「……ん? 誰だこんな時間に?」
もうすでに深夜になろうかという時間、クロムバッハ邸の私室で本を読んでいるとノックの音が聞こえた。
「オーイ、坊ちゃん、まだ起きてるかーい?」
「ヴァーゲスト?」
扉の向こうから聞こえたのはヴァーゲストの声だった。
「ああ、起きてるよ。どうしたんだヴァーゲスト?」
「おォ、ちょっち坊ちゃんと話してたくてヨォ、入ってもいいか?」
何をいまさらと思った。
ゲオルグとネフェラが外出してからというもの、ヴァーゲストは毎日のように僕の部屋を訪れている。……いや侵入といってもいいな。
なにせ、夜中に唐突に部屋の扉の一人でに開き、空いた隙間から黒い犬がにゅっと顔覗かせてくるのだ。
子供なら泣いて失禁してもおかしくない。
「……はいはい、どうぞご自由に。いつもみたいに鍵は掛かってないよ」
「おうおう、んじゃまお邪魔すッぜ」
扉を開きヴァーゲストが中に入ってくる。ちなみに姿形は黒髪の少女の方だった。
「──え?」
だが一瞬呆気に取られた。
部屋に入ってきたヴァーゲストのすぐ後ろに見慣れた少女がいたからだ。
「……えっと、その、ええっと」
ノアだった。
もじもじと両指を絡ませながら困った様子で僕の方を見ていた。
「ノア、どうして……」
最悪もう二度近寄ってこないかもしれないと予想していた。
この突然の訪問。だからこそ、僕はただただ唖然とすることしか出来なかった。




